2019.02.13

バレンタインデーチョコはお菓子会社の陰謀ではないという話

バレンタインデーのチョコレート

バレンタインで思い出すことがある。

高校生の頃に余りにモテなさすぎて、自分で下駄箱にチョコを2個ほど仕込んでおいたことがある。

ところが私の高校の下駄箱は施錠できるようになっていて、女子がチョコを入れることはほぼ不可能なのだ。

こんな自作自演などすぐにバレてしまい、「違うよ、自分用にしまっておいたんだよ!」と意味不明な嘘をつかねばならぬハメになったのである。

その日の昼休みに女子たちが自作自演をせねばならないほどの私にチロルチョコを買ってきてくれたナァ、というオチも何もない話を思い出す。

数日前にデパートに行ったところ、バレンタインデーのための特設フロアーが設けられていた。

今なおバレンタインは盛況なようである。

前回、恵方巻きの記事を書いたところ、方々で「バレンタインデーといい恵方巻きといい、大企業の陰謀が」というような感想をチラホラ耳にしたので、バレンタインデーはお菓子会社の陰謀ではないよ、というようなことを書いてみようと思う。

そもそもなのだけれど、バレンタインさんは何者なのか?
わかりません。

聖バレンチノ、またはウァレンティヌスともよばれ、だいたい3世紀頃にいたキリスト教の聖職者だった人物。呼び方は面倒なので、バレンタインに統一してしまおうと思う。

今伝わっている聖バレンタインの伝説は、3、4人ぐらいの伝説がリミックスされて一人の物語として語られたものなのだけれど、その中でも有名な伝説としてこんなものがある。

時は3世紀の帝政ローマ。軍人皇帝クラウディス2世の治世の時代の話。

この皇帝は、ローマ兵の結婚を禁じる法を発布した。

理由はというと、兵士の士気のためである。

故郷に愛する妻を残して前線で戦うというのでは、生きて帰ろうとして命惜しみするようになる。そうした兵士の士気の低下を防ぐために、遠征兵の結婚を禁止したのである。

しかし結婚できないと嘆く兵士と恋人たちをみて、バレンタインは兵士たちの結婚式を内緒で執り行うようになる。そのうちにそれは皇帝の耳に入ることになり、激怒したクラウディス2世は結婚式を執り行わないようバレンタインに命じたが、バレンタインはそれに従わずに兵士の結婚式を行い続けたため、彼は捕らえられたのちに2月14日に処刑されたのである。

と、いうものだ。

実はこの2月14日はもともと、結婚生活を司るローマ神話のユーノという女神の祝祭日だった。翌日にはルペルカリア祭という豊穣を祝う祭りがあったが、前日はユーノの女神としての性格もあいまって、男女の出逢いの日でもあったといわれる。現代でクリスマスよりその前夜祭のクリスマス・イブの方が盛り上がる心理によく似ている。

ローマでキリスト教が国教になってからというもの、古くから伝わるローマの宗教を異教の祭事として、どんどんキリスト教式の祭礼に塗り替えていった。歴史学的にいえばクリスマスももともとはミトラ教の太陽神の祝祭日がキリスト教的に書き換えられたものだし、2月14日も7世紀になって教皇ゲラシウス1世が異教の祭事を排除しようとバレンタインの逸話を創作して2月14日に物語の上書きをしたものである。

結局、バレンタインが何者かはよくわからない。

しかし、2月14日が女神ユノーによる恋愛にまつわる祝祭日であったという性格が、そのまま「バレンタインデー」へと受け継がれていくことになるのだ。

さて、世界ではバレンタインはどうなのか。

残念ながら私は全然、このあたりに詳しくない。
アメリカでは男性から女性に贈りものをするといわれる。

フランスでも男性から女性に花束やメッセージカードなどを送るそうだが、友人のフランス女性が「私は男性に送ったりもするわ」とも言っていて、よくわからない。

しかし、チョコレートを贈る習俗は、やはり日本だけのようである。

キリスト教の風習を利用して、お菓子会社が陰謀を仕掛けたのか?というと、

実は、そうではないらしいのだ。

これに関して石井研士氏という宗教学の学者が大変興味深い研究をしている。私が大学に再入学した時に彼の講義を享けていて、その時の講義の記憶と石井先生の著作『都市の年中行事-変容する日本人の心性』(春秋社,1994年)を手引きに、これを解き明かしてみたい。

