2019.04.26

和食に見るそもそも旬論 「春」トリ・鳥・鶏のこと 「美味しい」の起源とは?

唐揚げライス

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旬の食材について、いろいろ脱線しつつ、マグロ前編マグロ後編山菜編と対談は進んで参りました。 旬の食材がテーマのはずでしたが、話題は「美味しいもの」の起源に。急遽、旬とは離れますが鶏を食べることについての話題をご賞味ください。 和食の伝道師であり料理人・髙木慎一朗と、史実を素材になんでも料理する歴史学者・三石晃生の季節と食にまつわる<ゆらぎトーク>春の番外編、トリ・鳥・鶏の話です。

「美味しそう」はいつから?

髙木:美味しそうに思えるようになった食文化っていつ頃から?

三石:室町なるとかなりですね。 室町くらいになると、いろんな道具と食技術が発達していくのと、流通網が発達するので。

髙木:まさにお茶が…いわゆる茶道ができ始めた頃ですね。

三石:それ以前の鎌倉期に中国の宋の文化が入って来るんですよね。それによって小麦食文化が入ってくるのでバリエーションが格段に増えます。 例えば精進料理にしてもそうです。

『枕草子』では精進料理について「子供を法師にするのは精進料理なんてものを食べなきゃいけなくなるから可哀想だ」なんて書いてます。そういう粗末な、粗悪な料理だったものが、禅宗文化のレバレッジによって日本料理の中核へとのし上がっていく。

髙木:宇治の萬福寺てお寺あるじゃないですか。 あそこでよくやってる普茶料理(ふちゃりょうり)、いわゆる中国風の精進料理って言われてるじゃないですか。 中国の精進料理って言いながら、うなぎもどきとかあったりして、うなぎを食べている気分になる。

ということはやっぱり、そうじゃないものに対する憧れというかがあって、それを模してるっていうところで、独立したコンセプトじゃないような気がするんですけどね。 食べちゃいけない人が、苦し紛れに、うなぎ本当は食いたいのに、みたいな。 僕らも普茶料理もたまに作るんですけど、あれも油を使う分、精進料理としては珍しいですよね。

三石:中国系のものはたいてい油使うんですよね。 前にもちょっとお話した『類聚雑要抄』にでてくる平安時代の大饗料理。この献立図をみると本物のフルーツも出てくるんですけど、唐菓子(からくだもの)っていうのがあって、これは小麦を練って油で揚げたものだったりとか、前にriffで書いたうどんの原型になる、餛飩(こんとん)っていう今の油条(ユジョウ)みたいなやつが並んだりするんですけど。
油で揚げてると中国だね、みたいな。 唐揚げなんかはまさに、油ですからね。

髙木:(鯛の)「からむし※」はその「唐」なんですね。おからのからじゃなくて。

三石:Not Japanのものが「唐」ということになります。非日本的な調理方法ですよ、という記号です。ちなみに江戸時代に書かれた『普茶料理抄』ですでに「唐揚げ」が出てきます。たしか、小さく切った豆腐を油で揚げて、酒と醤油で煮るんじゃなかったかしら。

髙木:油を使うから、何がいいかっていうと、絶対旨味は増すじゃないですか。 だから、わかりやすい料理であればあるほど、油が忍ばせてあるとう感じはしますね。 マヨネーズとかもそうですし、揚げ物、天ぷらもそうですけど。

何かそのあたりをくっつけて初めて、さっきの話だと山菜が美味くなるっていうのであれば、本当に理由がわからないですね…。そこまでして食べなきゃいけないのが。 あとは刷り込まれて、これを食べたら元気になる、とかそんな感じですよね。

※注釈:「鯛の唐蒸し」は金沢の郷土料理のひとつで、二匹の鯛の腹に卯の花(おから)、銀杏や人参、ゴボウ、しいたけ等をを詰め、大皿に並べたもの。婚礼に際して供される縁起料理で「鶴亀鯛」ともよばれる。長崎遊学で加賀藩にもたらされた中国料理風の鯛のけんちん蒸しが祖型といわれる。

