2023.02.21

オールド台湾食卓記
祖母、母、私の行きつけの店
【私の食のオススメ本】

  • 書名:オールド台湾食卓記 祖母、母、私の行きつけの店
  • 著者:洪 愛珠(ホン・アイジュ)訳:新井一二三
  • 発行所:筑摩書房
  • 発行年:2022年

1983年生まれの洪 愛珠(ホン・アイジュ)は「80年代に生まれた台湾人には、子ども時代を祖父母と親しく過ごした例が多い」といい、本人もそうだと書いている。この本は、日本統治下の台湾に生まれ、親日家であった祖父母の影響を受けて育った著者の家族への感情とともに台湾の家庭料理と屋台料理のことが書かれている。

料理のことが多く書かれている本書。特に北台湾の古いコミュニティを中心に綴られているのだが、全編が文章で、写真は巻頭に数ページのみ。しかしながらその飾らない淡々として丁寧な文章からは当時の地域や家族の様子が、映像のように伝わってくる。

著者は本書を<懐古的なエッセイ集>というが、個人の感想だが<食と地域、レシピと家族が伝えていくもの>ということで、これほど心に沁みいった「読み物」はない。(著者との交流がある作家の乃南アサ氏が「女三代が受け継ぐ台北の味」として本書の書評を書いているので、自分の拙文による紹介よりも伝わるはずである。)

もちろん中国語で読んでいる訳ではないので、これは著者と訳者の素晴らしい仕事であり、プロフィールを調べるとその理由がわかるのである。

著者、洪 愛珠はロンドン芸術大学コミュニケーション学部を卒業後、グラフィックデザイナーとなった。文筆家としてのデビュー作である本書で、台北文学賞、林栄三文学賞、鍾肇政文学賞を受賞している。

訳者の新井一二三(本名:林 ひふみ)は、明治大学理工学部教授であり日本のジャーナリストでもある。新井一二三の名で中国、台湾、香港の新聞、雑誌に中国語でコラムを書き、中国語を含めた30以上の著作がある。その文体はnippon.comの記事によると「新井氏の中国語には独特の雰囲気がある。飾り気がないようできめ細やかさは失われず、刃物のように鋭く切り込んだかと思えば一方で優しさがあり、台湾では「新井文体」と呼ばれる」という。

中国でも受賞している本書は新井一二三氏だから訳せたのであろうし、著者の世界観を脚色することなく伝えてくれていると思うのだ。(本文中、著者は新井一二三氏の中国語著作からの引用もしている)

以下に導入部の幾つかの文を抜粋してみた。ぜひ一度、本書を手に取ってもらいたい。


「人生は台所から台所への旅だ。引っ越しやリフォームや結婚のため、ひとつのキッチンを離れて、別のキッチンへたどり着く」

「母は商家出身で、少女時代から毎日八十人もの従業員向けに食事を用意した。家は家で大小の宴会がひきもきらなかったから、小さな食堂並みの規模である。そのため母の料理は美味しかっただけでなく、鑑賞する楽しみもあった。生姜を絹糸のように細く細く切ったり、大根を連続して薄く切り出す技は、私たち子供にとって崇拝の的だった。鍋をふるのも精確で、炒め物は超高速。」

(母親は実家の会社に勤め、朝8時には出勤していた)

「ときには私たち子どもも手伝いに入り、そんな時に母は料理の秘訣を教えてくれた。たとえば、豆乳を温めるには、おたまで軽く鍋の底の角あたりをこすると、焦げないですむ。」

「思い返せば、母と私が最も長い時間を二人で過ごしたの場所は台所だった。」

「(豊かな食べ物に恵まれていた母なのに)最後の日々にはむしろ素朴で、子供の頃口にしたような味を懐かしがった。たとえば『冬瓜蒸肉餅(塩漬け冬瓜入り肉団子)』は、亡くなった祖母がよく作った家庭料理だ。」

「(母の闘病の付き添いで自分のリズムが崩れたとき、親娘三代の心の故郷、台北の)迪化街に着くと、溢れる日差しに、病室の陰気さは一気に蒸発した。五感が活動し始め、街の暮らしの気配と匂いが、ひとかたまりになりせまってくる。」

「薬草や漢方の店、食べ物屋台、干し椎茸、干しホタテ、干しエビ、干しカレイの匂いが立ち上がり、すぐそこの霞海城隍廟であげられている線香の香りまで少々混じる。その複雑な匂いを胸いっぱい吸い込むと、ああ生きているという実感に満たされた。」

「大体いつも祖母が尋ねる、<氷食べるかね>。答えは<うん>。祖母がお店の人に細かく注文を出す。そして、いくらもたたないうちに、屋台の上のほうから発砲スチロールの容器に入った茶苔目かき氷(葛切りのような伝統スイーツ)降りてくるのだ。(中略)時間は氷である。何の挨拶もなく融け去って、私も今では大人だ。」

「下校して家に帰ると、いつもひどく腹ペコだった。成長期の少女が感じる空腹は、クッキーなどのお菓子で収まるようなものではなく、白飯に肉汁をかけて食べる必要があった。私は台所に祖母を探しに行き、滷肉飯(ルーローハン)を探し当てる。」

「わが家はこと滷肉(ルーロー)に関しては、すこぶる潔癖であった。滷肉の鍋の中には肉しか入れない。(中略)もとの鍋に異なる材料を入れると、肉がいたみやすく、長く保存できなくなるし、煮汁の中に豆腐のかけらや卵の白身が浮いていると見栄えもよろしくないからだ。」

「先人たちが先に行き、後の世代はまだ旅の途中だ。二つの場所、二つの家族、親子三代。未来においてもまた、記憶という名の飛行機は、発着を繰り返し、折り返し、去ろうとしてはふり返るのだろう。」


「食を伝え、残す」という仕事とは、著者が自然と書き綴っているようなことなのだと思う。そしてそこが出発点であることを忘れないようにしようと思ったのが本書だった。

WRITER Joji Itaya

出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。