2019.06.14

夏の和食の旬対談 鮎 前編

新鮮な鮎

OPENSAUCEのメンバー、料理人・髙木慎一朗と歴史学者・三石晃生による季節の先取り 「旬」対談。今回は、会議室から金沢・片町にあるスナックパンチに場所を移し、他メン バーも加わってのほろ酔いトークとなりました。 トマトは夏野菜ではなかった!?アワビはすりおろす!?という前回までの衝撃の話題に続い て、今回は鮎をテーマに話は進みます。

遺跡の中からトイレが見つかると、食べ物についてわかる。その中 でも、なんと生の鮎を食べていたことがわかったということです!


髙木:生の鮎?刺し身で?

三石:生で。当然ながら (時代的にまだ) 醤油ないですけども。

髙木:こう、丸ごと頭からはいかないですよねえ。

板谷:天然の鮎、危ないじゃないですか。

三石:でもなんと生鮎、食べてたようです。

髙木:鮎ってでも、食中毒起こすような寄生虫ってあんまりイメージは無いですけどね。

三石:横川虫っていうミドリムシみたいなかたちした寄生虫がいるかな。

で、肉食べちゃだめっていうのは天武天皇からずっと法令出してるんですよ。

ずっとダメという法令を出し続けるってことは、ずっと食べてたってことなわけで。

イノシシの肉も食べてたのはわかってます。トイレを発掘して、そこから出てくる寄生虫の卵で何をどんな風に食べたのかを現代の考古学では解明することができます。

さっきの話になるけど、鮎って面白いんですよ。

あ、ちょうどうまい具合に鮎の話になった。やったね!

髙木:狙ってたんじゃないの。

三石:魚編に占うって書くじゃないですか。中国に持っていくと、鮎ってナマズって意味なんですよ。

髙木:え、漢字がナマズ。

三石:漢字がナマズなんです。鮎は中国語ではナマズをさします。

髙木:念ずるじゃないんだね。

三石:日本の鮎はあの字じゃないですか。中国ではナマズ。ナマズがあることを知った時に、これどうしよう…もうこれ定着しちゃってるしアユは鮎で動かせないよね、てなって、じゃあしょうがないとなって、国字で、魚編に念じるで鯰ていう漢字を発明します。あれ、日本にしかない漢字です。

髙木:でも、魚編シリーズって日本だけの多いですよね。鮒とか。

三石:あとね、鮭。鮭って漢字、中国ではフグとか魚類全般のことを指します。もともとサケはサキペ、シャケンベといって「夏の食べ物」って意味です、アイヌ語の。

髙木:じゃあ夏に食べてたってこと。夏はそんな近海には来てないと思うんですよね。川に上がるのって秋でしょ?産卵のための。

三石:もしくは鮭だけじゃなくてマス科全体のことをそう指したのかも。

髙木:ああ、そうか。

焼き物で最も難しい、鮎

髙木:鮎はですねえ、日本料理の焼き物、魚を焼いたり肉を焼いたりする焼き場の仕事としては一番、難しいんです。

例えば、炭処がありますよね。鮎を頭から串刺して焼きます。

で、熱源からの距離ってだいたい一緒じゃないですか。でも、尻尾のヒレの一番薄いところと、胴体の一番分厚いところって、何十倍も違いますよね。

でも同じ熱源から焼いてるのに、ヒレも壊さずに、胴体の分厚いところにちゃんと火を通して焼き上げるっていうのはけっこうミラクルだと思いません?。

風で扇いだり、ピークをずらしながら。それで頭のところはサクサクっと崩れる感じに火を通して、胴体のところは外側パリッと中ふわっとして、尻尾欠けた魚って最高にかっこ悪いですよね。

鮎の尻尾をこがさすに、干物みたいに仕上げるのが鮎で、一番オーソドックスなやり方なんですけど、なかなかできる人がいない。

いないからどうするかっていうと、ヒレに塩をつけてプロテクションするんですね。

三石:あ〜、だから焼き魚があんな塩っしおしてるんですね!

髙木:あれは理由があって、活きた鮎って必ず、シンメトリックにヒレが開くんです。胸ビレとか。

死んだ鮎って絶対、開かないんです。それを立たせるために塩で。

糊みたいなカタチでやるんです。

だからうちなんか来ても残念なことに、塩焼きとか出して、うちは化粧塩絶対しない店なんで、丸ごと食べて欲しいのに、無意識のうちに全部ヒレを落としてから食べる人が多いですね。

三石:何のためにやってるんだろうと。

髙木:そう。鮎が焼ければ、火のポイントがわかる。活きた鮎に串を打つ技術、塩をあてる技術、焼く技術。これはやっぱりちょっと難しいですよね。

三石:鮎は別名、香魚って言いますね。

板谷:それは苔を食べるからですか?

