Chat 3ECについての質問があれば、どうぞお知らせください。
お手伝いできる限りお手伝いいたします。
こんばんは
ちょっと聞きたいことがあるのですが。
はい、なんでも聞いてください。できる限りお手伝いいたします。
「酒は百薬の長」という言葉がありますが、あれは広告代理店とかが考えたキャッチココピーか何かですか?
あー、それは前漢と後漢の間に新という王朝があるのですが、あまりに奇抜すぎて全然続かなかった王朝なのですが。
もう少し分かりやすく説明して下さい。
その新という王朝を建てた王莽(おうもう)という人が言い出したらしいです。
いつ頃の話ですか?
中国の古代の時代、劉邦が始めた漢という王朝があり、それにトドメを刺したのがこの王莽という人です。
何故、そんな事を言い出したのでしょうか?
西暦23年には死んでおります、王莽『漢書』食貨志下という書物で見た記憶があります。
そんな大昔の話を現代人が信用して良いのでしょうか。
確か、米とか酒とかを全部国が管理するぞ、という詔です。
なんかそのまま酒と塩と鉄を専売にするぞ、というと味気ないので、なんかそんな美辞麗句でそれっぽい文章にしているのですが、内容的には国が専売するぞ宣言の文言です。酒は百薬の長、につづきがありまして「嘉會(カカイ)の好なり」とお祝いごとには欠かせないよねという意味です。
それは初めて知りました。
酒は百薬の長だし、パーティーには欠かせないよね。もう明らかに酒は薬だといってないんですよね。後ろの文章が前の文章を殺してますね。ほめてみただけ。根拠なし。言ってみただけです、ほんと。
では、やはりキャッチコピーみたいなものなんですね。
本当にキャッチコピーです。ある意味、小西さんの仕事です。蘇軾という12世紀の詩人の方がまだ信用性あります。
危うく踊らされるところでした。
医学書か何かかと思ったら、全然関係なかったのです。酒は百薬の長という言葉は。「洞庭春色詩」というポエムの中で「酒は憂いの玉箒」って言ってます。酒を飲むとイヤなこと忘れるよね、と。
確かにまだ信ぴょう性があるポエムですね。医食同源も似たような話でしょうか?
医食同源、漢文としてそもそもおかしいですよね。食を治療して、源を同じにする、もし漢文なのであれば「医与喫飯会同源」みたいになりますよね。
意味が分からないのですが。
これ、実は結構研究がすすんでいまして1972の日本人が書いた本が初出というのが確定しております。
最近じゃないですか。
でもテレビで、『きょうの料理』を担当していた人も、「これは私が作った」と言っていたり。
諸説あるんですね。
でも72年で確定です。
さも太古の先人の知恵みたいな感じで良い感じに使っている人が多いですけど。
コピーライト勝ちですよね。
中国って博物学が非常に盛んでして、薬学もそうなのですが、あらゆる食べ物に、あらゆる効能を探すんですよ。なので、なんか食べてたらなんか効能あるに決まってるといいますか。
なるほど、確かに口にするものは身体に直接働きかけますしね。
大体、薬効効果あるよ!みたいなメニューはスープです。陰陽五行説に基づいて、それぞれの体の状態を五行のどれかにあてはめまして、それを治療するための五行のどれかの薬を処方します。
五行とはなんですか?
五行というのは、木火土金水のフィフス・エレメントが万物の源であると古代の人は考えておりまして。
ブルース・ウィリスの映画でしたっけ?
なつかしいですね!あっちはギリシアの自然哲学のエレメントの方ですね。この世の全ては、この循環、この5つで成り立っていると考えたのです。
「木火土金水」これは読んでそのままの意味ですか
「ぼっかどごんすい」とよみまして、意味はそのままですターレスは万物は水であるといいました。
金は何ですか?
まさに金属です。
中国の王朝というのはそれぞれのシンボルカラーがありましてその王朝に対する革命や抵抗反乱を起こすときは、その王朝のシンボルカラーを殺せる色をまとって反乱します。シンボルカラーは、五行で決まります。火なら赤、水なら青ですね。
一番強い色とかあるんでしょうか?戦隊モノだと赤が主役ですが。
これ、それぞれがじゃんけんのような状態なので、かならずどれかには負けるんです。なので等しい感じですね。三国志のオープニングは、黄巾の乱からはじまりますが。反乱した宗教の連中が黄色の頭巾をかぶったりとか黄色をモティーフにしたからなのですが。
そうなんですね。火は水に負けるとか、そういう意味ですか?
