- 書名:大坊珈琲店
- 著者:大坊勝次
- 発行所:誠文堂新光社
- 発行年:2014年
1975年に大坊珈琲店は表参道の交差点近くに開店した。自分が時々その古いビルの2階のドアを開けるようになったのは、開店して1年くらいの時で、まだ二十歳そこそこ、店主、大坊勝次氏もまだ三十代になっていなかったと思う。
独立して近くにオフィスをもったりしたが、長い間行かなかったり、毎回、初めて行くような感じで空いている席に座った。だから一度も常連のように振る舞ったり、扱われるようなことはなかった。
考えれば、常連という人たちも目で挨拶をして静かに運ばれるコーヒーを待つような人ばかりだったのかもしれない。カウンター席を勧められると、大坊さんのネルドリップの淹れ方を間近で見られるので嬉しかった。
「お店の空気は、店主があれこれお客様に言ってつくるものではありません。お客様自身が店に入って、周りのお客様をみて自分で空気を感じるものです。ここでは、あまり騒いではいけないんだろう、などと感じるものです。私は仕事をしているときは黙って珈琲をつくるようにしていました。それは珈琲を淹れるときも、洗い物をしているときもそうです。もちろん、お客様がお店に入ってきたときにお客様の目を見て挨拶することや、聞かれたことに誠実に答えることは当然のことで、従業員にもそう言っていました」とインタビュー(月刊「事業構想2018年8月」)に答えている。
昨今の、シングルオリジンコーヒーの使用や浅煎りの豊かな酸味などが特長のサードウエーブ・コーヒーの代表格、と言われる『ブルー・ボトルコーヒー』の創業者ジェームス・フリーマン氏は「自分たちの店作りの原点は日本の喫茶店文化である」として、影響された店に、銀座のカフェ・ド・ランブル、渋谷の茶亭羽當、そして南青山の大坊珈琲店を挙げている。前出の2店は人に会う時によく使ったが、大坊珈琲店は一人で行く場所だった。(2013年の閉店の月、38年間の営業期間のなかで息子と行ったのが自分以外と行った最初で最後だ。)
ジェームス・フリーマン氏は「大坊珈琲店の整然とした空間の中に入っていくと、ピースフルな空間が創造されているのが感じられました。私はいつも(過去、普通の客として数度訪ねている)『この秩序を乱してはいけない』と思いながら座っていたんですが、それは心地よい不思議な感覚でした。」とALL aboutで大坊氏との対談で語った。
また、同記事で「いつも『これは何グラムなんだろう?』とか『どうやっているんだろう?』とか、吸収して参考にしたいと思いながらカウンターに座っていました。大坊さんの所作や、どこに何を置くかなど、決まったルールの中で動いていたと思いますが、それを見て学んでいました。」と話している。
さて、本書には大坊珈琲店の38年間の歩みと、そこで生まれ、訪れる客によって熟成された喫茶文化の思想が書かれている。これは歩みを追わなければわからない。本書の最後には永六輔、矢崎泰久、十文字美信、天児牛大、糸井重里、平松洋子、門上武司、大野慶人、小澤征爾、横山秀樹など作家、芸術家、当時の学生などがその思い出を寄稿している。多くの人たちはたくさんの言葉は交わしていないと思う。
閉店するまで大坊珈琲店では豆と抽出量のメニューが38年間変わらなかった。10g150cc、25g50cc、20g100cc、25g100cc、30g100cc。最初の10g以外はよく理解できないバランスだ。小さな手回しで少量ずつ焙煎して提供していたそのコーヒーの化学的意味は、やっと最近わかってきたのだが、この本はある意味、答えの書いていないコーヒーとコーヒーが作る文化の最良の参考書だと思える。
本書の真ん中に別紙で50ページほど、関戸勇氏による写真集のように綴じ込まれている。こういう写真は一般的には見た目とは異なるものなのだが、この写真に写る深い空気と色の店内は記憶にあるままだ。
出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。