これは2008年から2013年まで ニュー・サイエンス社発行「季刊・四季の味」に『銭屋の勝手口』として連載された銭屋主人・髙木慎一朗による随筆の一編です。連載では料理人である筆者の目と体験を通して日本料理の世界と人、美味しいものなどについてが綴られています。今回はNo.71 冬 2012年12月28日発売号に掲載されたものを出版社の許諾を得て掲載いたしました。
十二月にはいり、金沢の天気はいよいよ冬らしくなってきました。鉛色の雲の襲来とともに天候は大いに荒れて、電車や飛行機などの公共交通機関も軒並み影響を受け、運休や遅延などが発生しておりました。もちろん、それは私たち料理屋にとっても深刻な状況でもあります。
朝市場で仕入れた材料を仕込んで、おいしいお料理をご用意してお迎えしようとしても、肝心のお客様がいらっしゃらないことには仕事になりません。
しかしながら、自然が相手では私達はどうすることもできませんよね。できることといえば、帳場の電話の前に座り、ただ恨めしそうに窓の外の荒れ狂う様子を眺めているだけ。
銭屋のお客様のなかにも、東京から越後湯沢までたどり着いたものの、直後に金沢までが運休となり、やむを得ず越後湯沢で一泊して、翌朝動き出した電車でなんとか銭屋にたどり着いた方もいらっしゃいました。諦めず来てくださって、ホントうれしい限りです。
そして、まさに万難を排してお出でましいただいたお客様を、我々としてはとことん楽しませて帰さずにはいれませんよね。
こんな時期にどのような料理をご用意しようかと考えた際、真っ先に思いつく食材は、というと……。
それらを使ったお料理をご紹介しますね。
冬、日本海、金沢……とキーワードが並ぶと真っ先に思いつくのは、やはりカニです。今時分の近江町市場は一画「ズワイカニ」と「香箱かに」で埋まっていますが、十一月七日の解禁後の初売りには、我々料理人のみならず、金沢の多くの人々がカニを買いにやってきます。
もちろん、それを買うのは地元の人たちだけではなく、全国へ向けても販売されているようです。時折、銭屋のお客様からもカニもご注文をいただき、発送しておりますが、天候次第の仕入れ状況にはいつも悩まされます。
カニの漁場は、港から日本海に向けて繰り出し、辿り着くまでに半日近くもかかるような、一般の方が想像するよりもはるか遠い場所にあるのです。ですから、漁をしている最中はもとより、行き帰りの間の気象状況は即ち生命の危険度を表します。というわけで、天気の具合によっては出漁しない時も多々あるのです。それだけに、新鮮で良いカニを仕入れることができると、喜びもまた一入です。
銭屋でズワイカニを使う代表的な料理は、炭火で焼く「焼きかに」、そして羽釜で炊き上げる「かに御飯」が挙げられます。
ウチの「焼きかに」はとにかくシンプル。生きのいいカニを手早く捌いて、特注のコンロで焼くだけ。
炭火でジワリと火が通り始めると、切り口からぷくっと美味しそうなカニ身が盛り上がってきます。その身をよく見ると、透けて見えるほどではないにしても、うっすら半透明。火が通って殻に近いところから白くなってはいるものの、芯は生。このような焼き加減がまさに絶好のタイミングなのです。
この機を逃さなければ、加減酢などはいりません。まずはそのまま召し上がっていただくことをお奨めしております。カニ本来の甘みというか旨味を楽しんでいただくには、これが最高のやり方だからです。
カニが焼き上がり、お皿に持って御膳に置いて「さあ、どうぞ」とご案内するや否や、銭屋の客席からお客様同士の会話が無くなります。みなさん、一心不乱に身出しして召し上がってしまうからです。わんこ蕎麦よろしく、食べ終わり次のはまだかなって思われるようなタイミングで次のが焼きあかるようにご用意しておりますので、尚更ですね。
「かに御飯」は、研いで十分水を浸した石川県産のコシヒカリに、だし、薄口、塩、酒を入れて、最後に予め茹でておいたズワイガニ一杯分のカニ身を入れて炊き上げます。炊きあがりに刻み葱としぼり生姜をいれて出来上がり。
蓋を外すと、勢いよく湯気が立ち上がるのと同時に、淡い、でもしっかりとした旨味を感じさせる「ズワイカニ」の風味が溢れ出してきます。葱と生姜の風味からくる爽やかさと共に。
羽釜で炊いた熱々の「かに御飯」がどんな味なのか、もう説明は要りませんよね?
