2026.06.05

太田和彦「70歳、これからは湯豆腐 − 私の方丈記」【私の食のオススメ本】

  • 書名:「70歳、これからは湯豆腐 − 私の方丈記」
  • 著者:太田和彦
  • 発行所:亜紀書房
  • 発行年:2020年

「長い人生にたどりついたのはこれだったか」

70歳になったとき、著者、太田和彦さんは「いま求めるのは心の安泰だ。それを何に託そう」と考え、たどりついた答えは『豆腐』だった。

料理の脇役で欠かせないのが、それ自体でもうまい「豆腐」。脇役だけれど最後はいろんな味を吸っていちばんおいしいものになる。その豆腐が主役になることがある。『湯豆腐』。単純だけに味わいは奥深く、飽きない。

著者、太田和彦さんは居酒屋作家と言われているが資生堂宣伝部出身のグラフィックデザイナーである。一般には、書籍『超・居酒屋入門』『日本居酒屋遺産』やテレビ「太田和彦のふらり旅 新・居酒屋百選」などで知られている人だ。その太田さんが長い仕事生活に区切りをつけられるところまで来たときのことだ。

太田さんが見つけた<豆腐として生きる>晩年のあり方。

それは「隠居」だ。

「高望みどころか望みはなし。もうひとりでいい。夜一杯飲めればじゅうぶん。これは楽だ」

免許も返納。事故に遭わないという自由が増えた。バイクで日本一周とか、百名山をめざすとか生涯学習をするなど、大事ではあるが金も体力も必要なことはしなくていいんじゃないかと。

ポジティブなあきらめの境地って確かにいい。

ちなみに、伊藤若冲は40歳で家督を弟に譲って全30幅からなる花鳥画の連作「動植綵絵」を描き始めた(若冲は京・錦小路の青物問屋の主人だったのだ)。江戸時代は隠居できる年齢制限というのはなかったのである。旧民法(〜昭和22年)では60歳以上が条件となった。もちろん、いまは家督制度も隠居制度もない。

それらは近年、セミリタイアとかセカンドライフとか言われていたが、世の中的に(特に日本では)かなり富裕層の話になってきた。年金は、始まった当初は55歳で受給開始だったが、それがが65歳まで引き上り、いまでは75歳から受給すれば年金額が一生涯84%増額されるとまやかしのような話を国は伝えてくる。

これでは隠居もできないなと思うかもしれないが、隠居というのは派手にセカンドライフを楽しむことではない。江戸時代の隠居に憧れるのは、庵で静かに本を読んで、近所の子供たちに字や書道を教えて小遣いにするという時代劇にでてくるアレである。いま、隠居生活をするとしたら・・

太田さんは自分だけの場所を探して、つましく豊かに過ごすことにしたのだと、思う。

外に出て四季を愛でる。
本屋と酒場をはしごする。

太田さんが70歳を過ぎて書いたこのエッセイは、「ひとり時間」の過ごし方。現代の隠居の仕方なのだ。60歳からの予習帳とも言える。

・捨てられないもの
・人付き合いを仕切り直す
・しないでよかったこと
・居場所をつくる
・習慣を持つ
・朝の道のり
・息抜きは自炊
・肌の手入れ
・挨拶は平凡に街に出よう

短いエッセイのタイトルはこんな感じなのだが、「ねばならない」といった話ではない。何か、ふっと肩の力が抜けた人生を歩み始めた日常のスケッチのようなものでほのぼのした話も多い。たしかにな、と思うところが満載だ。それは自分も70を超えたからそう感じるのかもしれない。

ほのぼの話として「妻と居酒屋」というのがある。たぶん居酒屋に一緒に来たのは初めてのだろう、メニューについて奥さんが訪ね、それを太田さんが説明する。お釈をしてあげて奥さんが「おいしい、あったまる」といい、太田さんは案外いける口か<知らなかった>、と。
また連れてこようと思っていたら、店主夫妻と仲良くなった奥さんはしばらくしてそこで女友達と女子会をするようになった。太田さんは心の中で「おれと来るよりいいんだろう」と文章を締めているが、自分の好きな店を気に入ってくれたからなのか、奥さんが楽しんでいるからなのか、ちょっとしたうれしさも滲んでいるように思う。

