これは2008年から2013年まで ニュー・サイエンス社発行「季刊・四季の味」に『銭屋の勝手口』として連載された銭屋主人・髙木慎一朗による随筆の一編です。連載では料理人である筆者の目と体験を通して日本料理の世界と人、美味しいものなどについてが綴られています。今回はNo.52 2008年03月17日発売号に掲載されたものを出版社の許諾を得て掲載いたしました。
毎日のこととはいえ、食材の仕入れには本当に神経を使います。
当たり前のことですが、いかなる技術や設備があっても、良い食材がなければ、最高の料理は作れません。朝から調理場で腕を振るうことも大事ですが、いかに良い仕入れをするかということも、同じくらい重要です。出入り業者や生産者とのネットワークを維持することは、毎日包丁を研いで良く切れる状態を維持することと、まったく同義に感じます。
今シーズン(※)は暖冬の影響でしょうか、鰤の水揚げもイマイチでしたし、ズワイ蟹に関しても良かったとはいえませんでした。ましてや、冬の日本海は時化が当たり前。金沢や能登の港から、一隻の漁船も出航しない日なんてのは、決して珍しい話ではないのです。
だからといって、せっかくの冬の金沢、銭屋にいらっしゃったお客様に、鰤も蟹もご用意しないわけにはいかないでしょう。
そんな状況のなかでの仕入れは、私一人頑張ったところで何の意味もありません。頼みの綱は、普段から出入りの仲買人たちなのです。
幸い、銭屋のお客様のほとんどは、数日前までに予約をしてくださるので、猶予がある分まだ助かります。冬の間は、天気予報を常に確認すること、献立を書くこと、仲買人から最新の入荷状況を聞くこと、をすべて平行して、お客様をお迎えする準備を進めます。
話は横道にそれますが、銭屋にはメニューブックはありません。予約の際には、お料理代を承ったうえで、どちらからいらっしゃる方々なのかとか、社用のご接待なのか家族だけの会食なのか、などできる限りお席の情報をいただくようにしています。その情報をもとに、お客様ごとの献立を作るのです。三十歳代の方と七十歳代の方では、お召し上がりになる量など、当然のことずいぶんと異なります。
また、大事な商談を進めながら会食を、というお客様に、焼き蟹なんか出そうものなら大変です。せっかく話が盛り上がったころに、お席の皆さんが蟹の身を出そうと一斉に俯いて無言になるようであれば、肝心のお話が途切れてしまって、商談にも影響しかねません。
ですから、同じ日に同じお料理代をご注文されても、まったく同じ献立をご用意することはほとんどないのです。言い換えるとしたら、料理のオートクチュールという感じでしょうか。
話を元に戻しまして、悪天候時の仕入れに関してですが、こんな時こそ普段からの付き合いがモノをいいます。
(当時の)地元金沢は、近江町市場の忠村さん、山本さん、中谷さん、板尻さん、越野さん、小畑さん、信さん、宮山さん、金沢中央市場の浜本さん、東京は築地の綾部さん、京都は錦市場の西川さん、博多の大石さん。この方たちは、日ごろから銭屋がお世話になっているプロ中のプロ。思い起こせばそのプロたち相手に、よく無理難題をふっかけているような気がします。
私が食材の産地直送にこだわらない理由の一つは、彼らのような目利きプロ集団が存在するからなのです。彼らは、私の欲しい食材の好みを熟知しています。鰤なら何キロほど、蟹ならこのエリアの水揚げ、蕪ならこのサイズ…など、単に大きさや目方だけではない好みも理解してくださり、そして限りなくそれに近いものを見つけてきて納めてくれるのです。
私は料理を作る職人ですが、一年を通して同じクオリティを保たなければプロとはいえないでしょう。昨日はダメだったけど今日は良かった、などという言い訳は、お客様にも自分にも通用しません。そのクオリティの維持に最も必要なのは、彼らのような目利きたちだと思っています。これは、先代から受け継いだ銭屋の大切な財産でもあります。
名仲買人との思い出
