2020.06.28

金のなる木のあったころ チョコのお話 第一夜

木になったカカオの実

15世紀から16世紀、現在のメキシコのある場所にはアステカ帝国時代が繁栄していた。
そのアステカ帝国では、金のなる木が栽培されていたのである。

もう題名からもわかる通り、それはチョコレートの原料であるカカオのことである。

日本が石高制で武士の給与換算が米でなされたように、アステカでもカカオが給与になっていた。

日本の場合には別に米何粒と数えることはないが、アステカのカカオは個数で貨幣の役割を果たした。

日雇い労働者の日給がカカオ豆100粒。

ちなみに16世紀に書かれたナワトル語の文献によれば、

  • 大きなトマト1個=カカオ豆1粒(※小さいトマトなら1粒で20個買える)
  • 小さなウサギ1羽=カカオ豆100粒

と、いった価値になったとある。

じゃあカカオ豆ならなんでもよいのか?というと、そういうわけでもなかった。

粒が揃っていれば正価で取引され、しなびたカカオ豆の価値は2割程度低い扱いを受けていた。

そうなると悪いことを思いつくヤツも当然いる。

ニセ金ならぬニセカカオ作りをする輩である。

外の殻はカカオ豆なのだが、中は全然違う詰め物を入れてしまうのである。あるいは漂白して白カカオを作ったり、焼いて熟成させた感じにしてみたりと手を変え品を変え、フェイクカカオを作っていた。

しかしそんな細かい作業をしても一粒でトマト1個分なのだから、ニセカカオ作りをする方が却って手間になると思うのは私だけだろうか?

やはり、このニセカカオ作りは割が悪かったらしい。

スペイン人がやってきて金貨・銀貨をもたらすとこちらの方が通貨としての価値が高いので、フェイクカカオ作りは廃業して、代わりにニセ金作りが横行したといわれている。

さて、そんなカカオ豆であったが当然、食用にも用いられた。

厳密な言い方をするとカカオが一般に食べられるようになるのは17世紀にロンドンのパン屋がケーキのレシピにカカオを使うようになってから。それまではずっと「飲みもの」だったのだ。

チョコレートは飲み物。

なんだかウガンダ・トラの「カレーは飲み物」を思い出す。

アズテック式本家チョコレートの作り方

ベルナール・ディアス・デル・カスティージョ
ベルナール・ディアス・デル・カスティージョ (1496 – 1584)

このアステカ帝国は、スペイン人のコルテスらがやってきて征服してしまう。
他の紛争でアステカ帝国が疲弊していたのと、スペイン人が持ち込んだ疫病によってアステカ帝国はあっという間に寡兵のスペイン征服者によって倒されてしまうのであった。

さて、この征服者コルテスの側近だったベルナール・ディアス・デル・カスティージョという人物が80歳になってからまとめた回顧録によればこんなである。(原文も翻訳文もとても読みにくいので内容を箇条書きにまとめると)

  1. アーモンドとかカカオと呼ばれているこの種をすりつぶして粉にする
  2. なんか突起?のある器にいれて、水をいれてスプーンで混ぜる
  3. どんどん器を変えて混ぜて泡立てる

この人物の言うことは結構、思い込みとウロ覚えで書いているので歴史史料としてはちょっと鵜呑みにできない。

なぜ器を変えるのか、そもそもカカオ粉末って泡立つものなのだろうか??

しかし我々には強い味方がいる。より信用できる史料を提供してくれるのは、同時代にフランシスコ会修道士で現地のナワトル語も堪能であったベルナルディーノ・デ・サアグンという人物だ。

彼はナワトル語で現地取材を積み重ね、聞き取り調査をそのまま書いてくれている。アステカ研究でもかなり信憑性の高い歴史史料なのである。

サアグンの『ヌエバ・エスパーニャ概史』のフィレンツェ本によると概ねベルナール・ディアスが言っている過程と同じなのだが、器を変える理由が判明する。

空気がしっかり混ざるようにするために、濾し器で濾しながら器から器へと何度も移し変えるのだという。

なるほど、カカオ粉末だけでそんなに泡立つわけはないから、空気で泡立てていたわけだ。つまり抹茶のように、クリーミーにして飲んでいたのだ。

しかしこれは特権階級の人たちのブルジョワジーな飲み方である。

なにしろカカオ自体がお金なのだから、100%カカオで作ったチョコレート飲料は「飲むお金」である。とても高級な飲み物だった。

ベルナルディーノ・デ・サアグン (1499 – 1590)

一般人はどうしたかというと、アルカリ処理したトウモロコシ(ニシュタマリゼーションという)とカカオと水とを混ぜたものを飲んでいたとサアグンは取材している。

これは他の修道士も飲んだ記録が残っていて「とても美味しい」と書いている。メキシコに行くと必ず出てくるピノーレという飲み物のご先祖様のようなものかもしれない。

ピノーレ
By GrammarFascist – Own work, CC BY-SA 4.0, Link

しかしアステカのカカオの飲み方は、ピノーレのように食事中のトルティーヤを流し込むためのものではなかった。

某大手お菓子メーカーのホームーページには「アステカの皇帝は黄金のカップで1日50杯飲んだ」と書いてあるが、これは例のコルテスの側近ベルナール・ディアスが80歳を過ぎたかなりの老境に至ってから過去の思い出をまとめた回顧録が元ネタである。