そうですそうです!漢王朝は赤(火)の王朝だったので、次にくるのは土の王朝なはずなので、黄色の頭巾をかぶりました。
金属は何に負けるんだろう。
火に負けます。
チタン・・・
現代からすると確かにそうなんですがwこういう対立関係を五行相剋といいます
勉強になります。
そして五行が循環していくのが五行相生。実は陰陽師の安倍晴明の九字もここからきています。
で、なんの話でしたっけ?
医食同源ですね。そんなこと言ってないですね、中国古典は。
おお、図解が
口で説明するとわかりにくいので図解します。
これが相生関係です。火で物を燃やすと土になり、土から金が生まれ、金から水が(私はここ疑問)、水があってはじめて木が成り立ち、木で火を起こす、という循環です。
金から水?ミネラルウォーターを買う時代が来るという予言ですかね?
謎ですよね。古代の書物によりますと、金属に結露ができるのを金属から水が生まれた!って思ったらしいです。
なるほど。
そしてこれがブチ壊し合う、五行相剋というものです。
これがまさに安倍晴明のマークなんですね。
五芒星ですか
五芒星です。五芒星はこの五行が元にできています。医食同源って結構でたらめで、五行には対応する味、五味というのがあります。
木から順番にいいますと、酸・苦・甘・辛・鹹 最後の「鹹」がしおからい、と日本語ではよみます。
使ったことの無い漢字です。
私もかん、でしらべて出てこなかったので、かんすい、と調べてから水を消しました。
鹹水 あ、ほんとだ。
こんなかんじで、五行に対応する味覚があるので、それで人を治していこう、という考え方がございました。あと四季にプラスして梅雨をいれて五つの季節を想定しまして、それぞれの季節ごとにはこういう体調になるから、その五行にマッチするものを食べたらいいよ、という考えが根底にあります。
では医食同源なんて賢そうに使うもんじゃないという事ですね。
そうなんですよ。医と食が源が同じなんて、ヨーロッパの栄養学の考え方ですよね、発想が。
https://noguchi-net.com/home/essay_contest/essay_contest01_result/essay12/
これとかこわいですよ。歴史がしれっと捏造されています。
医食同源、1972年が初出で、広まるのが1990年代です。
テキトーですね。
じじい、とんだ知ったかぶりです。老人がいうと本当っぽく聞こえる魔力に陥ってますね。
老人とキャバ嬢の言葉は、真に受けると大怪我しますね。
私は非常に危険ですね。気をつけます。
五芒星と言えば「人の牛蒡で法事する」と言われたらキレた方がいいですか?
まさかのゴボウ繋がり。この言葉、確か結構新しかったはず。もともとは他人が持ってきたゴボウで精進料理を作ることをいっているのですが、確かこれは大正以降の言葉であったはず。大正以前にこんな言い回し見たことがないです。
こういった感じの、さも昔から伝わっているような良い感じの言葉を作って流行らせたいです。
ゴボウが実に昔っぽいかんじがありますよね。
食に関する良い感じの言葉を捏造して下さい。
「味噌屋の鰻の晴れ錦」
まるで意味がありそうですね。リズムも良い。
昔の諺と今の言葉を判別する方法がリズムです、実は。特に江戸時代のリズムは我々のような裏拍というものがない時代で表拍に入るので、前につんのめるような「ダーダラダラダラのダラダラダ」みたいな構造の諺になります。
ちなみにさっきの↑の意味をChatGPTに聞いてみました。
「味噌屋の鰻の晴れ錦」という表現は、日本の江戸時代に生まれたとされる言葉で、非常に贅沢な食事や特別なごちそうを指すのに使われます。この言葉は、文字通りには「味噌屋で提供される豪華な鰻料理」という意味ですが、より広義には、日常では味わうことのできない特別な食事や、一般的に手が届かないほど高価で贅沢な料理を指すのに使われることがあります。
この表現は、江戸時代の味噌屋が特別な日に高級な鰻料理を提供していたことに由来しています。このような料理は、一般の人々にとってはなかなか手に入らない特別なものであり、その豪華さや特別感を表すのに使われるようになりました。 ※ChatGPTによる解説
すばらしい!!そういう意味だったんですね!
