2021.12.08

吉本ばなな ごはんのことばかり 100話とちょっと【私の食のオススメ本】

ごはんのことばかり 100話ちょっと 表紙

  • 書名:ごはんのことばかり 100話とちょっと
  • 著者:よしもとばなな(吉本ばなな)
  • 発行所:朝日新聞出版
  • 発行年:2009年

吉本ばななは「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う」で始まる小説で大学卒業の年に海燕新人文学賞を受賞した。そこには美味しそうな料理は出てこない、というように『キッチン』の紹介を書いたことがある。

(2003年から2015年まで吉本ばななは「よしもとばなな」という筆名を使用していましたが本稿では「吉本」を使用しています。)

その吉本ばなながタイトル通り<ごはんのことばかり>思ったことを綴ったのがこの本である。こんどは「おいしい」や「たべることの憧れ」、ぼんやりとした「食べることの意味」が満載である。この本には友人のともちゃんと作ったレシピまで載っている。

デビューから30数年たち、その間に子供を持ち、吉本はその子供のための食事も作ってきた。彼女のブログ「よしばなうまいもん」にはレストランの料理からスーパーで買えるジャンクな食べものまで、そこに並ぶのは彼女が食べて美味しいと思ったものの写真とコメントだ。

そんな吉本の食ゴコロが書き留めたのは、自分や自分の周りの人間たちが食べ物とどう「共存」しているか、ということかもしれない。食べ物自体との「共存」というのは変な言い回しだが、読むにつれ、それが適切だと思えてくるのだ。

吉本は約束をしてない「ともだちに道でちょっと会って、立ち話をしながら近所の美味しいものの話をするっていうのは、この世の幸せの中でもかなり上位に入るだろうと思う」と書いている。

世界でいろんなことが起きている中で、そのことを幸せの基準にしたいほど共感してしまう名言だと思う。

吉本が、カルディに売っていた「昆布屋の塩」という味付きの塩と卵だけでつくるチャーハンを友人の料理家ともちゃんに伝授されるという話がある。様々なアレンジでその塩にハマって行ったが、突然、製造中止となる。

社名を頼りに連絡を試みると(その執着もすごいが)、職人がやめたため同じ味が出せなくなったというのが理由だった。なぜレシピも残さなかったのかと意気消沈したが、同じような製品を捜しつづけ「ろく助の塩」にたどり着く。その味探しの旅は推理に近く楽しかったと書いている。

また、母親が入院した際の食べることに関した話がある。2ヶ月以上の入院で食欲のなかった母親は「なんでもいいから、目の前で作ったものが食べたい」と言い出したのだ。

ここで吉本は、以前、野口整体の野口晴哉氏の「弱っているときには食べないことが体の欲するところであり、食べなければ渇望が起こる・・」という言葉を思い出している。ホメオパシーに傾倒している吉本らしい。

この本には、目次がない。キムチと韓国海苔の話。台湾の客家料理が日本の昔の味に似ている話。堀井和子さんのタコ飯のレシピのこと。アニサキスのこと。恵比寿、立原のアマレットの効いたぜんざいの話・・・。

この本は、ともちゃんが好きなカルディーの小魚とスパイスとナッツがミックスされた「ロイヤルナッツ」を食べながら読み進むのがいいと思う。

WRITER Joji Itaya

出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。