2023.05.09

日本の正しい調味料【私の食のオススメ本】

日本の正しい調味料 表紙

  • 書名:日本の正しい調味料
  • 著者:陸田幸枝
  • 発行所:小学館
  • 発行年:2000年

『サライ』は1989年、バブル期の真ん中に創刊された雑誌だ。50代以上のシニア向けに旅やグルメそして歴史と文学をメインした内容で35年も続いている。発行部数は12万部。現在の『サライ』を見てみると、NHK大河ドラマの展開解説や朝ドラの話題も多く、読者層は50代というよりは70代後半という気がしないでもない。

そんな『サライ』の連載企画「もうひとつの旬」から日常使用の調味料選び出したのがこの本。日本の地方で作り続けられている醤油や塩、酢などの調味料の特集だ。それらの生い立ちは遡ると千年をゆうに超える。

パンチの効いたタイトルは『日本の正しい調味料』。あまりにきっぱりしているので「何が載っているんだ」と興味が湧いた。

取材は食文化ジャーナリスト、陸田幸枝。1948年愛知県生まれ。日本民俗学会会員・日本伝統食品研究会会員。「敗戦後の日本の食の信頼が大きく揺らいだ時代に、あやしげなものを食べて育つ」とプロフィールにあり。戦後日本の食の変遷を体験し、語れる人たちも若くて70代後半に差し掛かった。それ以前からとなるとどんどん薄くなっていく。

陸田幸枝は『草の根食文化』や伝統の技を継ぐ人たちを各地で取材し続ける。本人は自ら「千年の技の記憶を見聞し伝える仕事を重ねる」と書いている。

しかし、人はなぜ調味料造りのために時間や年月をかけようと思ったのだろうか?なぜ、こんなもんだね、と途中で使ってしまわなかったのだろうか?「もっとおいしくなるはず」というのは希望だろうか、旨みに対する欲望だろうか?

陸田幸枝のカメラの様で、それでいてやさしい文章を読むにつれて、生産者や職人の一つひとつの仕事と時間の重さが沁みてくる。
「子供の頃は、刺身には黒く濃くとろりとひっぱるくらいの“さしみだまり”だった」
うっすらと黄色い麹の花を咲かせた、げんこつ飴の様な味噌玉麹を木桶に仕込み、重石を置いてから塩水を注ぐ」

こんな言葉を使いながら職人たちの仕事は読者に伝達される。

考えたら、ウスターソースがトマトからできていることを日々忘れて使っていた。もしかしたらトマトが主原料だということを知らない子供もいるのではないだろうか?いや、原料がなにかをすぐに言えない大人も多いかもしれない。

なのに、ここで取り上げられている徳島県の製造者は有機栽培の野菜を使ってコツコツと煮詰め和製ウスターソースを送り出している。(同じ地域では和三盆糖の生産は有名なのだが・・・)

実はこの隣町に仕事で住んでいたことがある。徳島空港の側である。しかし、出してもらっていた食事にはこのソースは出てこなかった。大手メーカーのソースがドンとテーブルに置きっぱなしになっていた。

この本で取り上げられている調味料は市販されているがどこでも売っているわけではない。だからこの本は「全部取り寄せ情報付き」とある。

『サライ』はお取り寄せのはしりでもある。食材は地産地消でというが農業政策上、矛盾がある。こういう職人的な作り方で造ったものも同様に送料を払ってでも手に入れようという人たちが増えたのはバブルのせいでもある。少量生産のものを売っている場所は少ないし、どんな地方でもスーパーの値段には負けてしまう。

もちろん、本書ではその地域ならでは、郷土料理の味を決める調味料が作られているのも確かだ。

本書では次の調味料が取り上げられている。
秋田県湯沢の「醤油」/愛知県知多の「たまり」/沖縄県粟国の「海の塩」/徳島県板野郡の「ウスターソース/京都府宮津の「純米酢」/鹿児島県姶良郡の「壺酢」/福島県須川の「りんご酢」/愛媛県宇和島の「麦味噌」/徳島県麻植の「ねさし味噌」/岐阜県加茂郡「みりん」/福島県西白河郡の「料理酒」/徳島県板野郡の「和三盆糖」/大分県大分郡の「柚子こしょう」鹿児島県伊佐郡の「胡麻油」/香川県小豆島「オリーブオイル」

いつの時代も丁寧に時間をかけて造られる製品は取り上げられるのだが、地元でもそうそう使われていなかったり、経済的に全国メーカーの商品を求めてしまうことが多いように思う。そのために、地元生産者が消滅してしまうか、高額ブランド化するか、そういう層を対象にしていくことを憂いてしまう気持ちが止められない。

WRITER Joji Itaya

出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。