バレンタインデーが巷に流布するようになったのは1956年。

実は大手百貨店らが「第二次お歳暮シーズン」を作ろうとして、バレンタインに目をつけはじめたのが始まりなのである。

恵方巻きの発端にこのあたりはよく似ている。2月は消費があまりよくない。

ここで何かテコ入れが欲しいという、商魂のたくましさから日本のバレンタインデー宣伝は始まった。

しかしそれは、チョコを買いましょう運動、ではなかったのである。

具体例をあげると、大切な人に本を贈りましょう、だったり、家電製品を贈りましょう、といったもので、とにかく売れればなんでもいいという無節操なものだった。

顧客の間口を広くとっておきたいということもあって、贈る相手は恋人や好きな人などとも特に限定していなかった。

彼らは手を変え品を変えて「バレンタインデーに○○を贈りましょう」と商機に繋げようとしたが、その思惑はことごとく徒労に終わる。

結婚式でテントウ虫がサンバを踊ろうとも、売りたいだけのこじつけ記念日で踊るほど、世間様はおめでたくはなかったのである。

こうして大手百貨店らの野望は儚くも潰えるのだが、1960年代後半に中部東海地域のとある小学校から自然発生的にチョコを渡すということが始まり、それが雑誌に取り上げられて全国的に広まることになったのである。

そうバレンタイン・チョコとは、もともとは子供達のポケットの中のお小遣いから始まったものだったのだ。

今でも企業が莫大な広告費を投じて、何かを文化として定着させようとして失敗することは多々ある。

なぜ彼らは失敗するのか。逆に文化レベルにまで定着し得る可能性のあるものはどのようなものなのだろうか。

これは個人的な見解なのだけれど、恵方巻きにせよ、普段しない非日常的なシチュエーションと普段あまり口にしない食べ物、そして大人も子供もそれに参加して楽しめる、ということが重要なのだ。

恵方巻きが広がった理由の一つとしては、その年の方角に向かって一気に巻物を食べるなど、絶対に普段しない食べ方が大きい。

恵方巻きの食べ方は、正直なところ行儀が悪い。子供がこの日以外にやれば怒られても仕方がないが、この日にはこの無作法が許されるのである。「この日にしか許されない」。それはハレの日の重要なファクターである。

そして恵方巻きという名前といい、この食べ方といい、なにか深い歴史がありそうな匂いを漂わせるのも非常に上手だった。

実は恵方巻きの「一気に、その年の吉方位を向いて食べる」というのはオリジナルがある。大正・昭和前期頃以前の京都の上賀茂地域でされていた節分の豆の食べ方だ。

そうした古くから続いていた節分豆の食べ方を転用し、新しく作った「恵方巻き」というものに節分に移植することに成功したのである。

そして日本のバレンタインデーは、チョコを意中の人に渡す、というものである。

その精神は、奇しくも古く7世紀から続く2月14日の聖バレンタインの祝日、またそれよりもはるかに古い古代ローマ時代のジュノーの祝祭日で育まれた「恋愛」の伝統から外れてはいない。

好きな人にチョコを渡す。

こんなことが儀礼なのか、と言われそうである。私は儀礼だと思っている。

恋愛にこなれて今ほど「好きです」なんて簡単には言えなかったあの10代の頃を思い出してほしい。

チョコを選びに選びぬいて、好きな人に渡す。

手紙は添えようか、どうしようか。

本人にとっては間違いなく厳粛で、大真面目な運命の日だった、あの頃を。

甘いものなんて食べないけれど、好きな女の子からチョコをもらった、あの嬉しさを。

私は、だいたい数日に一食しか食べない。一ヶ月に一食のときもある。宗教上の理由でも、ストイックなポリシーでもなく、ただなんとなく食べたい時に食べるとこのサイクルになってしまう。だから私は食に対して真剣である。久々の一食を「適当」に食べてなるものか。久々の食事が卵かけ御飯だとしよう。先に白身と醤油とを御飯にしっかりまぜて、御飯をふかふかにしてから器によそって、上に黄身を落とす。このときに醤油がちょっと強いかなというぐらいの加減がちょうどいい。醤油の味わい、黄身のコク、御飯の甘さ。複雑にして鮮烈な味わいの粒子群は、腹を空かせた者の頭上に降りそそがれる神からの贈物である。自然と口から出るのは、「ありがたい」の一言。