2020.07.18

金のなる木のあったころ
チョコのお話 第二夜

カカオの実

第一夜に続いてまたチョコの話をちょこっとしてみたい。

前の記事では、スペイン人によって征服されたアステカでのチョコのお話。
その後もスペインは植民地を獲得していき、世界に覇権を伸ばしていく。

かつてアステカ帝国で「飲む貨幣」であったカカオは、ヨーロッパには存在していないために、スペインがほぼ独占的に販売できる主要特産物となった。
(ちなみに赤い色素もスペインの重要な特産物だった。原料はカイガラ虫という虫。これを乾燥させて、アルコールや水で抽出した液からとったものが現代でも使われている「コチニール色素」。さすがに虫から取るという事実は当時でも公表できず、長く「新大陸の方にはコチニールの木っていうのがあって。うん…それで赤い染料つくってるの」と正体は隠されていたのだった)

そうしてカカオはスペイン・ポルトガルの船に乗せられ、異国の王の飲み物として、珍貴なチョコはヨーロッパの貴族階級の間で飲まれることになる。

ヨーロッパでも、カカオはアステカ帝国と同じで「飲むお金」だったのだ。それらは巨万の富を産んだ。
当然、それを掌握しているスペイン経済を潤した。

当時、その地でこのカカオ農園を経営していた、カトリックの教会の存在がイエズス会の書簡から知られている。カカオ農園を経営し、カカオを販売して富を得ていた。
教会がそんなことをしていいのか?
これはイエズス会では普通によくみられることだった。

日本にキリスト教を伝えにきた、あの有名なザビエルはイエズス会の人で宣教師である。(イエズス会を作ったイグナチオ・デ・ロヨラは、ザビエルと同じバスク地方出身で、パリの留学先の大学で一緒で同級生というダチな関係)

このザビエルが1549年、つまりザビエルが日本に来たその年の11月にマラッカ長官にこんなお手紙を書いている。

「ねえ、日本の港湾都市・堺ってところ、ビジネスチャンスがむっちゃあるから、現地会社つくらない?」と。

そして

「私はマラッカ長官の日本向け商品の買い付けとか販売とかする仲買人になるからさ、そしたら長官儲かっちゃうよ?モテモテだよ?(※モテモテは言ってない)」

と、いう内容である。

ベンチャービジネスをするのに融資をしてもらう感覚でザビエルはこのように提案するのである。
この投資はWIN-WINの関係ですよ、と。
なにも金銭的に儲かることだけがザビエルの利益ではなかった。

ザビエル的にはこうだ。

日本にポルトガルの商館がたくさんできる

ポルトガルの船がたくさん来るようになる

通航らくらくでイエズス会のアジア拠点のゴアから日本への定期便ができちゃゃうかもしれない

日本の布教体制も整備しやすい

こんな感じで、イエズス会においては、布教とビジネスはセットの関係が成立していくことになる。
ビジネスチャンスのあるところには、交通網が発達するのは当たり前。その交通網は布教の命綱でもあったのだ。

某有名歴史ゲームをやっていて、南蛮寺を立てるとなんで「商業」のパロメーターが上がるのかというと、実はこういう理由なのだ。

布教したり施設を維持したり、修道士を養ったりするためにはお金がかかるのである。それを本国では面倒がみれない遠地では、自活していくのがイエズス会スタイルだったのだ。

さて、事情はメキシコでも同じだった。

メキシコでもイエズス会は、カカオ農園を経営し、その利益で布教費用を作るという自走型ビジネスを展開していた。まさにカカオはお金そのもの。ヨーロッパに渡っても「飲むお金」であり続けたのだ。

ただここでちょこっとした宗教論争が起こる。

「チョコ定義論争」である。

カトリックにはイエスの復活祭前の期間には断食をするという習慣がある。

断食を好きという人はあんまり世の中多くない(ちなみに三石は昔はほぼ断食していたが、現在は普通に2食たべる)。

断食というとイスラーム世界を思い出すかもしれない。
ちなみに妊婦であったり、老人であったり、病人、軍人、旅行中の人などは断食をしなくてよい。イスラームは、結構人にやさしいのだ。

イスラーム世界ではラマダーン月に断食をするのだが、ずっと1ヶ月間飲まず食わずというわけではない。

太陽が出ている間だけ断食して、日が沈むと皆でパーティーのように集まって食事をする。大体メニューはというと、油で揚げた超ハイカロリーなもの中心の食事をとる。そして、ものすごい甘いお菓子を激食いし、また日中に備えるのである。その結果、「ラマダーン太り」という言葉もあるぐらいだ。

しかし、カトリック修道士に課せられていたものは、短期間といえども、ガチな断食。

そこで修道士は思ったのだ。
「チョコはアリなんじゃ…」と。

新しく珍奇なチョコというものは、定まった定義がなく、まだ何者にもなり得たのである。

合法チョコ論争 -これはドラッグか

そこで争われたのは、薬か、食品か。液体か、固体か。であった。

断食中に「食品」を食べていいわけがない。

「薬?薬なら仕方ないなあ」と薬はOKだった。

しかし固体はアウト。液体ならOK。

「お前、なに食べてんだ!」

「食べる薬ですよう。もぐもぐ」

などというのが許されるわけがなく、基準としてはわからなくもない。

お腹をすかせた修道士たちは「チョコはドラッグですから合法っすよ。へへへ」と、合法チョコにするべくデータを探し、自分たちを正当化しようとした。
しかし、チョコは「違法」だとする人々も当然いた。

「これは健康にいいです!合法ドラッグです!」

「いやいや、どうみても砂糖と混ぜてるし、美味しいし、食品だろ!違法だ!」

「砂糖は『神学大全』を書いたトマス・アクィナス大先生が「砂糖は消化にいい。薬だ」って言ってます!合法チョコです!キリッ」

などという論争が100年近くも続くのであった。

しかし貴族たちはお構いなし。

「美味しいし、どっちでもいいんじゃない?」

と、ココアは飲み続けられ、そしてだんだんと庶民へと広がりはじめる。
そして、この聖職者の飲み物は、意外なところへと飛び火していくのであった。

photo: Sena Kaneko

私は、だいたい数日に一食しか食べない。一ヶ月に一食のときもある。宗教上の理由でも、ストイックなポリシーでもなく、ただなんとなく食べたい時に食べるとこのサイクルになってしまう。だから私は食に対して真剣である。久々の一食を「適当」に食べてなるものか。久々の食事が卵かけ御飯だとしよう。先に白身と醤油とを御飯にしっかりまぜて、御飯をふかふかにしてから器によそって、上に黄身を落とす。このときに醤油がちょっと強いかなというぐらいの加減がちょうどいい。醤油の味わい、黄身のコク、御飯の甘さ。複雑にして鮮烈な味わいの粒子群は、腹を空かせた者の頭上に降りそそがれる神からの贈物である。自然と口から出るのは、「ありがたい」の一言。