【映画の中の食 vol.2】※映画のストーリーに関する内容を含みます。
真の豊かさを考える時、決まって思い浮かぶ映画がある。
1987年(日本では1989年)公開のデンマーク映画『バベットの晩餐会』である。
淡々と地味な映画ではあるが、同年度アカデミー賞最優秀外国語映画賞を受賞。あまり知られていないが、衣装デザイナー兼スタイリストとしてあの故カール・ラガーフェルドも参加している。
19世紀デンマーク海沿いの寒村を舞台にしたこの映画が渋谷のミニシアターでひっそりと上映された時、バブル期真っ只中の日本の市民たちはどのようにこの作品を受け止めたのだろうか?
物語は、牧師の父の遺志を継ぎ、村人に尽くし清貧な日々を送って来た美しき老姉妹と、パリコミューンの騒乱から逃れ、二人の元へ身を寄せ家政婦として働く事となるバベットを軸に描かれる。
姉妹の若かりし頃の淡い記憶を織り交ぜながら、物語の後半では実はパリのレストランの名シェフであったバベットが、亡き牧師の生誕100周年を祝う晩餐会の為に腕を振るう豪華絢爛な料理の数々が登場する。
しかしこの映画は、単に美食家たちを喜ばせるグルメ映画とは一線を画す。
国を追われ、家族も何もかも全て失い、異国の小さな漁村に流れ着いたバベットが、祖国との唯一の繋がりとして買い続けていた宝くじ。数年後、その宝くじが思いがけず当選し大金を手にするものの、バベットはその賞金全てを使い、全身全霊を注ぎ、姉妹の小さな家で村人たちを招き晩餐会を開く。
かつてパリのレストランで腕を振るっていた頃と同じようなフレンチのフルコースを。フランス料理など見た事も食べた事もない村人たちは、バベットがフランスから取り寄せたウズラや海ガメ、牛や豚の頭部など奇妙な食材の数々を見て、自分たちはとんでもない恐ろしい物を食べさせられると怯える。
しかしいざ晩餐会が始まり、綺麗にテーブルセッティングされた食卓の上に次々と運ばれて来る美しく見事な料理を口にすると、その絶品に思わず顔はほころび、会話も弾んでゆく。スクリーン越しにバベットの料理が、人々のお腹と心を満たし、冷たい部屋を温め、皆を幸福にしてゆく様がありありと伝わって来る。
ひとしきり晩餐会が終わり、皆が至福の笑みを湛え帰った後、感謝の言葉を掛ける姉妹にバベットは、これからも此処で姉妹の家政婦として働く意志を告げる。宝くじの賞金で祖国へ帰ってしまうと思い込んでいた姉妹は「あなたはこんなにも才能に溢れているのに、私たちと一緒にいれば一生貧乏なままよ。」と諭す。しかしバベットは、姉妹の元へ導いてくれた恩人であるムッシュ・パパンの言葉を借りこう告げる。「貧しい芸術家はいない」と。
静かな、けれど一筋の希望のような余韻を残し、この映画は幕を閉じる。バベットの料理を食べていないこちらまで満たされた豊かな気持ちになっている事に気付く。
そう、貧しい芸術家などいないのだ。物質的、金銭的な豊かさには限りがあり、一過性のものに過ぎない。しかし精神的な豊かさは無限であり永遠である。そして、その豊かさ無くして豊かな物質を創造することなどできない。
晩餐会のシーンでは、村の少年が給仕係を任され、美しいフランス料理の数々や高価なワインを招待客たちにサーブする。恐らく教養の全くない少年である。バベットの料理を口にする度、多幸感に満たされてゆく村人たちと同じように、少年も本物の味、本物の仕事を目の当たりにし、自らがその中で大事な役割を任された事で、どんどん顔付きが凛々しく変化してゆく。
この少年が一晩にして得たもの。それは計り知れないと私は思う。この少年がやがて成長し料理に携わるとは限らないが、この経験をした人生としない人生では、明らかに未来は異なる。彼はこの先一生この晩の事を忘れないだろうし、誇りに思うだろう。そしてそれは彼の糧となり、豊かな層となる。
幼少期、6人家族でとても金持ちとは言えなかった我が家には、車も暫く無かったし、流行りのおもちゃも買って貰えなかった。おもちゃの代わりにそれぞれ楽器を与えられ、子供向けアニメ番組の代わりに「自転車泥棒」「エレファントマン」「クレイマークレイマー」などを家族揃って観た。
母が「素晴らしい作品を見つけたから観ましょう!」と小学生の時に観せられたアンドレイ・タルコフスキーの「鏡」という映画は小学生には難解過ぎたけれど、大人になって再度観ると場面場面鮮明に憶えており、私の美意識と女性観を形作ったと感じる。
家族揃って旅行など数える程しかないが、年に何度かきちんとドレスアップして外食する事もあった。老舗レストランでフレンチのフルコースを緊張しながら食べた事、悶絶する程美味しかった白子のポワレ、初めて食べたエスカルゴの衝撃。。
こんなチャンス二度とないから!と家族揃って観に行ったマルセル・マルソーの日本公演は、すべてが夢のようで魔法だった。演目はコメディタッチのものもありつつ、重いテーマを扱ったものもあり、あの夜初めて自殺というものがこの世に存在する事を知った。人間の生と死、そして孤独を、子供ながらひしひしと肌に感じた夜だった。あの夜の心の高鳴りと痛みは、確実に今も私の心の奥にある。
豊かな経験は、人の人生を、生き方さえも、変える力がある。
村の人々や少年のように、幼き日の私のように、大人にも子供にも、一生に一度の特別な夜を、私たちのレストランでも味わって頂きたい。
今度は、その一夜を創造力で産み出してゆくのは、私たちなのだ。
text:Mari Takahashi
(本稿はOPENSAUCE元メンバー在籍中の投稿記事です)