- 書名:わるい食べ物
- 著者:千早 茜
- 発行所:集英社文庫
- 発行年:2022年
著者、千早 茜は北海道生まれだが金沢には縁が深い。2008年に『魚神(いおがみ。のちに「魚」に改題)』大21回すばる新人賞を受賞したが、同作で第37回泉鏡花文学賞も受賞している。同作は小説家になる前に、伝統工芸家と結婚した妹に会いがてら取材に金沢を訪れ、書かれた作品。千早 茜が、29歳になったらこっそり一度だけ応募しようとしたものだった。
『魚神』は時代もわからない、架空の遊郭の島に売られ育った美貌の姉弟の物語だ。泉鏡花が歩いた明治の金沢に漂う、水路や土の匂いをまとった、幻想的で闇の中の灯りを見るようなロマンティシズム小説(個人の見方です)。
幻想とは打って変わってリアルな金沢と食べること好きを公言する著者は、「食いだおれ金沢」というタイトルで前編後編10ページにわたり金沢におけるリアルな食べまくり三昧を書いている。本書ではいちばん長いエッセイであり、2018年のあの記録的豪雪の2月のことである。
金沢市主催のトークショーの後に、同行した『魚神』の担当編集者の女性と寿司店へ。自分はグルメではないので通のルールは無用、「食べたいものを食べるだけ」とおすすめを食べたあと、ブリのおろし和えと漬けにブリトロ、アカニシ貝にノドグロ焼きをやっつけ、白子の軍艦をお代わりする。
同行の編集者と、泉鏡花文学賞の授賞式の後の寿司を食べても白子をおかわりしたことを懐かしむ。著者は授賞式で緊張のあまり体が冷え切り、編集者に背中や尻にカイロを貼ってもらったことを思い出す。
毎年毎年、白子を食べては思い出しているのだろう。水は最大の記憶媒体というが、食べ物にもそれぞれDNAのように記憶が刻まれる。
翌朝ホテルのモーニングブッフェ(原文ママ)で、カレーライスにチーズオムレツ添え、北陸名産ガスエビ唐揚げをトッピングしたプレートを作り上げ完食。さらに焼きたてフレンチトーストのシロップがけを平らげる。
夜になり、加賀野菜と魚の割烹へ行き、吸い物に入っていた奥能登で作られる原木椎茸(かさの大きさ8センチ、厚み3センチ以上の基準をクリアした)『のとてまり』を頬張る。
次の日、京都への特急サンダーバードが雪のため運休に。著者はこの機を逃さず、地元の人間に聞いたB級グルメ香林坊『グリルオーツカ』へ。「女性は小にした方が」というアドバイスを振り切り、名ばかりの普通サイズの大きさに驚きながらもテーブルにドンと置かれた『ハントンライス』に立ち向かう。
フライがゴロゴロとのったケチャップライスの半熟オムレツにタルタルソースがどばどばとかかったその食べ物を「すぐにエネルギーに変わってくれそうで、雪で冷えた体には適している気がする」と評す。そして、次は『宇宙軒』の「とんばら定食」を体験したいと続ける。
食べることを創作のエネルギーにしているような、小学生時代をアフリカのザンビアで過ごした著者、千早 茜。
日本食に飢えていた両親が、モンバサの古代の海のような水の中でウニを見つけ、生ものは食べちゃダメと言っていたのにその場で食すのを見て、怖くて酒が飲めるようになるまでウニが食べられなかったという話がある。
著者はそのエッセイで、大人になって嬉しかったのは「自分の食べられるものを自分で決められるという自由だった」と書いている。そして戦争や災害によってインフラが崩壊して「その自由も幸せも環境が変われば簡単に壊れる」と。
この本を読むと、著者の幼少期や旅の思い出における食の記憶が創作に与えている影響を垣間見ることができる。それは人が選択をすること、選択をできないこと、誤った選択も負わなければならないということへの深い認識なのかな思う。
著者は「おいしいものしか食べたことがない人は相当な幸せ者だ」と言う。そして「人はそんなきれいな食事だけではできていない。食にまつわる幸福もあれば、トラウマも失敗も恐怖も悲しみも罪悪感もある。」少なくとも自分はそう思うと語る。
だから、この本はグルメエッセイではない。おいしそうなのだが、フレンチやバー、病院食、焼肉店、早弁と隠れ食い、男の甘味など食べるモヤモヤが満載で、生きていることの喜びと切なさが「食べもの」の隙間からじわーっとやってくる。
この本をカフェで読んでいたら、親しいスタッフの女性が「その人の本、面白いですよね」と声をかけた。大人の女性だから、たぶん小説のことなのだろう。グロテスクさを持ち合わせた官能的な物語は、「わるい食べもの」を食べる自由を知っているから書けたんだよ、といつか言いたい。
出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。