ChatGPT、普通に知ったかぶりしてカワイイですね。
もっと色々と聞きたくなってきましたね。
「五両を埋めて蕎麦が出る」
ChatGPTならなんとかしてくれるはずです。
※ChatGPTによる解説
「五両を埋めて蕎麦が出る」という表現は、大きな投資や努力をしても、それに見合わない少ない成果しか得られないことを皮肉った日本のことわざです。直訳すると「5両(大金)を埋めると蕎麦が生える」となりますが、ここでの「蕎麦」はそれほど価値が高くないものを示しています。
このことわざは、大金を使っても期待したほどのリターンが得られない状況を比喩的に表しています。現代の文脈に当てはめると、大きな投資や労力に対して期待外れの結果が得られた場合に使う表現と言えるでしょう。 ※ChatGPTによる解説
すごいですね、ChatGPTのそれっぽさ力。
大したもんです。
諺って漢文の原典から引いてくるタイプと、こういう感じでなんとなくの言葉との二つの系統があります。作家(戯作者)が使ったり、芝居なんかで新語を使ったりなんかして広まっていくのが江戸時代でした。
現代でも諺作っていいんです。
諺を作ってブロックチェーンにしましょうよ。
それで、意味はChatGPTに考えてもらいましょう。
岡倉天心が言ったとされる言葉があります。
Tea is full of silence. お茶は静寂のるつぼ。
言ってないけど、言ってそう、みたいな。
「年越し蕎麦の尻袴」
とか、私はありそうで無い言葉を作るのが得意です。
「年越し蕎麦の尻袴」という表現は、日本の伝統的なことわざや成句ではなく、一般的には知られていない表現です。しかし、この表現を解釈すると、「年越し蕎麦」は大晦日に食べる蕎麦のことで、「尻袴」(しりはかま)は文字通り「尻に穿く袴(はかま)」、つまり「後ろ向きの行動」や「時期を逸した行動」を意味することから、これらを組み合わせると「時期を逸した行動」や「遅すぎる行動」という意味合いになる可能性があります。
このような表現がもし特定の文脈や物語、話の中で使われている場合、その文脈に基づいて意味を解釈することが可能ですが、一般的な日本のことわざとしては認識されていないようです。 ※ChatGPTによる解説
ついに、知らないと前置きをおく慎重さを急に身につけましたね。
AIらしい行動ですね。
ちなみにですが「豚もおだてりゃ木に登る」も最近作られた言葉です。
え?そうなの?
戦後に会津地方のおっちゃんが言った言葉を、ヤッターマンを作った人が聞いたのを覚えていて、それで作中で使って全国に広まります。
江戸時代だと、豚の軽業、という言葉がありまして、明治時代には豚の木登り、という俚諺がありました。
できない、不得意、みたいな、やっても無駄という意味なのですが、ここに「豚もおだてりゃ」という文を追加して新しい意味を作っているのがポイントですね。
ヤッターマン・・・
明治時代には豚の木登り、という俚諺がありました。できない、不得意、みたいな、やっても無駄という意味なのですが、ここに「豚もおだてりゃ」という文を追加して新しい意味を作っているのがポイントですね。
「豚もおだてりゃ木に登る」ということわざは、日本で広く知られている諺です。この諺の正確な起源を特定するのは難しいですが、少なくとも江戸時代(1603年-1868年)には存在していたと考えられます。このことわざは、通常、豚ができないとされる「木登り」をすることから、「おだてられた(褒められた)者は、普段できないことでもやろうとする」という意味で使われます。つまり、人は褒められると能力以上のことをしようとする傾向があるという人間の心理を表しています。
日本のことわざや成句は、口承文化の一環として長い時間をかけて形成され、伝わってきたものが多く、そのため、多くの諺にははっきりとした創始者や発生年代が特定されていません。しかし、この諺が江戸時代の文学作品や記録に見られることから、少なくともその時代には既に使われていたことがわかります。 ※ChatGPTによる解説
惜しい、豚の木登りは明治!江戸後期に戯作で豚の軽業が出てきます。そんなのあるなら見せてみな、みたいな。やれるもんならやってみろ、という意味ですね。ちなみに徳川慶喜のあだ名は「豚一」です。
豚は昔から日本に居たんですね。
薩摩で育てられておりまして、野菜が薩摩ではとれにくいので、豚を食べておりました。元は琉球からの伝播だと思います。中国では応接の最高の食材は豚なのですが、琉球に中国から使者が来た時は毎日もてなさねばならず、しかも100人単位で半年ぐらい滞在するので豚が足りなくなり、琉球で領民に「豚をそだてろー!」と豚育成を奨励した結果、琉球は豚食文化になります。
それでも高級食材で、庶民はカタツムリ食ってたそうです。丁寧に処理して汁物にしたんだそうです。戦後しばらくまで。こんな豚食文化の影響を薩摩も受けて(薩摩藩が琉球に武士を派遣して常駐させていた)豚食べるようになったようです。 ※過去記事参照
カタツムリと豚、だいぶ違いますね。
だいぶ違いますよね。豚は儀礼食というか、ハレの日の特別な食べ物だったようですよ。
どんな料理だったんですかね。ラフテーみたいな?
