- 書名:その農地、私が買います 高橋さん家(ち)の次女の乱
- 著者:高橋久美子
- 発行所:ミシマ社
- 発行年:2021年
著者・高橋久美子はあのチャットモンチーの元ドラマーだった高橋久美子である。2011年の脱退後は多くの歌手やグループに詞を提供している作詞家であり、エッセイスト、作家、詩人とおして活躍している。著者は愛媛出身で実家が代々農家なのだが、その著者の父親が田んぼを太陽光パネル事業者に売ってしまうと聞き憤慨、その農地を買い戻そうとする。本書はその奮戦記である。
実家である愛媛県、東予の小さな町は、地元では少々有名な米どころだ。里芋や米を中心とした農業がさかんな自然の美しい土地だったという。山間にある実家の田んぼへは、山からの冷たい水が小川を通り流れ込んでいる。
著者にはこの実家の田んぼがなくなり、農業から離脱してしまうことを考えられない。祖父母や嫁いできた母、そこに暮らす妹などは農業をはつらつと楽しんでいる。
だが、生まれた時から農業の手伝いをさせられていたサラリーマンで兼業の父親の世代は大半が農業が好きではないらしい。特に機械が入らない棚田なぞ面倒なのだ。さらに猿が作物を食べるようになってから田畑を手放すようになったらしい。
その父親が近隣の農家と一緒に合わせて2反(600坪)売れば、周りが太陽光パネルだらけになる(事業者は1反以上でないと買ってくれない。)。それは許せないと反旗を翻す。
東京にいて農業をしてない娘と農業に未来を見ることできない父親のコミュニケーション・ブレイクダウン。娘がいつも言っている環境のことを考えるなら太陽光発電にする方がいいではないか、(環境活動家の)グレタさんはえらい!という父親。対して、どれだけ発電できるか知っているのか?20年もしたらゴミになって、鉛やカドミウムが滲み出るかもしれないと迫る娘。
しかし、著者の本音は環境問題よりも祖父母と過ごした土地が黒いパネルだらけになるのが嫌でしょうがないというところにあった。そして、最初は協力を拒んでいた母親と妹も協力者となり父もとりあえずは話を聞いてくれた。
決まってしまったからひっくり返すのは大変だが「土のまま残せるならその方がいい」と、これまで小さい畑をいくつも太陽光パネル事業者に売り、2反の田畑を一人で耕作し野菜を販売しているSばあちゃんが言う。
地域のドンであるK太さんは「自然のまま残せるなら子どもたちのためにもいい」と理解してくれるが、<地域には後継者がいない。スーパーに行けばなんでも買える時代で土地を手放したいのが本音。農地を買いたい人はいない。>と言う。「だから、(太陽光)パネルにしよる人を悪いことをしているみたいに思わん方がええ。実際、政府も環境にやさしい方法と言って今推奨しているわけだからね」と話す。
著者は高校の教科書で知ったピーターラビットの作者ビアトリクス・ポターを目指す。ポターは生まれ育ったイギリスの湖水地方を守るために絵本やグッズの印税でどんどんと草原を買い取っていた。著者はポターのような生き方にに憧れがあった。バンドを脱退してからは絵本や海外絵本の翻訳もしている。
そして自分にも「農地を買い取れるのでは」と考える。37歳の時だ。
以後チームとなる協力者の若者たちも見つけたが、一個人が農地を手に入れることの困難さとある意味不可思議な法律が付きまとう。市庁舎に行ったが購入や名義変更は庁舎外にある<農業振興センター>で行われる。農地を買うには<すでに3反以上の農地を持っている>ことが条件だと言われる。農地を宅地にして購入すると固定資産税が一気に跳ね上がること。それでもいいと思っても、宅地では家を建てなければならない。農地では農業をしなければならない。農業で食っていくことが前提で売買が許可される。
ただ土のままの自然を残しておきたいは通用しない。結局、農業専業の妹の名義ならば購入可能だとわかる。農業未経験者のお気軽話と言えばそれまでだが著者は「農業が農家だけのものでなく、もう少し気軽に始められて、守られる方法があればいいのに」と書いている。
著者、高橋久美子は<黒糖を作ろう>と自分の畑でサトウキビを育てることを思いつく。地元でもサトウキビは昔から作っていた。地元で黒糖工場を企業家させた人間がいろいろ教えてくれる。そして、苗を分けてもらい実家の畑で植え付けができた。
高橋久美子の文章展開は歯切れがいいが、そこにいる人たちそれぞれの農業に関わることの複雑な想いを理解し、しっかりと書き込んでいる。そこからは現在の農業事情が見えてくる。楽しく読んでいいかは微妙だが、面白く読める。
この本は、以前紹介した<イヤイヤ参加したシングルマザーが漁師たちと六次産業に挑む『ファーストペンギン』>のイノベーションとはまた違う。しかし、この国の農業はこうだと思い込んでいる当事者たち、また土地があれば農業ができると思っている一般のひとたちに、そして国の農業政策に、地味ではあるが一石を投じることができる本でもある。。荒川弘の漫画『銀の匙』や一般の人が読みやすいこういう本が、時間をかけて真の<農業改革>へとつながっていくのではないだろうか。
実家の畑では、サトウキビや唐辛子が作られた。後の記述では50本のブドウの木は猿にやられて、地域からの指導もあり抜いてしまった。
ただし、本書は著者とその実家が最終的に地域から孤立していく様子を綴った2021年8月の「長い追伸 そこで暮らすということ」という報告で終わっている。
2020年に提出しようとした申請書の提出がコロナで帰省できず止まってしまった。そして、実家に隣接する狭い道路に1日800台ほどのトラックが通るようになった。これは当時自治会長だった祖父が役所の説得に応じて誘致を認めた工場のせいで、初めは小さな工場が当時の10倍まで増設されたからだ。著者は母と妹と自治会で窮状を訴え、揉めてしまった。ここから地元との歯車が狂い始め、土地を売ってくれるというSおばあちゃんも近隣の人も断ってきた。
著者は<今まで闘ってきたものは工場でも役所でもない、この地域であり、自分の故郷であり、自分を育ててくれたすべて>だと気づいたのだ。最後の文章はコロナ禍の中で未来が見えてこない旨を吐き出している。
<個人的にも、四国の田舎で施設を作るときに水利組合の承諾を得るために接待やら交渉やらでしんどい思いをしたことがある。組合とはいえ、組合長は代々世襲だった。組合費の明細などについて誰も口を出せない世界だった。組合の印をもらわなければ役所に事業許可も申請できない。そう昔の話ではない>
詳細はわからないがインタビュー記事によると著者は2023年1月現在も愛媛と東京の2拠点生活をしながら、チームを作り実家の畑で農業を続けている。
出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。