2020.02.02

旬と和食と日本人
冬編 ④ 岩のり

岩のりのイラスト

外は深夜の寒さが続く中、片町スナック・パンチは「旬」の話を肴にお酒が進みます。話題は、ふぐカブと大根につづいて岩のりで終盤に。

海苔って神様の食べ物だったの?

三石:いわゆる現在のイメージするところの「のり」は、歴史浅いんです。

髙木:いつから?

三石:あれは江戸入ってから。海苔は、綱吉の生類憐れみの令の副産物なんですよ。

生類憐れみの令って生き物殺すのダメでしょう。そうなると当時海が近かった浅草とかあのへん一帯でやっていた漁業も全て終わっちゃう。

で、何もなくなった江戸湾を見た人が、「あー、でも残ってる杭とかあそこらへんに海苔がついてるな~」それと、浅草にある紙漉きを組み合わせたら面白いことできるかもしれないな~つって、イノベーションやってできたのがいわゆる板状の「海苔」の始まりです。

RIFF編集部:ちょっと海苔の変遷を言いますと、「生海苔」というのは縄文・弥生の時代からあったとも言われていますね。海藻食べてたんで。大和朝廷の時代には神饌にとして扱われ市場に現れ、日本武尊が常陸国乗浜で干しているのをみたという話が出てきます。大宝律令にも税金として海苔を納めるというのが書かれています。たぶん、アオサみたいに干したやつですね。

髙木:ってことは、江戸時代には「海苔巻」は無かったの?-

三石:18世紀、江戸時代の中期になったらありますね。

髙木:じゃあいわゆる焼海苔っていうか、板状の海苔はあったわけだ。

三石:それが綱吉以降ですね。江戸の紙漉の技術を応用して、あの板状の海苔になるわけですね。

髙木:岩のりは幕末?

三石:岩のりは、養殖の反対語としての「天然モノ」という意味で、歴史的にいえばずーっと岩のりの歴史です。
海苔の近代的養殖に成功するのは戦後になってから。
藻の学者だったドリューさんという女性が解明します。
今までずーっと冬に海苔が育つのはわかっていたのだけど、夏って海苔はどこにいるんだろう??という謎があったんですが、ドリューさんが夏は貝の中に海苔が潜んでいることを発見しました。
そこで初めて運に左右されない養殖が可能になるっていう。ドリューさんは水質汚染とかで壊滅しかけた戦後日本の海苔養殖の救世主なんです。

RIFF編集部:じゃあ日本人じゃないんだ。

三石:イギリス人ですね。ドリューさんが解明して、海苔が育つ過程はこうだ!っていうのを、日本人の学者友達に手紙で知らせたんです。
っていうかドリューさん、日本に来てないけど有明海に碑があるの(笑)

RIFF編集部:そういえばイギリスのウエールズあたりでは食べてますね。オートミールにピュレにした海苔混ぜたりして。

中野:地元トークで言うと、なんで治部煮っていう調理法が金沢だけで能登とかには無いんだろう。

三石:あれねえ、いろんな説があるんだけど、高山右近って知ってます?

尾山神社ってあるじゃないですか。尾山神社ってステンドグラスあるじゃないですか。神社にステンドグラスって最初に見た人がみんな驚く。

あれは、高山右近というキリシタン大名の影響ではないかといわれています。前田利家もキリシタンだったなんていう説もあるぐらいです。

高山右近は、古田織部の、そう『へうげもの』っていう漫画読んだことあります?

RIFF編集部:あれはよく調べてますよね。

本当かどうか怪しいけど、『南方録岐路弁疑』という書物には、織部焼を作ったと言われる古田織部の妹婿だとあって、この漫画でもその設定を採用しています。どうでもいい話なんだけど。

金沢城って変わった造りをしているんですよね。

日本の城郭とは少し違う、ヨーロッパ的な築城法の趣がある。

金沢にはクリスチャン趣味というか南蛮趣味が随所にあります。前田利家、高山右近らが西洋文化を金沢に取り入れていった際に「ジビエ」が「治部煮」になったっていう説がありますね。

中野:江戸時代とかから治部煮っていうか、ああいう調理法はあったんですよね。

それが根付いたのが、ここだけだったと。

三石:由来はどうであれ、郷土料理の残る残らないは、土地の嗜好、土地柄が大きいですからね。昔あった、といっても途絶えちゃってたらなんの意味もない。

髙木:話が戻るんだけど能登で採れる岩のりって、年明けなんです。2月くらいから。

だから僕らは岩のりが採れ始めると、そろそろ春になるなって。

市場ではパックのこんな丸いやつに入ってる。

あれ、けっこう危なくて、当然、下むいて岩に張り付いてるやつ採るじゃないですか。

だから、高波が来ても気が付かないから、事故がけっこう多い。

高波じゃなくても、30センチくらいの波でも足すくわれるじゃないですか。それで、2月くらいだと寒いから、それで落ちて、亡くなるっていうケースけっこうある。

三石:もうこれ、サーファー雇うしかないんじゃないですか。波あると喜ぶし。

ママ:サーファーだって死ぬ時は死にますよ。

三石:サーファーはボードがあってリーシュ(足首をボードにつなげる紐)があるから意外と大丈夫だよ。俺も一応サーファーだけど。

ママ:三石さん、なんでもやってんねえ(笑)

三石:趣味の一つ。最近行けてないけど。

髙木:だから岩のりが出ると、節分とか。旬っていうニュアンスじゃない別の意味での、春だなあっていう感覚。山菜だともっと後じゃん。岩のりだと、冬が終わりそろそろ春が来るなっていう感じがするから、ついつい買っちゃう。

三石:季節感も海水温の上昇で変わってきましたね。今まで鰤が獲れなかった北海道でも獲れるようになってきた。北海道の漁師さんはコレをどうしたらいいか、わからなかったらしい。流通とかどこに?買う人いるの?と鰤を持て余していた。ところが最近なんかは北海道であがった脂の乗った寒ブリも出てきて、函館で「ハコブリ」ってブランドにまでなってきてますね。

髙木:俺が小さい頃っていうか、小学校、中学校、ようやく、なんとなく魚の出どころがわかり始めた頃、うちで使う鰆は全部、岡山から来るんでけど、瀬戸内の。地物が無いから。

それが今、能登沖でバンバン、いいのが穫れるようになってるんですよ。

しかもトラフグなんて、もともと南洋の魚じゃないですか。それが今、石川県で穫れるようになってる。

三石:獲れる場所が変わってきてる。そのうち、東京湾で南の方の魚のフエダイとか獲れちゃうようになるかも。

髙木:南にいた鰆とか ふぐは、ある意味北上してきたと考えれば、鰤が北上するっていうのもなんとなくわかりますね。

しかもヒョウモンダコっていう毒持ってるタコ、あれもうこっちに近づいてるからね。

南米大陸原産のヒアリが棲み着くくらいだから。

三石:いままで冬を耐えられなかった生き物が温暖化によって越冬できちゃう。

温暖化とは関係ないけれど、金沢ってそんなに寒くないですよね。僕は東京にいるけど、東京から金沢に来ると、ああ、呼吸しやすい、暖かいって思う。湿度があるからかもしれない。

肌の調子もいい。ということを、お手伝いしている老舗酒蔵のオーナーに言ったら、「はぁ~、もう、三石さんも金沢人やね」って言われましたよ(笑)。


冬の「旬」対談、ひとまず終了です。次回をお楽しみに!