2018.11.16

おそらく、初めて食べたラーメンの味

中江食堂

幼稚園に入る前ぐらいの頃、父の転勤で一時期仙台に住んでいた。仙台は母方の故郷であり、父と母が出会った土地でもあった。
祖父は私が幼稚園の年長さんのときに癌で他界し、祖母は私が高校生のときにやはり癌で他界した。とても優しい人達だった。
祖父母の家は幹線道路に面した立地で、祖母はその地の利を活かし終戦直後は惣菜屋のような天ぷら屋を営んでいたらしい。そのせいなのか、満州帰りのせいなのか、祖母の料理はハイカラなものが多く、とても美味しかったような記憶がある。

庭には無花果の木があり、季節になるとその無花果を収穫して、甘い佃煮のようなものを作ってくれた。
大好物だった。

現在のようにコンビニやスーパーなどはなく、近所には小さな魚屋、八百屋、お菓子屋などがあり、夕方になると買物カゴを持った祖母に手を引かれ、その日に必要な分の食材を、近所の商店を何軒か巡り、お店の人と世間話をしながら買物をした。

祖母は編み物の天才でもあり、とにかく仕事が正確で早かったようだ。
当時私のために編んでくれた小さなセーターが、まだ何着か残っているのだが、いま見ても実に複雑なパターンの編み方で、なんの設計図もなく頭の中の想像だけでわずか数日で編み上げたというのが信じられないような作品だ。

近所には親戚の家も多く、公務員の叔父さん一人を除き、ほとんどが自営業だったと記憶している。
ガラス屋を営む伯父さんの店の横には公園があり、週に2回ぐらい、自転車の荷台で紙芝居を見せてくれるオジさんが現れた。
しばらく太鼓を叩いて近所の子どもを集め、水飴やソースせんべい、真っ赤なニッキ味の、いかにも身体に悪そうなせんべいを売りつけて、月光仮面や赤胴鈴之助の紙芝居をダミ声と裏声を使い分けて演じて見せてくれた。
今はもうそんな光景を見ることなどなくなってしまったが、もしあのまま正常進化していたら、電気自転車に液晶ディスプレイをつけてキーノートでバリバリのエフェクトを使ったスライドショーを見せながら、うまい棒でも売るスタイルになっていたのだろうか。

書きながら幼い頃の思い出がどんどん蘇ってきているのだが、ガラス屋の隣に、一軒の食堂があった。小さくて小汚い食堂だ。
なぜその食堂を思い出したのかといえば、おそらく私が初めて食べたラーメンがこの食堂のラーメンだったのではなかろうか? と思えてきたからである。
「美味しい!」と、ズルズルすすり食べた記憶があるものの、記憶というのは曖昧で、ときに勝手に脚色されたり、都合のよいように無意識にすり替えられていたりする。
なので、私の記憶も定かではないし、そもそも食堂があったのかどうかも怪しい。

これは調査が必要だ。真っ先に思いついたのが、グーグル・マップとグーグル・ストリートビューでの確認だ。
これで勝ったも同然だと思ったのも束の間、いきなり壁にぶち当たってしまった。
店の名前はおろか、住所がわからないのだ。
しかもなんとなく覚えていた近所の道も、区画整理でだいぶ変わってしまっているらしい。こんなときはどうすればいいのか? まずはお袋に聞いてみることにした。
がしかし、驚くべき答えが返ってきた。

「ないよ、そんなの」

いやあったのだ。
そもそもラーメンなんてほとんど食べない人だったし、彼女にとってはどうでもいいことなので記憶はすでに忘却の彼方なのだろう。
仕方がないので兄に電話してみることにした。
すると、

「中江食堂だろ、なんで?」

それだ、このパスワードで私の記憶の鍵は一気に開いた。
公園の名前が中江公園で、祖母が住んでいた町も中江町だった。
中江町にある食堂だから中江食堂。
小さいMacだからMacミニ、みたいなものだ。
ここにきて、いよいよグーグルの出番である。
「仙台・中江食堂」でググると一発だった。
あれから四十数年は経っているというのに、当時のまま存在していたのだ。

地図や画像も出てきて、近所の位置関係が少しずれていたものの、小汚い佇まいもそのままに、ほぼ私の記憶と一致した。
ラーメンデータベースや食べログの評価は低く、ラーメンマニアなのか、好き勝手なことを書いている人もいる。

なんてことはない、どこにでもあるような普通の町の食堂の話なのだが、私の曖昧な記憶が兄の記憶とリンクしてオンライン上の情報に辿り着き、こうしてコラムを書いている。

私は四十数年ぶりに中江食堂へ足を運ぶつもりでいる。
だが、おそらく期待したほど美味いはずはないだろう、
いい意味で。

 

中江食堂

電話:022-222-4785

『耕作』『料理』『食す』という素朴でありながら洗練された大切な文化は、クリエイティブで多様性があり、未来へ紡ぐリレーのようなものだ。 風土に根付いた食文化から創造的な美食まで、そこには様々なストーリーがある。北大路魯山人は著書の味覚馬鹿で「これほど深い、これほどに知らねばならない味覚の世界のあることを銘記せよ」と説いた。『食の知』は、誰もが自由に手にして行動することが出来るべきだと私達は信じている。OPENSAUCEは、命の中心にある「食」を探求し、次世代へ正しく伝承することで、より豊かな未来を創造して行きたい。