
- 書名:「日本の定番料理10の謎」
ポテトサラダはなぜ「おかず」になったのか - 著者:樋口直哉
- 発行所:NHK出版新書
- 発行年:2026年
本書『日本の定番料理10の謎: ポテトサラダはなぜ「おかず」になったのか』は、日本の家庭で作り続けられている「定番料理」の歴史と科学をひも解く、食文化エッセイであり実用書(今夜試せるコツも満載!って帯に書いてる)でもある。
本書の執筆は、著者が「2013年、和食がユネスコ無形文化遺産に登録され、現在に至るまで”無形文化遺産にも登録された和食“という具合に枕詞のように使われ続けていいるが、そもそも無形文化遺産とは何か、登録された和食とはどのようなものか」と考えたことに端を発している。
著者は本書の冒頭で無形文化遺産に和食が登録された経緯をおさらいしている。
まず、東日本大震災によって傷ついた日本食品のイメージアップにつながると考え、その年の7月に歴史学者の熊倉功夫さんを会長に「日本食文化の世界遺産化プロジェクト」という検討会を発足された。
そして、「何をもって日本の食とするのか」「どのようにすれば審査に通るのか」の二つの課題について検討された、という。検討会では外国人にもイメージしやすい、という理由で「会席料理、あるいは懐石料理こそ日本料理の代表」とする流れがあったが、日本と同様に登録を目指していた「韓国の宮廷料理」が「一部の人だけのもの」であるという理由で選から落ちたことで、見直しとなる。
そこで、「通りやすい申請書にすることが重要」としてまとめられたのが「和食; 日本人の伝統的な食文化(WASHOKU ; Traditional Dietary Cultures of the Japanese)」となった。
そして「多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重」「健康的な食生活を支える栄養バランス」「自然の美しさや季節の移ろいの表現」「正月などの年中行事との密接な関わり」という四つが特徴として挙げられた。
そして世界遺産化プロジェクトの会長の熊倉さんは雑誌の対談の中で、「和食」をこう定義した。
洋食に対する概念であり「一汁三菜」を基本的な献立として、「三世代前の日本人が家庭で常食していたもの」と述べ、和食として登録されたのは三世代前=昭和30年代の家庭料理。
このの定義で考えると、一汁三菜、つまりご飯を中心とし、汁物を添えた料理は和食となる。すると、とんかつやコロッケ、ハンバーグも和食と言える。では、これらの料理はいつから和食になったのか。
ところが三世代前の=昭和30年代以降(1955年~)の日本食についての記述は意外と見当たらない。そこで著者は、ハンバーグのような定番料理について、主に雑誌『きょうの料理』(1958年創刊)のレシピから成立の経緯を探りつつ、その秘密を解き明かしていくことになる。
本書の謎を解かれる10の”日本の定番料理”は
・肉じゃが・・・居酒屋のはなぜうまいか
・ハンバーグ・・・いつから家庭の定番になったのか
・生姜焼き・・・なぜご飯に合うのか
・から揚げ・・・「和食」なのか
・ポテトサラダ・・・なぜ「おかず」になったのか
・麻婆豆腐・・・なぜ病みつきになるのか
・焼き魚・・・炭で焼くとなぜおいしいのか
・パスタ・・・なぜ日本で愛されるのか
・チャーハン・・・プロはなぜパラパラなのか
・みそ汁・・・なぜ出汁が必要なくなったのか
となっている。
たしかにこの料理名を見て、なんでこれが日本の定番料理?と思う人は少ないのではないだろうか。この100年ばかりの間に「家庭」に定着したものばかりだ。家族が暮らす「家庭」でも、一人暮らしでも、これらの料理を作ったことがある、もしくは作ってみようと思ったことがある人が大半だろう。そしてこれから先、消えてしまう気配はなさそうではないか。
われわれが日々何気なく口にしている料理には、約100年の間に起きた劇的な進化のドラマが隠されている。本書は、人気料理家であり作家でもある著者が、国内外の膨大な文献と「分子調理学」の知見を武器に、その進化の謎に迫った一冊だ。
そして著者・樋口直哉は本書についてこう書いている。
『定番料理には定番となるだけのおいしさの理由がありますし、時代背景も無視できません。また、料理には作る人の思いが込められています。先人がどんな料理を考えていたのかを知ることは、変化が求められる時代にあって足元を見直す作業にほかなりません。今では当たり前になった10皿の料理を通し、本書が日本の食文化や毎日の料理について考えるきっかけになることを願っています。』
「すき焼き型」から変化を遂げた肉じゃがの正体
本書の白眉は、第1章「居酒屋の肉じゃがはなぜうまいのか」における、肉じゃがのドラスティックな変遷の分析である。一般に肉じゃがといえば、出汁(だし)をベースにじっくりコトコト煮込むおふくろの味を連想する。しかし著者は、日本の食生活の変遷とともに、その調理法が3つのステップを経て進化したことを突き止める。
- 少ない水分と濃い調味料で一気に加熱する「すき焼き型」
- 蓋をして素材の水分を活かす「蒸し煮型」
- 出汁を用いてじゃがいもに味を染み込ませる「煮含め型」
居酒屋の肉じゃがが圧倒的に美味い(すべてのとは言えないが)理由は、まさにこの歴史的変遷の「科学的な正解」を突いているからだという。著者は「煮物は強火で一気に加熱」という、家庭の常識を覆すロジカルなアプローチを提示し、読者を驚かせる。
洋食がいかにして白米の相棒となったのか
続く第2章で語られる「ハンバーグはいつから家庭の定番になったのか」も、実に見事なアプローチをしている。海外から流入した「洋食」だったハンバーグが、日本の「家庭料理の王道」へと上り詰めた背景には、日本特有の「白米文化」への適応があった。箸で崩せる柔らかさ、そして白米を何杯でも乗せたくなる濃厚なソースへの進化。西洋のひき肉料理が、日本人の味覚に合わせて劇的なドメスティック化を遂げたプロセスが、生き生きと描かれる。
さらに、ここでも著者の真骨頂である調理科学が火を噴く。「ハンバーグはこねない」という、これまた従来のレシピ本を全否定するかのような実践的なコツが明かされるのだ。肉の結合と肉汁の保持を科学的にコントロールするその手法は、読んだその日の晩に試したくなる。
食卓の「当たり前」を鮮やかに覆す知的エンターテインメント
本書が提示する謎は、これらだけに留まらない。「生姜焼きの隠し味にタバスコ」「みそ汁に出汁は必要ない」といった、一見すると奇をてらったかのような主張の数々が、歴史的な必然性と分子レベルの科学的根拠によって次々と証明されていく。歴史を知ることで料理の背景にある物語の深みに触れ、科学を知ることで調理における失敗をなくすことができる。
本書は、単なる懐古主義的な食文化論ではない。私たちの味覚を規定している「定番の味」の正体をロジカルに解剖し、現代のキッチンへ還元する「生きた教科書」である。ページをめくるたびに、明日の食卓が確実に変わる。食べる喜びと料理する楽しさを、これまでにない解像度で教えてくれる新書の傑作だ。
いや、新書のくせに快作なのだ。
追記
著者・樋口直哉の作品は以前RIFFでも2017年に出版された『スープの国のお姫様』を紹介している。セレブなマダムのために(推察しながら)スープを作るという依頼を受けた出張料理人の話で、これも歴史的な料理本などを読み解くことで推理が進む「謎」解き。
出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。