日本人は鶏をどう食べていたのか <二本足の不運、鳥食う日本人>

日本の食について語る料理人・髙木慎一郎と歴史学者・三石晃生

三石:じゃあ、広げついでに…。普茶料理の話というか、がんもどき的な肉フェイクの精進料理について話が出たので。ここにはちょっと宗教上の理由もあるんですけど、日本人って、どっかの氏子だったりすると、例えば八幡宮を尊敬している人だと、八幡の使いって鳩なのです。なので八幡信仰を奉じているいる人は鳥を避ける。

大名で茶人でも有名な戦国期の細川忠興(三斎)という人が茶席をもうけた時に、呼んだ人の一人が八幡神を信仰していたんですね。

なので、彼の料理だけ鳥汁じゃなくて魚汁に変えたものが出てきた、とその当事者の彼が記録を残しています(『松屋会記』)。
そういうので、宗教上の理由、信仰上の理由でそういうのを抜くっていうのはありました。

髙木:その当時の鳥っていうのは鶏ですか。

三石:江戸になるとニワトリを食べるようになります。

髙木:今のいわゆるニワトリ。

三石:江戸時代にいろんなニワトリの品種を海外から入れてきます。 当時の鳥といったら野のトリ。鶴、白鳥、雁、雲雀が上級ですね。一段落ちて雉。
あとは鶫(つぐみ)、鶉(うずら)なんかも。鶫の汁なんかは千利休のメニューにも出てきますよ、鶫汁。

髙木:昔、亡くなったそうとうお歳の芸妓さんに聞いたら、昔は治部煮を鶫で作ってたと…。鶫を叩いて団子にして、それで治部煮を作っててあれは美味しかったと言ってました。
鶫はもちろん食べたことありますけど、あれで治部煮っていうのは食べたことないですね。

三石:あれ小さいですしね。小さいから団子にするにもいくらかかるのかっていう。

髙木:そもそもそれを捕る人が… 捕っちゃいけなくなってるじゃないですか。昔はばんばん捕って食べてたから、団子にしてたんで、今の値段だったら絶対しないと思いますけどね。
ちなみに東京のフランス料理店トロワグロのレシピで、鶫のパテっていうのがありました。 一体、何羽使うんだっていう。

三石:あれだけ作るのに何羽必要になるんだろう…。

髙木:一度、シェ・イノの井上さんから、「後でトロワグロのレシピで鶫のパテ作ってやるから、鶫をくれ」って。 何羽くらいいるんですか?て聞いたら、50羽くらいって言うんで。そんなの無いよーって(笑)
ところで、ニワトリはかなり昔からいたんですか?

※シエ・イノ 1984年開店した正統派フレンチの名店。オーナーシェフ井上旭氏は21歳で渡欧、ヨーロッパの名店やフランスの三つ星レストラン「トロワグラ」や「マキシム・ド・パリ」などで修業、帰国後31歳で「銀座レカン」の料理長になった人物。

三石:ニワトリ自体は古いですね。弥生時代頃に日本に入ってきたといわれ、『日本書紀』の雄略天皇紀には闘鶏の記事がでてきます。その後は専ら、闘鶏用かペット。鎌倉時代の絵巻物でも存在は確認できます。

弥生時代、食用にしていたという人もいれば、これは時計代わり、朝を告げる朝啼き鳥なんだ、という人もいます。私は後者を支持してますが。日本で鶏や卵を食用しはじめるようになるのはポルトガル人たちの鶏卵を食べる文化が入ってきてからのようです。

あと、ニワトリといえば…。昔の日本人はニワトリを育てても自分の家で食べなかったらしい。

一遍聖絵の鶏と馬
一遍聖絵に描かれた鶏

髙木:…どう食べるの?

三石:これ、交換するんです。他の家のニワトリと。

髙木:それは何か理由があるの?

三石:「自分の家の子」なんですよ。 身内食べちゃいけないんですよ。

髙木:よそのなら食べれる。

三石:よそのならいいんです(笑)

髙木:本当、単なる言い訳じゃないですか(笑) 鶏と鶏を交換する?