本書は自分の親のことを考える年代になった人にも一読することをお勧めする。父親もこんなことを考えているのだろうか?と思ってみるだけでもいい。「一編1000字のエッセイは気軽に読み飛ばせるし、それほど突っ込んで書かなくていい」というのは太田さんの連載のモチベーション。読み手にとっても<楽>だ。

(あとね、居酒屋の店主やスタッフにも読んでもらいたいな。一人で飲みに来ているこんなオジサンやお爺さんがいるんだって知って欲しい)

そして太田さんにとって欠かせないのはもちろん<酒とのつきあい>だ。

バブル期に「本物の味は庶民の居酒屋にあり」と友人たちと居酒屋研究会を作った太田さん、研究会を続けるうちに、よい居酒屋は古い店であることに気づいてくる。「主人も2代目でお客もまた同じ。居酒屋が同じ場所で何十年も続くのは良心的な商売をしている証拠で、それこそ名店だ」と。

まあ、本書の執筆から7、8年は経っていて、時代も日本も激変している。株価は上がっても一般国民は貧しくなった。地方では店主も老体化し、継ぐ人もなく細々にも限界がきてその幕を閉じる店も増えてきた。なんとかならないものか。

そして、太田さんは本書で居酒屋を「自分を肯定する場所」だという。その話の前に「組織をリタイアしてひとりになった中高年が自分を再生させるには、居酒屋へ行くのがいちばんと書いてきた」という。

行く店は行き当たりばったりでは決められないので、まずは昼間に歩いて検討をつける。次に開店と同時に入る。店の空気もきれいだし「口開け」といって大切にされる(本当か?)。とりあえずカウンターに席を取り、<とりあえずビール>でいい。居酒屋はお通しがでるのでそれで飲りながら品書きを検分し、注文する・・・
これができないのは<現役時代、数人で飲みに行っていたからだ>という。これを「すべてひとりでやる」ことを経験するために太田さんは勧めているのだ。
店の主人と交わすのは「この白身おいしいですね」くらいでいい。無用な緊張がとける程度で。

今の居酒屋は数人で集まってワイワイとやるところになってしまったかもしれない。そこだけがビジネスモデルになり、現在のチェーン居酒屋の成長に繋がったのだろう。逆にカウンター席で質問ぜめにあうことも多い。

自分や太田さんの世代では、居酒屋のカウンターでひとりちびちびと飲るオジサンが居るイメージだった。東京北区十条の『大衆酒場 斉藤』のようにUの字の大きなカウンターが昔の店にあるのは一人で来るのが前提だったからか。店の人と話すでもなく、スマホも見ずひとりで1時間を過ごせない人も増えたように思う。店側も、一人で来ていて可哀想だな感を出してくるところもある。

太田さんが言うように「話したくないから」

ああ、そうか、ポソポソッと2小節くらい休んで話すリズムの場所ではないってことだね。

そして太田さんは、居酒屋を「自分を肯定する場所」だという。いろいろ昔のことを思い出したりしながら、いつしか「不満を言えばきりがない。む文句はない。これでよかったんだ」と自分を肯定する気持ちがわいてくると言う。(自分はここまでにはなっていないのでその境地に至るのも楽しみでもあり、まだぐだぐだとしたくもある)

読んでいくと理解できるのだが、この本はひとりで生きることの本なのだろう。

太田さんはサブタイトルのように「私の方丈記」とつけ、鴨長明の『方丈記』を題材に後書きを書いている。コロナで仕事場から一歩も出られなくなった時に始まった本書の連載なので、まさしく方丈(一丈四方の部屋)の蟄居と思えたらしい。

「鴨長明は下鴨神社に将来を約束された身だったが、(大火、大地震、辻風、大飢饉、無用な遷都など)、世のあり様に無常感を深め、四畳半ひとつの山里の庵に隠棲して『方丈記』の筆をとった」と太田さんは書いているが、実際は長明の希望が叶わず、神職としての出世の道を閉ざさたので後鳥羽院のとりなしにもかかわらず出家しちゃって、最終的に隠居した人らしい。

人間の観察日記で、防災の教えみたいなところもある『方丈記』だが、太田さんの居酒屋での観察をリタイア中高年に教える、豆腐となって隠居する方法もためになる、と思うのである。

WRITER Joji Itaya

出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。