ラフテーとか、あとは特に珍重されたのが豚足ですね。脂っこっくて現代人は食べられないです。ペリーが来航したときに幕府側は高級料理でもてなすのですが、ペリーが「ハンペン、嫌い。キモい。琉球のご飯美味しかった…」って回想しています。多分これは豚肉料理のことですね。ちなみにラフテーは、トンポーローが伝わったものだと言われております。
そんな記録まで残ってるんですね。記録大事。
ペリーの『日本遠征記』という航海日誌みたいのが残っております。
羅火腿と書いて、ラフテーとよみます。民明書房じゃないです、本当に。羅火腿 ルォフォトェイ と発音します、中国語では。火腿は、ハムの意味で現代中国語では使われます。薄切りしてないだけで、確かにハムですかね。
ゴーヤーもそういえばこの頃ですね。17世紀初頭にはすでに琉球に来ていたようです『琉球国由来記』という書物で見たことがあります。
ゴーヤは沖縄古来種では無いんですね。
バリバリに中国からの伝来であります。苦瓜は中国語ではクーグゥアーとよむのですが、これが聞き取れなかったのか、なまったのか「ゴーヤァー」に。
なるほど、伝統って何年経過したら伝統になるんでしょうね。
ケミストリーの曲みたいですね。なんか古っぽかったら伝統、みたいなかんじありますよね。「マジ、ヤバ!」って江戸時代から使っているのに伝統的な言葉の仲間入りをさせてもらえてませんし。
マジですか、それはヤバいですね。
使っている意味も用法も同じです。マジ、ヤバー!っていう若い子とか、非常に伝統を重んじてらっしゃる。
そういえば、医食同源ついでですが。
いよいよ本題ですね。
良薬は口に苦しって、医学関係ないんですよ。
私は龍角散のコピーかと思ってました。
アレは孔子の門下生たちが集まって先生がこう言ったぞ、みたいな同窓会の記念誌みたいのをつくりまして、孔子家語というんですが、その中で、良薬は口に苦し が、効く薬は苦いのと同じで、役に立つ忠告というのは結構グサリとくる。だから我慢して取り入れるのですみたいな忠告の意味であって医学書でもなんでもないです。薬自体のことではなく、忠告のたとえ話だったのです。
どこで歪曲するんでしょうか。
これも戦後以降ですね。戦後になると論語読む人いなくなるので、出典とか元の使われ方がわからなくて「医学関係じゃない!?」みたいな聞きかじりが…。字が読めなくても太平記や平家物語などを知っている不思議な人たちだったのですが、これはラジオで教養の時間、みたいなかんじで流れていたのを聞いて耳学問した結果、勘違いしてしまうことが多かったようです。
戦時中の敵性語を機に出鱈目になった言葉が他にも色々とありそうですね。
「犬も歩けば棒に当たる」とか。
昔の犬なんてペットみたいな生やさしい扱いじゃないので、追っ払うような害獣でした。犬もふらふらと出歩いてると棒で殴られる(あたる、は殴るの古い言葉)人間もでしゃばると殴られる。だったのが、思いもかけないところでラッキーなことがある、とか意外性をあらわす言葉になってますね。
そう言う意味だったんですね。
これは「あたる」という言葉の用法・意味が変わったために起こった、意味の変化ですね。
これ、いまいち使い方が分からない言葉だったんですよね。
使わない言葉ですよね、これ。かるた以外で。
私は使ったことが無いですね。
三すくみ、なんかも何が蛇・ナメクジ・蛙というのはもう忘れられていますよね。蛇がナメクジを怖がり、ナメクジは蛙を怖がり、カエルは蛇をこわがる。
古舘伊知郎ぐらいしか使わないでしょうね。
ちなみにナメクジは、ナメクジラと古くはいいました。
怪獣じゃん。
色々と勉強になりました。風呂に入るんで、今日はこれぐらいで。
おつかれちゃん。
『耕作』『料理』『食す』という素朴でありながら洗練された大切な文化は、クリエイティブで多様性があり、未来へ紡ぐリレーのようなものだ。 風土に根付いた食文化から創造的な美食まで、そこには様々なストーリーがある。北大路魯山人は著書の味覚馬鹿で「これほど深い、これほどに知らねばならない味覚の世界のあることを銘記せよ」と説いた。『食の知』は、誰もが自由に手にして行動することが出来るべきだと私達は信じている。OPENSAUCEは、命の中心にある「食」を探求し、次世代へ正しく伝承することで、より豊かな未来を創造して行きたい。