三石:鶏と鶏を交換するんですよ。庭のトリ。すなわち身内です。身内食べちゃいけません。もともと鶏は古代にはペット動物でしたし。

髙木:でも、今みたいにきちんとした卵を産むかどうかわからない時代じゃないですか。それでよく種がもちましたね。

三石:うーん、確かに。

髙木:今だったらちゃんと判別するとか、いろんなやり方があって卵を大量生産できて、鶏も大量生産できる。 その当時、オスかメスかもわかんない時によく残ったなと。

三石:江戸時代になると無精卵が孵化しないということがわかって、なら殺生じゃないからOKだよね!というので卵食が広がっていくのですが…。
でも言われてみると、それ以前のニワトリと人間の関わりって結構ナゾですね。 鎌倉時代の絵巻物なんか見てると、群生してないです。

庶民の生活の様子が描かれてる絵巻物の『一遍上人絵伝』だとかの絵画史料にしても、だいたいニワトリがだいたい1,2羽くらいでぽけーっとしてるか、闘鶏させられてますね。いっぱいワッサワッサ養鶏場みたいにいるシーンを、私が見落としているだけかもしれないけど、見た印象がない。

髙木:だとしたらなおさら、その一羽がなんかでいなくなったら、残り少なくなるじゃないですか。それでも繁殖させてやっていったてことですかね。

三石:うーん、買うのかなあ?そう言われるとこの平安・鎌倉ってどうしてたんですかね。

髙木:ってことは、養鶏業者がいたってことですよね。

三石:いたんですかね…。養鶏業者という職種は江戸時代の頃には確認できるのですが、それ以前ってどうなんだろう。 野犬か狼にやられて全滅したら、それで終わっちゃうしなあ。

髙木:要はそういう、育てる業者がいないとまずいですよね。

三石:そう、種が終わっちゃいますね(笑)。 鳥食の話になったので肉食にまでちょっと足を伸ばしてみたいのですが、日本は飛鳥時代の天武天皇の頃に肉食禁止が明文化され、平安時代くらいには本格的に殺生禁断になっていくんです。獣肉、つまり血や殺生は穢れと考える。だから肉は食べないというのが流れではあるんですけど。これは特に四つ足動物(哺乳類)に対して。

四足は宍(しし)といって、シシ物食べちゃダメっていう。 あ、鳥は二つ足なのでグレーゾーン的にギリOKです。

髙木:ウサギは足が4本あるじゃないですか。

三石:あれは、耳が生えてるから、耳が羽なんですよ。鳥です。鳥扱いです。 だから、ウサギは羽(わ)って数えます。

髙木:こじつけですね(笑) 昔、昭和三十年代の金沢の料理屋だと、ウサギを使ってたらしいですよ。 それもちゃんと処理して、ぶら下げて、今でいうエイジングみたいな感じを軒先でやってて、それを見るのが怖かった、って僕らの業界の先輩とかは言ってますね。

三石:皮の剥がれたウサギってなかなか気味の悪い状態ですもんね。

髙木:ヨーロッパの市場とかにばーっと並んで売ってるの見るとなかなかにスリル満点ですね。 あれに包丁入れるとなると…。

三石:鎌倉時代から武士の鍛錬として狩猟が盛んにされるようになります。野鳥を狩り、食べるようになったのはこの頃といわれています。

私、テレビ全く見ない人なんですけど、たまたま食事行ったところで、某大河ドラマやってたんですよ。第一回かなにかで女性が射殺されるシーンを見かけたんですが。

その時の矢が鳥打ち用の矢だったんです。いやいや、そう飛ばないから、みたいな。 簡単にいってしまうと矢についてる羽が奇数か偶数かで飛び方が変わってくる。たとえば「三立羽(みたてば)の矢」と「二立羽(ふたてば)の矢」っていうのがあったら、飛び方が違うから用途が変わってきます。

「三立羽の矢」っていうのは、三枚羽がついてます。あれは三枚の羽でスクリューの回転をつけさせて、相手の体にねじこむ感じで撃ち込むわけですね。このスクリューが大事になります。

ところが鳥に対してスクリュー効かせちゃうと、鳥の体がちぎれちゃう。 なので、横に羽が2枚ついている「二立羽の矢」を使います。お互いの羽の回転を相殺させてまっすぐ飛んでいくんですよ。

そして鳥の足を狙うと、鳥の足がカットされる。鳥は足がないと飛べないので。大河ドラマでは「二立羽の矢」がスクリューしながら飛んでいったので、おいおい、と。

髙木:ほおー、そうなんですか。
足を狙うって、難しくないですか、胴体より。

三石:当然、私はできません(笑)

髙木:鴨なんかだと、これで倒せるんですか?