前述の通り、彼の記述はかなりの誇張と間違いが多いので彼の記述だけに従うわけにはいかない。

こういう時は、サアグンさんに聞いてみよう。

現地のナワトル語に通じたサアグンが当時に聞き取り調査をした限りでは、アステカの皇帝はカカオ飲料を飲むときには、彩色されたヒョウタンを器にして、食事の最後にタバコと一緒に出されたと記している。

アステカの皇帝の場合には、蜂蜜入りのチョコレート、バニラ風味のチュコレートなどの飲み物が供されていた。

この当時にしてチョコにフレーバーが既にされていたのである。

しかしこれは神にも等しい皇帝陛下のチョコレート様のお話である。

他の特権階級の人々はというと、どうもここにホット・チリの粉末や黒胡椒などを入れてスパイシーにして飲んでいたことがわかっている。

食後の清涼感は確かにありそうだ。
実際、現代メキシコのプエブラ(モレと呼ばれるソース発祥の地)料理に「モレ・ポブラーノ」というものがある。

茹でた鶏肉にこのモレ・ポブラーノをかけてメキシカンライスと食べると絶品なのだが、これはハバネロの効いたチョコレートソースなのだ。

モレ・ポブラーノを食べて以来、鶏肉・チョコ・チリは合う、が私の持論となっている。チリの効いたチョコレートソースはやみつきである。

チョコレートのプラシーボ

ちなみにチョコレートはアステカ帝国では王の強壮剤や媚薬だった、と巷でいわれている。

それはスペイン人が強壮剤を探し求めていたからそう見えただけであって、アステカ帝国ではチョコレートを媚薬として用いていたわけではない。(媚薬だといっているのは例のベルナール・ディアス爺さんの回顧録だけである)。

エロい目をしてエロいものを探すからそう見えるのである。

皇帝がハーレムの女子たちとチョコレートを飲んでいたら「あれはエロい飲み物だ」と、例のベルナール・ディアス爺さんに誤信されたのである。

アステカ帝国側として実際に期待していた効果は、幻覚キノコと同等の酩酊感であった。

カカオは興奮作用物質は確かに含まれているが、幻覚も見ないし、それで酔うこともない。それは子供の頃から経験済みだ。

しかし、アステカの人はチョコレートで酔ったのである。

しかし酔ったのはアステカの人だけではない。

アステカ人(メシコ人)からナワトル語で「これは酔うからあんまり飲んじゃダメだ」と聞き込み取材で何度も聞いていたフランシスコ会修道士サアグンも「あんまり飲むと酔ってくる」と書いている。

そんな物質は、カカオには含まれていいない。

これもう完全にプラシーボなのだが、そういう作用があると信じて飲んでいればそういう作用が出てくるのである。

この酩酊が恐怖を取り去り、楽しい気持ちになり、元気が湧いて勇敢になるものがチョコレートだった。

そのため、兵士にはチョコレートの丸薬が配給されていた。おそらく、これを水で溶かして飲んだのだろうといわれている。

彼らにとってのチョコレートは、さながら西部劇でジョン・ウェインがあおる気付けのバーボンかウィスキーのようなものであった。

おそらくこれはカカオが心臓の形に似ていることからの連想だろう。神に捧げられた生贄の心臓と同じような形のものから生まれる、ドロドロとしたその黒っぽい飲み物は血液に擬せられ、戦士たちに「野生の血」を飲ませるような効果が期待されていたのかもしれない。

スペイン人は催淫作用をプラシーボし、アステカの人々は酩酊をプラシーボしていた。

もしカカオは催淫物質ではないとスペイン人が知っていたら、彼らはきっとヨーロッパに持ち帰らなかったであろう。そして、それは現代のチョコレートにはつながらなかったはずだ。

ちょこっとした勘違いが生んだ歴史。

それが、チョコレート世界の幕開けであった。
[第二夜につづく]

photo: Sena Kaneko

私は、だいたい数日に一食しか食べない。一ヶ月に一食のときもある。宗教上の理由でも、ストイックなポリシーでもなく、ただなんとなく食べたい時に食べるとこのサイクルになってしまう。だから私は食に対して真剣である。久々の一食を「適当」に食べてなるものか。久々の食事が卵かけ御飯だとしよう。先に白身と醤油とを御飯にしっかりまぜて、御飯をふかふかにしてから器によそって、上に黄身を落とす。このときに醤油がちょっと強いかなというぐらいの加減がちょうどいい。醤油の味わい、黄身のコク、御飯の甘さ。複雑にして鮮烈な味わいの粒子群は、腹を空かせた者の頭上に降りそそがれる神からの贈物である。自然と口から出るのは、「ありがたい」の一言。