- 書名:日本文化の核心「ジャパン・スタイル」を読み解く
- 著者:松岡正剛
- 発行所:講談社
- 発行年:2020年
本はどうやって選んでいるのか、ということをよく聞かれる。ある本を読んでいるとそこには読まなければならない本が嫌というほど出てくるのだよ、という話をする。それはネットでもテレビを見ていても同じなのだ。もちろん漫画を読んでいてもだ。
以前RIFFのBOOK紹介でOPENSAUCEメンバーの縦横無尽に歴史データをつないで物事を解明する歴史学者三石晃生氏が、原作:牛次郎、漫画:ビッグ錠の『包丁人味平(1973〜77年週間少年ジャンプ)』についてとても面白い話を書いていた。読み直したらやっぱり面白いのだ(ぜひ、読んでほしい)。
で、そこには興味をひく文章があった。
<この『包丁人味平』を再び読み返してみて、気づいたことがある。多少ネタバレになるのだが、「和食最強」なのである。(略)仲代は和食の料理人だったはずなのに、洋食も器用にこなしてしまうのである。そして次の無法板の練二こと鹿沼練二は牛一頭の肉捌きの速さで豪華客船の西洋料理のコックに勝利している。和食、最強。>
<またカレー戦争編では敵の鼻田香作が70年代にしてスパイスからカレー粉をつくるという本格インドカレーを作っているの対し、味平がとったカレーの戦略は和風カレーであった。インドカレーとの対決に対し、醤油を入れるという暴挙ともいえる戦略に出るのである。(略)『包丁人味平』を読んで実際に使えそうな知識は、これと玉ねぎの剥き方ぐらいである。>
なるほど、だ。じつは和食最強を謳っているのか、このマンガ。
これは太平洋戦争突入前夜、1940年生まれの牛次郎の出自、育った時代背景が関わると思うのだが長くなるので省略するが、三石氏の指摘がなければ、ただの料理対決漫画だと読み飛ばしていたかもしれない。
いや待てよ。その前に「和食」とはなんだ、「和風」ってなんだ。なにせ主人公は洋食屋の修業人だったのにタイトルは「包丁人」なのだ。うん、「包丁」も元はと言えば中国の人の名前が由来かぁ・・・。
思えば、「やっぱり和食」「侘び寂び」「伝統」「日本文化ってすごいね」などと多くの人が普通に口にする。では醤油をカレーに入れるのは和食の力なのか(違うとは言ってないよ)。日本の文化なのか。うん、じゃあ日本の文化ってなんだ。
あれっ、実は歴史をちょろっとなぞっただけで(いや、なぞりもしないで)、これまで和食や日本文化とか言ってきてないか、オレ。
<食のおすすめ本>として紹介した阿古真理著『「和食」って何?』では、和食とは何かを歴史と食生活の変化、現状データから掘り下げ、その答えを探していた。これは、どちらかというとスタイルと社会の変遷。社会文化システムの話だ(たぶん)。
牛次郎が日本料理vs西洋料理の構図ではなく、洋食というある意味中途半端な世界で「和食最強」を訴えた精神はどっから来たのか。それは単なるほぼ戦中生まれが敗戦で味わった悔しさなのか(いや、子供だったからそんなに感じてはいないか)。それとも日本人の文化的DNAのなせることなのか。だとしたらその文化って何だ・・
ということで、ようやく本書、松岡正剛『日本文化の核心「ジャパン・スタイル」を読み解く』にたどり着いたのである。
本書前置きにもあるが、松岡正剛は1970年代の終わりに、たらこスパゲティを食べて感動し(世の中に初めて登場したのだから仕方ない)、小さなラーメン屋が独特のラーメンを作り、コム・デ・ギャルソン、ヨージヤマモト、イッセイミヤケが素晴らしいモードを提供しはじめ、陽水や桑田佳祐が独自のポップスを作り出し、AKIRAが連載されたのを見て、日本はなんとかなると確信した(なんの話だよ、って思うんだろうけど今の人は)。その通り、それらの「試み」はおおかた世界へ飛び出したり、それぞれの世界に影響を与えた。
しかしその10年後には日本はがっくり低迷していた。民営化とグローバル資本主義が金科玉条になり、カワイイですべてがまとめられ、司馬遼太郎が「日本はダメになるかも」とつぶやく。さらに10年後、ベルリンの壁がなくなった反面、湾岸戦争という大矛盾がやってくるなか日本はバブル崩壊したままに「カワイイ」文化を蔓延させた。
松岡はこのままでは日本はなんとかならないぞ、と思った(のだと思う)。1970年代終わりに起こった「試み」によるエネルギーは異常なまでに減衰していったのだ。グローバル資本主義に席巻されるマネー主義が軽々と蹂躙し、日本の哲学が浮上することはなかなかおこらなかった。
そこで「Jポップや日本のアニメ、現代アートに何が潜んでいるかを明らかにするための日本文化や哲学はほとんど解説されなかった」と考えた松岡が①『日本文化の真骨頂』②『日本文化の正体、核心』③『日本の特色はどこにあったのか』を新しい切り口で解説を試みようとしたのがこの本である。
日本文化を知ろうというならば、この三つを理解しないわけにはいかないではないか。しかし、この遡り方は編集工学の松岡正剛先生でなければできない技だ。
少し内容に入ると、本書の最初に松岡は、古代日本の共同体の原点は「柱の文化」だと語っている。
原子古代に中国から「稲・鉄・漢字」の3点セットが続けてやってきて、約1万年に及ぶ自給自適な縄文時代のあとの日本を一変した。3点セットは豪族が君臨する社会へ導き、大和朝廷を確立する一族=天皇家を誕生させる。税制の仕組みをつくり、律令制、祭祀を行うようになる。仏教も受け入れた。これが「柱の国」の誕生だ。(なんと、ここから入るのだ、この本は。)
そこから日本人は、もっと深いもの、高いものを「柱」に込めた。神様は「御柱」と呼ぶようになる(いまでも遺骨は神様になった人なので「柱」で数えるしね)。で、日本人は「柱を立てる」ということを大事にするようになる。村を立てる、国を立てる、身を立てる・・
(あれ、和食に「天小地大」という土台を太くして上に細く天盛りする盛り付けがあるけど、なんか近いな。盛るというよりは「立てる」ということか。いや考えがまだ浅い?)
本書はこのような日本の成り立ちから入り、日本文化が中国語のリミックスで花開き、コメ信仰の意味を解明し、神と仏の習合の不思議の国を見直し、すさびとあそび、サビやもののあはれ、と和の起源へ向かう。そして一寸法師からポケモンまでの日本的ミニマリズムの秘密を解き、「粋」と「いなせ」にみるコードとモードの文化を検証していく。
その作業はいちいち面白くスッキリと合点がいくのである。
松岡は「日本人はディープな日本に降りないで日本を語れると思いすぎたのです。これはムリです。」と言う。
そう、和食の文化というのも、良し悪しではなく西洋の食の文化とは成り立ちが根本から違うのだなあ。そこまで降りて行かないと。これまでもRIFFで触れてきたけれどそこまでの深さには至っていない。まずはこの本で日本文化の核心を一緒に覗いてみようではないか。
松岡正剛:編集者、著述家。編集工学研究所所長、角川武蔵野ミュージアム館長他。東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授を歴任。「松岡正剛 千夜千冊」は古今東西1700夜を超えるブックナビゲーションサイト。
出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。