- 書名:君が今夜もごはんを食べますように
- 著者:山本 瑶
- 発行所:集英社
- 発行年:2019年
日常の「ごはんを食べる」ということが人それぞれにとって、どういう意味があるのか。もしくは、そこにあった意味を忘れたいこともあるかもしれない。
サザエさんの食卓のような風景はいまどれほど存在するのだろうか?誰かと食べる、誰かのために作る。
コバルト文庫出身の著者が物語は少女小説の空気と若干の泉鏡花的ファンタジーの香りも纏って展開される。しかし、金沢の東茶屋街あたりが舞台ということもあり、地元に住む者としては頭の中で映像化しやすい青春小説でもある。
本書は著者が2017年に発表した、疲れた依頼主の女性の為に出張イケメンシェフが料理をつくり、体も(と言ってもソッチ系の話はない)心も満たされる『エプロン男子 今晩、出張シェフがうかがいます(集英社オレンジ文庫)』という小説の主人公が金沢から東京へ戻るまでのエピソード0的な内容だ。
どちらにも共通しているのが疲れたり、壊れかかった女性が登場することと、「心と身体に愛の滋養」を与えるごはん小説であること。
東京出身の主人公の青年は、ある家具工房の職人の作るテーブルに一目惚れをし、飛び込みで弟子入りをする。そして修行のために家具職人以外の仕事を体験するよう言われ、女友達の営む茶房で働くことになる。良い家具を作るには人生経験を積み、人間について深く理解していなくてはならないと考える師匠の考えからだ。
母子家庭で育ちでもともと料理が得意だった主人公の青年は、友達でもある茶房の若い女主人と料理人見習いの青年とともに厨房に立つ。そして客の笑顔を引き出すことに喜びを見出していく。
ある週の茶房のランチメニューはこうだ。
加賀膳:加賀ナスとひよこ豆のカレー(古代米またはナン)
鏡花膳:能登牛の網焼き(じゃこと野沢菜のおぎり)
小鉢3種 デザート(ほうじ茶と黒豆のシフォンケーキ)
主人公には突然やってきて泊まっていく研究者の恋人がいる。お腹すいて死にそうなの、という彼女に主人公は「とり野菜鍋」をつくる。とり野菜鍋とは、地元のソウルフードでもある大豆と米麹から作る米みそに数種類の調味料や香辛料などを混ぜ合わせた調味みそ『とり野菜みそ』を使った鍋だ。この「とり」は鶏からではなく野菜や栄養を「摂る」という意味が込められている。
メニューといい、とり野菜みその出し方といい、たしかに金沢が舞台だ(逆にピンとこない人は流してしまうかもしれないが)。
主人公と恋人と茶房の主人である女友達の微妙な関係も、若い飲食店が多いこの辺りではありそうな匂いがして、フツーの小説としても楽しめる。結果はなかなか深く、金沢の曇り空のようだが。
そして主人公には東京での「出張シェフ」の原点となるアルバイトの依頼もやってくる。
本の帯には「愛とごはんのために奔走する!」とあるのだが、物語には様々な年齢の女性たちの人生と食卓が登場する。食卓とはテーブルである。そのテーブルで展開されるごはんと人生。
主人公は家具職人の師匠の意図をいつの間にか体感して成長していくのだ。
食に携わるものが忘れてはいけない心がここにある。
出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。