これは2008年から2013年まで ニュー・サイエンス社発行「季刊・四季の味」に『銭屋の勝手口』として連載された銭屋主人・髙木慎一朗による随筆の一編です。連載では料理人である筆者の目と体験を通して日本料理の世界と人、美味しいものなどについてが綴られています。今回はNo.69 2012年6月25日発売号に掲載されたものを出版社の許諾を得て掲載いたしました。
ここ二、三年の銭屋において、定期的では無いのですが、とても楽しいお客さんが時折訪れてくれます、それも、ドイツ、イタリア、イスラエル、シンガポール、アメリカ、韓国など、様々な国から、わざわざ銭屋にやってくるのです。でも、そのお客さん達は、カウンターやお座敷などの客席に座ることは殆どありません。銭屋に滞在している時間のほとんどを調理場で過ごしているのです。なぜなら、そのお客さん達は、全員料理人だから……。
海外の様々なイベントなどで、現場のシェフ達と話していると、「日本で本物の日本料理を見てみたい」「仕込みしているところを見てみたい」としばしば言われます。
もちろん、世界各地にたくさんの日本料理店があるのですが、料理人としてみれば、やはり本場で見てみたいというのが本音でしょうし、私にもその気持ちはよく理解できます。
また、単にお客さんとして食事に行くだけでは、料理人として本当に見たい部分を見た気がしない、というのも分かります。
ですから、私はその都度こう答えるのです。
「いつでもウチの調理場に来ていいですよ。但し条件が三つありますけどね……」と。
その条件とは次の三つです。不測の事態は仕方がないとしても、滞在中に健康の心配がないように、万全な状態で来ること。宿泊場所は自分で手配すること。そして、帰る前の日に自分の国の料理を銭屋スタッフのために作ってくれること。
最初の条件である健康管理に関しては、彼らにとっては金沢も立派な外国の街ですから、殆どが十分な準備をして来てくれます。宿泊先に関しても、私達よりも彼らのほうが様々な情報をたくさん持っていて、「こんなところがあったのか!」って驚くような、リーズナブルな価格の宿を上手に探してきますね。
「料理場へのお客さん」、ということで初めて銭屋へやってきたお客さんは、三年前の春にハンブルグからやって来たアンチェでした。このドイツ人女性シェフは、私でもやっと持てるような大きな重いバッグを軽々と背負って、まだ肌寒い小松空港に颯爽と降り立ちました。
彼女と出会ったのはそれから半年ほど遡り、Chef Sacheという料理イベントに招待されたときのことでした。彼女はスポンサー企業からの出向で、イベント期間中の私達のアテンドをしてくれていました。その際に「ぜひ銭屋の料理、そして調理場を見たい」と何度も言っていたのですが、私は正直言って、まさか本当に来るとは思っていませんでしたね。
この手のお客さん達の滞在期間はバラバラで、短いのは三日間、長いのは一ヶ月ほどとかなり差はありますが、「いたいだけどうぞ」というのが、私達のスタンスです。アンチェは二週間ほどいたんでしょうか。
アンチェは毎朝私達と一緒に市場へ行って仕入れをし、調理場に戻ってからは、仕入れた材料、そして仕込みを興味深く観察し、ときには一緒に料理したりしていました。一緒に仕事をしてみて分かったのですが、何かにつけてよく気がつき、ちょっと盛り付けさせても比較的キレイに仕上げるタイプだったので、滞在期間の最後には、カウンターで私の助手もしてもらいました。それはもちろん、本物のお客さんをお迎えするときのことです。
その日いらっしゃったお客様は、ウチの先代の頃からのお得意様でした。いつも通り「よおっ!」っと声をかけながらカウンターに入ってきたそのお得意様は、ペコっと会釈するアンチェを見て一瞬立ち止まりました。背の高い、ブロンドヘアの外国人女性が白衣を着て、まさか銭屋のカウンターに……。まったく予想していなかった事態に驚きを隠せなかったようです。
私がカウンターに出て「いらっしゃいませ」とご挨拶して、この状況を説明しようとしたところ、神妙な顔で「おい、銭屋はこんな趣向にかえたのか?」と間髪いれずに私に一言。そして、心配そうな表情の彼女をチラッと見てから私に向かい、何とも嬉しそうな顔で「わしはこんなのは嫌いじゃないぞ」と喜び出す始末。私にしてみれば「おいおい、なんだそりゃ?」とちょっと呆れましたが、まあいいかと思い、料理をご用意し始めていったのです。それからの、私の助手として違和感のない、彼女の仕事ぶりはお得意様にも印象的だったようで、改めて大層驚かれていましたね。