三石:珪藻っていうのを食うんで、確かに活きてる鮎ってスイカみたいな匂いするんですよね。それで香魚と。

宮田:でも、鮎って初めて食ったの大人になってからだな。

三石:関東の人、みんなそうかも。

髙木:おれは一番身近な魚の一つですね。川の近くで育ったから。

三石:関東は鮎文化じゃないんですよね、採るとこ無いですし。

髙木:夏場の犀川の上流の方で、小学生とかの間で、鮎を釣ったらヒーローでしたよ。

宮田:髙木さんところは(手をふり回して鮭を取るような仕草で)こーやって食ってたんですか。

髙木:それは熊ですね(笑)
あの当時、児童会館ってわかります?場所。ここから歩いても20分くらいのところにあるんですけど、あの近辺って鬱蒼と生い茂った森みたいのがあって。

そこにいわゆるホームレスみたいな人が何組も住んでた。

僕らが遊び行ったりすると、そこでちゃんと魚焼いて食ってたんです。ちゃんと生活をしてたんです。それで近づくと怒られるんです、「ガキども来るなぁ!」って。

でも子供心に、大雨とか降ったら洪水とかなるとあの人たち大丈夫かなって心配してましたね。

昭和50年ごろじゃないですかね。

宮田:でも鮎を初めて食ったときは苦手でした。

秋刀魚以上に苦かったんですよね。あれがダメだったんです。蓼酢(たです)が。

両方マズイ、と思って。

髙木:蓼食う虫も好き好きって言うじゃないですか。あれ、本当にそうだなと思いますね。

あの葉っぱは非常に苦いものなんですけど、たぶん鮎にしか使わないですね。

宮田:他には使わないですか。でも、あの鮎の香りと苦味と、あれ以外無いもんね。

髙木:あれ最初に組み合わせたやつすごいなと。

宮田:あれ発見したやつすごいですよね。

三石:相当な食い道楽ですよね。

髙木:あれが、川の岸辺の方に生えてる草なんですけど、修業時代、どっかの店は栽培のやつは使わなくて取ってこなきゃいけないわけです。洪水の時でも果敢に水の中へ。

宮田:金沢の『音羽屋』さんが、蓼を、蓼酢じゃなくて他の調味料にしてイカで出してきて。それがけっこう美味いんですよ。

髙木:あれに酢をつけて、蓼をとってきてきれいに洗って水気を切って、あたり鉢ゴリゴリやってペーストにして、米酢で溶いて使うんですけど、必死なんですよ。なぜかっていうと、摩擦するじゃないですか、すり鉢。そうすると熱が入るんで、色が悪くなるんですよ。

だから修業時代はこんな大きい桶に氷を入れて、あたり鉢を冷やしながらやるんです。

それを、金沢帰ってきて、フードプロセッサーでやった時の快感。

マッハで終わりましたよね(笑)

それまではもう、とにかく体力勝負でした。それで八の字でゴリゴリゴリゴリやってて、すごい難しい回し方をするのが密かな楽しみだったんですけど、フードプロセッサーでやったら”ウィーン”で終わりですからね。しかもそっちのほうがキレイで早い。

多分、僕が初めて接したフードテックはあれですね。

宮田:フードプロセッサーって本当、すごいですよね。

髙木:あれはすごい。

宮田:僕、東京の吉祥寺でよく行ってた 『まざぁ・ぐぅす』っていう洋食兼喫茶店みたいなとこなんですけど、そこパスタが有名で、ヒゲ生やしたおっちゃんがやってたんですけど、仲良くなってから作り方教えてもらってレシピを見てたら、「これはなぁ、手でやるの大変だからフードプロフェッサーがねえと無理なんだよ」って。

板谷:教授になっちゃった。

(店内爆笑)

髙木:冷やしながらやってたっていうのは、今思えばなんだそりゃになるんですけど、当時としてはそれしか方法がなかったですね。色を止めなきゃっていうんで。懐かしいですね。


トイレの遺跡から漢字、調理法、フードテックに至るまで、展開が予想できませんでしたね。
鮎については、知られざるその生態など、まだまだ続きますので続編をお楽しみに!
そして、次回はアワビ編の後編です。