代表的な出世魚であり、出世する過程の呼び名は全国で百以上あるとも言われているぶり。
この魚抜きに、銭屋の冬は語れません。
銭屋で使うぶりは、定置網で獲れたものに限っています。巻き網で獲れたものに比べて、身が良い状態で水揚げされるからです。造里(つくり)はもちろん、塩焼きや幽庵焼き、ぶり大根、蕪寿司など、これぞ金沢!とうなりたくなるような「ぶり」の料理はいくつかありますが、私がつい食べたくなるのは刺し身と焼物でしょうか。
一瞥するだけでたっぷりと脂がのっているのがわかる造里を三切れ、それにたっぷりの大根おろしと山葵。十七世紀中頃に作られた古染付の青色と淡いピンクのぶりの身が、それはそれは見事に調和するのです。
大根おろしを添えたぶりの切り身にやや多めに山葵をのせ、これまたちゃっと多めの醤油を絡めて一気に頬張ると、しっかりとした歯ごたえを楽しんだ後、一歩間違えれば生臭く感じてしまうようなぶりの脂が、大根おろしと中和したのでしょうか、何ともさっぱりと楽しめます。
三十数年前、先代がこのような造里を提案した理由はたった一つ。脂がのりきったぶりを如何に美味しく、そしてさっぱりと楽しめるか、を考えた結果でした。
時季のものですから、お腹一杯とは言わずとも、「いやー、食べたなー」と実感できる程度の量は食べたい……。さりとて、山葵醤油だけでは、部位にもよりますが、脂がのった部分ですと二切れも食べれば十分。それ以上だとどうしても御飯が欲しくなります。そこで、時季の野菜である大根おろしを添えて、あっさりと食べることを考えたようです。もちろん、ぶりと大根の組み合わせ自体はずっと以前から認められていたと思いますが、大胆なほどに大根おろしを添えてぶりの造里を食べることをお奨めしだしたのは、どうも先代のようですね。
ぶりは、味噌漬けにして焼いたものにも大根おろしを少し添えます。銭屋の暮れの定番商品となって早くも三十数年の、元祖「ぶりの味噌漬」も、大根おろしを添えてさっぱりと召し上がっていただくことをお奨めしております。
これは、国産大豆と麹を贅沢に使って仕込んだ銭屋特注の味噌に漬け込んだぶりを木箱に入れて、銭屋からお客様への御挨拶の品として作り出したことから始まります。いまや全国から注文をいただいてお送りしておりますが、味噌のレシピもぶりの切り方も先代の頃からまったく変えておりません。
しっかり焼かなくても、両面が軽いきつね色になったら十分、それ以上焼いてしまうとスグに焦げてしまいます。たっぷりと旨味が凝縮した切り身を一口、大根おろし少々も忘れずに添えて、熱いご飯と召し上がってみてください。思わず「うまいっ!」って呟いてしまうこと、間違いなしです。是非とも多くの方々に召し上がっていただきたいものですわ。もちろん銭屋の定番の献立でもあります。
幼いころから、私にとって身近な冬の味はぶりでした。店で仕込んで余ったものを、先代はしばしば家に持って帰ってきて、私たちに食べさせてくれました。アジなどを焼いても、一旦冷めてしまうとあまり美味しいとはおもいませんでしたが、この「ぶりの味噌漬け」は、何故か冷めていても美味しく食べておりました。ぶりに染み込んだ特注味噌の優しい風味が、冷めたぶりをも美味しくさせたのでしょうか。
この時季に折詰のご注文を頂くと、必ず「ぶりの味噌漬」を献立に入れます。もちろん時季のものだからではありますが、実は密かな理由になっているのは、冷めた味噌漬を幼いころに美味しく食べていたからかもしれませんね。
炊きたての熱々ご飯に、大根おろしをたっぷりと添えたぶりの造里を、何とも美味しそうに頬張っている先代を、このエッセイを書きながら久しぶりに思い出しました。
今晩、お客さんがお帰りになった後で、密かにぶりを、ちょっと多めに切り出して俺も御飯と一緒に食べることにしますわ。
最後に銭屋ご用達、お奨めのカニ屋さん、ぶり屋さんをご紹介します。
川本商店(カニ、近江町にある専門店)
☎ 076-231-5982
忠村水産(ぶり、近江町にある高級鮮魚店)
☎ 076-232-0333
石川県金沢市「日本料理 銭屋」の二代目主人。
株式会社OPENSAUCE取締役