そういえば、何年か前に築地の綾部さんに初めて注文を出したとき、ちょっと驚いた出来事がありました。ちなみに、綾部さんを紹介してくださったのは、マフィアの親玉のような風貌の料理の先生、夜の北新地やミナミがよく似合う、あの畑耕一郎先生です。
「あいつは大概のことは何でもやりまっせ」というご紹介を真に受けて、さっそく電話でやり取りをして注文を出しました。食材は宅急便で送ってもらったので、到着は翌々日の午前中でしたが、荷を解いて中身を確認したら、注文通りでまったく問題なし。新しいネットワークができたと実感した本当に嬉しい瞬間でした。
その日の昼過ぎに、綾部さんから確認の電話をいただき、問題がなかった旨を伝えると、
「ところで髙木さん、今夜カウンター二名の予約取れますか?」
「大丈夫ですが、どなたのご予約ですか?」
「私が参ります。急な用事がありまして、近くに参りますので」
その夜、奥様といらっしゃいました。そして席に坐られた時にこうおっしゃったのです。
「ご注文の通りに納品しましたが、どう使われるのか見せていただきたくて来たんですよ。それがわからないと、こっちも選ぶ際にどんなのをお求めかイメージできないですからねぇ」
「急な用事って、コレのこと?」
本当にビックリしました。そして本当に嬉しかったですね。その夜は、カウンター越しにゆっくりとお話させていただきました。
私のこと、料理のこと、銭屋のことなどを話したと思うのですが、興奮していたのか今となってはほとんど覚えていません。
それ以来、東京に行った際には築地に寄って入荷状況を聞かせていただき、そのあと一緒に場内の寿司屋で朝から一杯やりながら、「こんなのどうですか?あれは最近どうですか?」などと、楽しくコミュニケーションを取っています。基本的に金沢で食材を仕入れるので、綾部さんにはたまにしか注文しませんが、このように親しく相手をしていただけることは、何より幸せなことだと改めて感じます。
また、数年前に亡くなられましたが、近江町市場の忠村水産の野々村さんは、私が物心ついたころから番頭さんで、父の代から二代にわたってお世話になりました。スキンヘッドにハチマキ姿がトレードマークで、通称ノーサン。
私が仕入れを任されるようになったころ、いろいろなことをノーサンに聞きましたが、そのすべてには答えてくれませんでした。その代わりに、私が魚を選んでいるのを遠くから見ていて、ちょっと品質の落ちるようなものをつかもうものなら、しかめっ面で睨まれたりしたものです。私にとっても怖い存在でしたが、もしかしたら亡き父に代わって教えてくれていたのではと、今になって思います。
このようなネットワークのほとんどが、先代のときからの付き合いです。長年かけて築き上げた信頼関係の礎がなければ、私は料理屋を維持していけないでしょう。しかし、馴れ合いになることもまた注意しなければなりません。そこで必要なのは、本物を見極める料理人の眼とプライドだと思います。
お互いプロ同士ですから、常に多くの言葉を必要とはしませんが、仕入れの際に適度な緊張感を意図的に漂わせることは、お互いにとって大切なことなのかもしれません。
料理人は、さも芸術家であるようにいわれることがたまにありますが、私はまったく違うと思います。いうなれば我々は職人です。お客様にご注文いただき、召し上がっていただき、喜んでいただき、そしてもう一度来ていただけなければ、その仕事が完遂したとはいえないでしょう。料理する際に芸術的な感性はもちろん必要ですが、あくまでも美味しく楽しく安全に召し上がっていただくことが大切です。
そして、そのために必要不可欠な鮮魚や野菜などを選ぶ目利きたちも、また職人です。食器や空間造りなどの職人も含めて、日本料理はまさに職人の集合体の仕事といえるのではないでしょうか。料理人のみならず、日本料理を支えるさまざまな職人の伝統が途切れることがないように、各分野でこれからも継承し続けていってもらいたいと切に願います。
美味しい料理を次世代に残すためにも。
この記事は ㈱ニュー・サイエンス社の雑誌 四季の味 No.52
※ 2008年03月17日発売号に掲載されたものです。
石川県金沢市「日本料理 銭屋」の二代目主人。
株式会社OPENSAUCE取締役