2026.07.07

麻生要一郎「僕の献立」【私の食のオススメ本】

  • 書名:「僕の献立 〜本日もお疲れ様でした
  • 著者:麻生要一郎
  • 発行所:光文社
  • 発行年:2020年

著者、麻生要一郎を知ったのは平野紗季子さんのポッドキャストのラジオ番組だった。

平野紗希子さんはフードディレクターでエッセイストだ。このRIFFのBOOKコーナーでも『生まれた時からアルデンテ』と『私は散歩とごはんが好き(犬かよ)』を紹介している。

自分は、彼女が毎回多彩なゲストを迎えて食を語りあうその番組を愛聴している。ゲストの御持たせ(おもたせ)も美味しそうで、出てくる料理や商品、お店の話に食べもの愛があふれているからだ。

2026年3月、その番組のゲストにやってきたのが料理家で文筆家の麻生要一郎で、ちょうど新刊『酸いも、甘いも』を刊行した後だった。彼の複雑な人生の変遷と思い出の食べ物が綴られたものだった。

その番組で平野紗季子さんは麻生要一郎のつくる弁当を、仕事のスタッフと食べた時「それぞれが自分の思い出の味を話し始めた」というエピソードを話した。

「うちの実家の卵焼きってこういう味」「うちのおばあちゃんの唐揚げってこうで・・・」

彼女は、その時みんなの心が「帰省した」と言った。
人を帰省させる味。その言葉に導かれて本書をさっそく購入することになった。

著者は昭和52年(1977年)に茨城県水戸で祖父が起こした建設会社の家で「高野要一郎」として生まれた。19歳の頃、2代目の父の急逝によって、母親が会社に行くことになり、本人は文系に進むことを父親に許されていたのだが、母親に会社を継ぐことを求められて建築の専門学校へと進む。

麻生要一郎は学校帰りに疲れて帰ってくる母親のために夕食を作って待つようになる。これが料理との出会いだった。最初から上手であるはずもなく、最初のうち母親は箸を途中で下ろすことが多かったが、続けるうちにそれも減っていった。これが料理の出発点であった。

会社に入った麻生要一郎はしばらくして、会社の体制変化や重積にプレッシャーを感じ、自分のやりたいことに専念したいと会社を辞任する。その時、取締役であった。

やりたいことがはっきりしないまま、新島でカフェ+民宿を始める。夏休みに行く島のおばあちゃんの家のような感じであった。ここで、春から夏の間、毎日毎日20人前後の客とスタッフの食事をつくることに。

麻生要一郎はその場所に「自分が普段作る家庭料理の味がしっくりと馴染んだ」と言う。そして楽しかったと。

それは誰かのために作るということが楽しいということなのだろう。

後に友人から撮影現場にケータリングをして欲しいという話があり、その弁当が評判になり、その現場での縁でまた頼まれるということが続き、口コミで広がっていく。

これは我が家の食卓のお裾分けという気持ちでやっていると麻生要一郎は話す。「お弁当で誰かが喜んでくれるなら、こんな嬉しい事はない」

本書はそのお裾分けのもとである『食卓』にでてくる料理のレシピと食べることへの思いと思い出が綴られている。

ラジオ番組で語る麻生要一郎という人も、本書で語る麻生要一郎も、彼がいるところには優しい時間が流れている。

母親の死後、家族は愛猫のチョビだけになったのだが、その愛猫と住むことになった家の家主姉妹の養子となり、麻生要一郎となる(本書でもその人生について書かれているが、前述『酸いも、甘いも』に詳しい)。

そして麻生要一郎にはパートナーである英治さんがいる。麻生要一郎の『食卓』とは二人が静かに暮らし、その日のことを語り合う『食卓』であり、友人を招いて笑い合う『食卓』がある。

本書は、その食卓に「やさしい時間」が流れていることがわかる料理本である。

そう、『食卓』とはこういうものだった、と思うのである。

WRITER Joji Itaya

出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。