- 書名:子規の音(しきのおと)
- 著者:森まゆみ
- 発行所:新潮社
- 発行年:2017年
著者、森まゆみといえば地域雑誌『谷中・根津・千駄木(通称・谷根千 現在はネットで既刊を販売)』の創刊者であり編集人だった人だ。『谷根千』はマイケル・ジャクソンの『スリラー』が発表され、『ビリー・ジーン』がシングルカットされ爆発した翌年、世の中や東京がアーバンだシティーだとバブルに向かう手前、DTPなどない1984年に創刊された。創刊は新聞でも多く取り上げられたことを覚えている(雑誌ぴあが45万部を超え、チケットぴあがスタートした年だ)。
保育園の親同士という仲間で『谷根千』を30歳で創刊した森まゆみはこのレトロな下町エリアを歩き、生活者の話を聞き、食べ尽くしながら、季刊で94号まで作り続けた。おかげで谷中・根津・千駄木は古き良き東京らしさを残しながらも少しずつ変化する道を得たのだと思う。若者にとっても今や<オシャレ>で楽しい界隈となっている。
『谷根千』の電子図書館向けに販売されている電子復刻サイトの冒頭の説明書きがある。
<地域雑誌『谷根千』のことを、ジョージタウン大学のジョルダン・サンド教授(歴史学)は「エンサイクロペディア谷根千」と評した。台東区と文京区にまたがるこの歴史的地区は、小田原衆所領役帳にある遠山弥九郎という人の知行地にほぼ一致する。上野寛永寺から続く寺町、根津権現とその門前町、維新後は文化人が多く住んだ千駄木の屋敷町を包含し、幸運にも関東大震災と戦災で焼け残った。こんなに狭い地域で26年間、資料調査と聞き書き、そして今に生きる人々の思い、考えを細かく記録してきた。「日本人の暮らしのひだがわかる」と世界の大学でもバックナンバーを活用していただいている。デジタル化によって一層便利に活用されることを願ってやまない。2度のNTTタウン誌大賞、サントリー地域文化賞、山本有三地域文化賞、建築学会文化賞受賞。(森まゆみ:『谷根千』編集・発行人)>fukkoku.netより
ここまで森まゆみと『谷根千』を説明しておかないと本題である本の紹介ができない。明治という時代と場所への想像が必要だ。
著者は文京区に生まれ、隣の台東区にも馴染み親しんでいた。森まゆみが作家として、少女期より愛してやまない夭折した正岡子規の、明治の東京・根岸を背景に五感を刺激して生きた様子を、その句とともに辿った評伝が本書『子規の音』。
明治の作家たちの生き様を描いて有名な漫画『坊ちゃんの時代(画:谷口ジロー)』の原作者でもある関川夏央氏の自著『子規、最後の八年』の後書き文を引用する。
<子規の表現欲、旧文芸に対する改革欲、「親分」欲、「座」を主宰することへの演劇的情熱、そして食欲、どれをとっても病臥後のほうがはっきりしているし、またはなはだしいのである。子規の本領は、その早すぎた晩年のほうにある>
最後の八年とは、子規が結核となり先がないことを知り、帝国大学を中退し新聞社に入社、日清戦争の従軍からの帰路に喀血、病床に伏してから34歳で逝ってしまうまでの異常なエネルギーに満ちた八年のことだ。
生きたいから食べるのか、食べたいから生きるのか、食べることが生きていることなのか。本書を読むとそのエネルギーに引き込まれる。それは森まゆみによる子規の生きた背景の聞き取りの力でもある。
関川氏が書くように食欲の旺盛さ、執着は本書でも読み取れる。
松山から出てきた子規は遠縁の家を訪ね、偶然同級生に出会い「ここで初めて東京の菓子パンを食いたり」と書いている。ここから晩年までのあんパン好きが始まる。
寄宿舎時代には日記に「折もよし鍋焼き饂飩にあいたれば天の与えと喜びて 二三杯宛の饂飩をふきながらフーッツルツルフーッフーッツルツルザブザブとくい終わりて、ああうまし ああうましといいながら、小川町にいずれは皆戸をおろし」と書いた。そしてそのあとすぐに蕎麦屋の行灯を見てそば二椀をかき込む。さらに大福をもった友人と出会い大福を食べ、下宿でもがき苦しむ。
花の香を若葉にこめてかぐはしき桜の餅(もちひ)家づと(家への土産)にせよ
大学予備門の頃、桜餅で有名な向島・長命寺にある「山本や」の2階を月香楼と呼び借りていたことがある。向かいは言問団子である。
また「葉にまきて出すまごころや桜餅」や「葉隠に小さし夏の桜餅」とも詠んだ。背景には子規に珍しいロマンスも漂う。
本書は決して食べ物に執着しているだけではない。子規の「音」の聞こえる句に着目した。
「柿くへば鐘がなるなり法隆寺」
「柿落ちて犬吠ゆる奈良の横町かな」
これは日清戦争従軍からの帰路の喀血後、松山に戻り、上京する際に奈良に立ち寄った時に読んだもの。すでに死に向かう路の上にいたが「柿」と「奈良」の配合を発見し喜んだ。そして柿好きの子規は「我死にし後は」という添え書きをつけて「柿喰ヒの俳句好みしと伝ふべし」という句を作った。
「汽車過ぐる根岸の夜ぞ長き」
「寝んとすれば鶏鳴いて年新たなり」
「寝て聞けば上野の花のさわぎ哉」
病臥の人間が五感で感じることを写しとる時、音というのはどれだけ大きいことか。
子規の句を詠ずることはできないが、好きな文がある。『飯待つ間』という初期「ほととぎす」に載せた小文だ。その文は<余は昔から朝飯を喰わぬ事にきめて居る故ゆえ病人ながらも腹がへって昼飯を待ちかねるのは毎日の事である。今日ははや午砲が鳴ったのにまだ飯が出来ぬ。枕もとには本も硯すずりも何も出て居らぬ。新聞の一枚も残って居らぬ。仕方がないから蒲団ふとんに頬杖ほおづえついたままぼんやりとして庭をながめて居る。>から始まる。
そして子規は布団の上から見える外の出来事、会話を写生していく。起き上がることがなくなっても虚子、漱石、碧梧桐・・友達がひっきりなしに訪れ、食べることに執着し続けた。
そのエネルギーの理由を知ること、五感を鍛えて作った句を学ぶことは食というものの理解に一歩近づくのではないか。
出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。