2018.12.19

【前編】金沢を抜きに「美食の街」は語れない

髙木慎一朗のサンセバスチャンの朝

世界中に「美食の街」と呼ばれる街は数々あります。さっと思いつくのはパリ、リヨン、香港、ローマなどでしょうか。これらは美食の街としてしばしば挙げられますが、個人的にはニューヨークも加えたいところです。

10代の頃から縁があり、私にとって外国都市の中ではニューヨークは最も慣れ親しんでいる街なのですが、レストラン業界では世界で最も競争が激しい都市として認識されています。

今も世界経済の中心地であり、業種や職種、民族を問わず世界中から様々な人間が志を持って集まるその様は、まさに世界の激戦区という表現がぴったりです。ニューヨーク市内のいくつかの三つ星レストランでは、客席数が100席ほどなのに、夜だけで300人近いお客様をお迎えするほど繁盛しているとか。

しかし、その一方で、日本から鳴り物入りでニューヨークの一等地に進出した有名シェフの店が、多額の投資をしたにもかかわらず、営業不振のため1年も経たずに撤退を余儀なくされた、という厳しい現実もあります。

競争の中で独自性と品質向上

ニューヨークに限らず「美食の街」とは、食文化のみならず、様々な文化が移入し、激しい競争の中で淘汰されながらその独自性を形成し、同時に品質を向上させてきた街といえるのではないでしょうか。

そのような観点から考えると、北前船交易や宗教的な交流などにより多様な文化が移入され、さらに加賀藩前田家の庇護のもと発展した茶道、伝統工芸・芸能などの極めて高い文化レベルを誇る金沢は、世界に誇れる「美食の街」であると断言できます。

金沢に生まれ育った私としては「金沢を抜きに美食の街を語るな」と言いたいほどです。

先に挙げた都市のほかに、「美食の街」として近年随分と評判を挙げてきている街がスペインのサン・セバスチャンです。我々料理人の中では、ヨーロッパで最も旬な「美食の街」と言われています。

サン・セバスチャンは、フランスとの国境に位置するバスク地方を代表する都市で、アルタミラやラスコーに代表される洞窟絵画の遺跡が数多いエリアとしても知られていますが、ヨーロッパを代表するリゾート地としても有名なのです。夏になると、ヨーロッパのみならず世界中からバカンスを楽しむために多くの観光客が集まるそうで、一時的ではありますが人口が何倍にもなるとか。

さて、その歴史をひも解けば、「美食の街」と言われる所以が分かってきます。

サン・セバスチャンは、その長い歴史の中で支配者が変わり続き、その都度様々な文化が移入、交雑してきました。

たとえば、バスク料理に欠かせないハムやソーセージは、三角貿易抜きには語れません。当時の新世界(現在の北米、南米、東南アジアなど)から輸入された唐辛子など、それまでヨーロッパにはあまり使われていなかった香辛料を使うことで、その完成度を一層高めたと言われています。また、世界的に有名なサン・セバスチャンのチョコレートは、フランスやスペインを追われたユダヤ人がバスク地方に移住して、産業として興したと言われています。このように、海外からの文化交流を繰り返す歴史が今のサン・セバスチャンの独特な食文化を醸してきたのです。

そして1970年代以降にファン・アルザック、フェラン・アドリアなどの料理人が伝統的なバスク料理を一層洗練させた新バスク料理として確立させ、世界に広めました。また、スペイン料理の代表的なスタイルと言えるピンチョ(小皿料理)を提供するタパスバルは、いまやバルセロナやマドリードなどの都市でも当たり前のように見つけることができます。しかし、実はバスク地方発のスタイルであることは意外に知られていません。アルゼンチンのブエノスアイレスでもタパスバルが多く見られるのは、バスク地方から多くの人々が移住していたからなのです。

サン・セバスチャンの地図

国際映画祭で加賀料理を提供

その「美食の街」サン・セバスチャンでは毎年、国際的な映画祭を開催しています。
今年で61回を数えるサン・セバスチャン国際映画祭に、加賀百万石の包丁侍を主人公とした映画「武士の献立」が招待作品として上映されました。私は映画とともに、映画の舞台となった加賀國の料理人としてサン・セバスチャンに出向き、加賀料理を提供することになったのです。しかも現地サン・セバスチャンの有名な料理人とコラボレーションで。

私にとって映画祭で料理することは初めてではありませんでした。数年前に香港映画祭にゲストシェフとして招聘され、2日間で約100人のお客様に懐石料理を提供したことがあったので、国際映画祭が、いかに華やかな社交の場であることなのか、そしていかに発信力を持った機会であることかを承知しておりました。
ですから、ご依頼を頂いた際には、本当に嬉しく、誇りに思ったことは今でも忘れません。

「武士の献立」のプロデューサーである岩城レイ子氏は、私が依頼を受けるや否や、多忙を極めるスケジュールをすぐに調整して銭屋に出向いてくださりました。そこからサン・セバスチャン国際映画祭の「武士の献立」晩餐会の打ち合わせが始まったのです。

映画を見て献立のヒント集め

岩城氏は編集作業が終了直後の「武士の献立」DVDを持ってきて、「まずは映画をご覧になっていただけませんか? そして、映画に登場する料理や関連する献立を挙げていただき、それを基にメニューを考えましょう」

公開前の映画を見る機会なんて、そうそうあるものではありません。正直言って、これが相当嬉しかったですね。

映画を拝見しながら気になった食材や料理名をメモしていきました。但し、このメモには必ずしも映画に登場したものだけを記したわけではありませんでした。
あくまでもサン・セバスチャンで料理することを想定しながら映画を拝見し、それで思い浮かんだ言葉を書き残した、という感じでしょうか。

このメモを書いている段階では、実はまったく献立を考えません。いわば献立作成のためのヒント集めといったものですが、実はこれが極めて重要なのです。

我々料理人がプロとして提供する料理は、召し上がっていただく人がいかに喜んでいただけるかを、冷静に戦略として練り上げられたものでなければなりません。

あれを作りたい、これを作ってみせたい、などと思って作成した献立というのは、自己中心の発想の賜物であり、いわば自己顕示欲が具現化されたものです。

召し上がっていただくお客様に喜んで召し上がっていただけて、さらにまたの機会にあらためてご注文くださることでようやくプロの仕事として完遂したと、私は考えるようにしています。

これは師匠である京都吉兆二代目主人、徳岡孝二氏の教えでもあります。

【後編に続く】

北國文華2014年冬号

本編は、北國文華 2014年冬号 包丁侍ものがたり 映画「武士の献立」特集に掲載されております。

石川県金沢市「日本料理 銭屋」の二代目主人。
株式会社OPENSAUCE取締役