いままでの「料理場へのお客さん」の中で、忘れられないもう一人の女性シェフがいます。NYから来たリアンです。彼女はNY市内にある有名な調理師学校であるFCIの教授を務める傍ら、「TOP CHEF」などの人気テレビ番組の料理演出を担当したり、レストランのコンサルティングをしたりと、幅広い活躍をしていましたが、自分のキャリアをリセットして、新しいことに挑戦したいと、全ての仕事に区切りをつけ、その貴重なオフを利用して金沢にやってきました。
一週間ほどの滞在期間中、彼女もまた毎朝市場に出かけ、気になった食材を見つけたら、自分で購入し、ウチの調理場で色々と試して食べていましたね。
金沢での日程を終え、京都へと向かう前日のことでした。前に述べた「調理場のお客さん」になる三つ目の条件である「まかない」を、リアンはウチの若手をアシスタントにして作ってくれたのですが、これが圧巻だったのです。
その日の朝、市場で私はリアンに、「君の料理の材料を何でも仕入れなさいな」と話しました。彼女は野菜、鮮魚、牛肉と、事前にメニューを考えていたのでしょうか、次々と買っていきました。正直言って、まかないの予算を遥かに超えた食材を幾つか買い込んでいましたが、その中でもびっくりしたのが牛肉でした。
能登半島の幾つかの牧場で育てられ、ごく僅かな生産量にもかかわらず、金沢の美食家たちを常に魅了する能登牛の、もっとも美味しそうな(そして高価な)部位を先代の頃からの出入りの肉屋で見つけたリアンは、躊躇うことなく二キロほど仕入れました。肉屋のオヤジさんは、この仕入れがまさか自分たちで食べるためだとは、夢にも思っていなかったでしょうね。
後日、弟が仕入れの際に「この前の肉、どうだった?お客さん、喜んでたか?」とオヤジさんに聞かれ、正直に事の顛末を話したところ、「はあー?あの能登牛はお前らで食べたってのか?」と呆れていましたわ。
このいわくつきの能登牛、大野で作られた地物の味噌をベースにしたソースで、本当に美味しく戴きました。大野という町は金沢港の近くの小さな港町で、昔から醤油屋さんや味噌屋さんが多く軒を並べているところです。銭屋で使う味噌の幾つかは、先代の頃から今でも同じ味噌屋さんに特注でお願いしております。
そしてリアン謹製「まかない」のクライマックスは天婦羅でした。天婦羅といっても、野菜中心で、春菊や野芹、蕗の薹など、比較的風味の強い野菜が多かったですね。そしてこの天婦羅を、何とパルメザンチーズと日本酒で作ったソースで食べさせてくれました。天婦羅にチーズ?そんな馬鹿なって思われるかもしれませんが、実は私達も最初はそう思いました。弟と一緒に野芹の天婦羅をつまんで、いわゆるチーズの風味がたっぷりと漂うソースにつけて一口食べてみると、思わず顔を見合わせ、「こりゃ、驚きだ!」。
サクッと揚がった衣の風味とほんのり苦い野菜の味、そしてまったりとしたチーズのソースがドンピシャに合うんです。バルサミコ酢と米酢を合わせて作ったドレッシングの海鮮サラダの何とも言えない面白さにも、つい顔が緩みました。こうなりゃ、ワインだ!酒だ!ってことになり、みんなで杯を交わし、食堂でちょっとしたパーティのようになってしまいました。
リアンの料理と楽しいお酒をいただきながら、このような「調理場へのお客さん」達に巡り会えたことを、私は心底有り難く、そして嬉しく思っていました。言葉も十分通じないのに調理場に入り、料理人同士の阿吽の呼吸だけで、ここまでコミュニケーションできるとは、本当に気持ちが通じ合っていなければ到底無理な話ですよ。
私は、これからもご縁があれば、「調理場へのお客さん」にどんどん来ていただきたいと思っています。そして、銭屋のスタッフの誰かが、いつか何処かの外国のレストランで「調理場へのお客さん」になって、日本料理を披露しながら、自ら体験した楽しい経験を、多くの料理人にもまた体験させてくれることを期待しています。それも日本料理が世界中に一層深く理解される礎に、必ずなるはずです。だから頼みますよ、若い衆!
石川県金沢市「日本料理 銭屋」の二代目主人。
株式会社OPENSAUCE取締役