三石:戦国時代、立花宗茂という大名が14、5間(25〜27m)先の鴨を一発で仕留めたという逸話があるんですが、これなんかは胴でしょうね。。鴨を捕獲するのは簡単だったようで、巣のところに罠を仕掛ければ簡単にとれたみたいです。まさにいいカモ。

髙木:僕らは鴨ももちろん、使いますけど、今だと鉄砲の鉛玉が当たってるケースがあるんで、本当にお客さんに出さないようにしているけど、入ってしまうケースもあるんです。

弓で捕ってる頃なんて、そういうのが無いから僕らはうらやましいですけどね。そうじゃない肉が手に入るっていうのは。

実際に鉄砲で捕られてない、網で捕った鴨でも、流れ弾が当たってるケースも当然あるわけで。
カチンと歯が折れて困る、とか、最近は無いですけど。

江戸時代、大変なのは農民より武士だった?

江戸時代の食文化について語る料理人・髙木慎一郎と歴史学者・三石晃生

三石:江戸時代の農民も鉄砲も使ってます、実は。 銃って、農民の道具なんです、あれ。扱いとしては「農具」です。
農民が害獣対策と猟のために持ってるもので、百姓一揆が革命行動として本気出したら相当えらいことになります。

髙木:所有を許されてた?

三石:許されてたんです。登録制で。害獣対策用ですね。

髙木:ということは、鉄砲じたいは身近なところにあった。

三石:身近です。

髙木:鉄砲やるってことは当然、メンテナンスする業者もいるってことですよね。

農具とかを作ったりする野鍛冶屋というのがいたので、彼らが修理していたでしょうね。あと鉄砲は売買もされてましたし。

髙木:メンテもできていたとしたら、相当な精度で仕留められたわけですよね。

三石:とはいえ、農具なので品質向上とかそこらへんが大してないんです。イノベーションがおきなかった。

髙木:農民って実は、一歩間違えるととんでもない武力団体というか(笑)

三石:その気になれば武力団体です(笑)。でも常識として、農具だから人に向かって使っちゃダメ、というような暗黙の了解に基づいてはいるのですが。

髙木:実際のコスト、維持費っていうのはどのくらいだったんですかね。
農民が維持できる程度のものじゃないですか。

三石:うーん、どれぐらいだったんでしょう。でも江戸時代の農民、私たちが思ってる以上に豊かなんですよ。地域差はありますが、農民は総じて豊かだったといえるかもしれません。

髙木:あ、そうなんですか。

三石:むしろ武士のほうが貧しいです。
徳川家康は、武士をどんどん貧しくさせていくようなプログラム設定をしていたのですが、まさに目論見通りというか。

髙木:ということは、農民はそこそこ美味いもん食ってたと。

三石:美味いもん食ってましたね。特に都市の町人なんかは。
よっぽど武士のほうが食えてないですね。そもそも貧乏人が多いし、ルールもあったり、格式も邪魔して「あんな庶民のものは食べてはダメ!」とかもあったでしょうし。しがらみいっぱいです。

髙木:例えばどんなものなんでしょう、食べちゃいけないものって。

三石:魚のコノシロとか。寿司ネタのコハダの大きくなったあのコノシロ。これは「この城」に音が通じるから、焼いてはならないとか。お城焼けちゃうと。

あとはキュウリとか。断面が葵の紋に似てますでしょ。これは憚りものです。公式の場では供されません。

葵の御紋系でいうとワサビは、家康が風味を気に入ったのと、徳川家の葵の紋に似ているから門外不出したという話がありますね。もっとも、この話には証拠はないのですが。

髙木:それ、ただ葉っぱが似てるってだけですよね。 それ言い出したらキリ無いじゃないですか。
五三の桐とかだったら、桐のタンスは使っちゃいけなくなっちゃう。

三石:そうそう。武士って大変(笑)

山菜は美味いのか?という問いから、日本人の肉食の話題へ、そして武士と農民の関係に至るまで、食に関するトークは展開してゆきました。

次回は、春編の締めとしまして、「薬味」の話です!