- 書名:スープの国のお姫様
- 著者:樋口直哉
- 発行所:小学館文庫
- 発行年:2017年文庫本発行(単行本初版2014年)
樋口直哉はフランス料理の出張料理人である。兼、小説家である。安部公房『箱男』へのオマージュ作品「さよなら アメリカ」で群像新人文学賞受賞、芥川賞候補にもなった。なので、どっちが本業かはわからないが、どっちもなんだろうな。
『さよなら アメリカ』は小説『箱男(腰から上をダンボール箱をすっぽりとかぶり、覗き窓から外の世界を見つめて都市を彷徨う男の話)』へのオマージュで、主人公が「SAYONARAアメリカ」というロゴがついた袋をかぶって街を彷徨う話というところがただものではない感がある。
自分は以前から樋口直哉のnoteをフォローしているが安部公房の匂いはない。フレンチの厨房できっちりきっちり分量を計りながら料理をしていく感じで、背筋が伸びているのに優しく話しかけるような文体。そしてこのnoteはとても勉強になる。
この小説は文体もキャラ設定もラノベっぽい気もするくらいカジュアルで漫画チックだ(1981年生まれで24歳の時に出版した本なので、何となく時代的なものはわかるぞ)。これも作者のnote同様にえらく勉強になるのだ。
ある意味ファンタジーでリアルなレシピ推理(殺人もないし、美味しんぼのそれとは違うが)小説なのだが、それは安部公房の難解な部分を排除した、寓話的要素と非現実的な世界観も漂い、最後は教訓のようなものを感じられるのだ。もしかしたら、時代を読み取りつつ、違う世界を刷り込んでおく作者はかなり強かなのか。
そしてこの作品は、料理の知識(蘊蓄)に裏付けされていて、樋口直哉であるからこそ仕上げられた本だと言える。エッセイを書けるすばらしい才能をもった料理人は多いが、小説家は少ない。料理学校CIA出身で、ミステリー「シェフの災難」を書き、自伝小説『キッチン・コンフィデンシャル』が大ヒットしたアンソニー・ボーデインくらいしか知らない。
勉強になると書いたが、著者が参考にした次の文献をみるとその意味がわかってもらえると思う。特にエスコフィエとブリア・サバランの著書は大事な謎解きの鍵となる。
『辻静夫著作集』『デュマの大料理事典』『旅人たちの食卓〜近世ヨーロッパ美食紀行(フィリップ・ジレ)』『美味礼賛(ブリア・サバラン)』『エスコフィエ フランス料理』『モネの食卓』『『美食三昧〜ロートレックの料理書』『開口閉口(開高健)』『不思議の国のアリス』『レ・ミゼラブル』『フランスの料理人 17世紀の料理書』『19世紀イギリスの日常生活』などなど。
内容は、セレブなマダムのために(推察しながら)スープを作るという依頼を受けた出張料理人の話だ。そこに登場するマダムの孫が博覧強記。屋敷の膨大な本から得た料理の知識が詰まっていて、主人公とともにマダムの望むスープが何であるか解いていく。ここが樋口直哉ならでは(都合のいいと言えば身も蓋もないがそこがファンタジー)のキャラクター設定。『三毛猫ホームズ』の赤川次郎的で文章の読みやすさも近い。
そう、料理の技法と蘊蓄と読みやすさ。料理好き、食べ物好きには魅力的だと思う(小説マニアの中には蘊蓄が長いとか、内容が薄いとかいう人もいるようだが)。
重ねて言うと、エスコフィエ(作業分担や労働環境の改善に尽力した)の『料理の手引き』とかも文献としてさらりと出てくるのだが、謎解きのためなので面白く興味を持たせてくれる。そして全編、レシピが基軸となっていて、大昔のレシピが残っていることがどれだけ大事な事なのかが伝わってくる。
料理学校に入ったら読んでおくといいよね。作者は服部栄養専門学校出身で22、3歳で書いたんだから。
主人公が作るスープは次の内容。()内は筆者補足。
- ポタージュ・ボンファム(ジャガイモではない!)
- ビールのスープ(ビールのタイプで違う!)
- ロートレックのスープ(モルモットではない!)
- 偽ウミガメのスープ(不思議の国のアリス!)
- 石のスープ(世界一おいしいスープ!)
漫画『ソラニン』や『おやすみプンプン』の浅野いにおの表紙だが人によっては持って歩くには少し恥ずかしいかもしれない。表紙キャラのコスチュームが違うだけで単行本も文庫も同じなので、当時の一般読者層に対してかなり意図的な装丁だと思う。
しかし、この小説は、レシピの解読書のようでもあり、料理の専門書のようでもある。そして、主人公が母と最後に食べた思い出のスープにたどりつくヒューマンなストーリーでもある。
出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。