2026.11.08

マッキー牧元「ポテサラ酒場」

  • 書名:「ポテサラ酒場」ポテサラ好きが通う名店案内
  • 監修:マッキー牧元 (ポテトサラダ学会会長)
  • 発行所:辰巳出版
  • 発行年:2014年

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ポテトサラダについては以前、OPENSAUCEメンバーの上土井さんが、バケツでつくる母の味として、面白くて素敵なレシピ物語を書いているのでぜひ一読を。

今回紹介するのは、「タベアルキスト」として有名なマッキー牧本氏の監修した、東京が中心であるが、その店にポテサラだけを食べに行ってもいいと思わせる「ポテサラがうまい店」のまとめ本である。10年以上前の出版なので閉店した店、名前が変わった店、店主が変わった店などもある。そして昔と変わらず何十年もその店のポテサラを出し続ける店もある。

ところで「ポテサラがうまい店」というのはただそれだけのことなのか?

著者、1955年生まれのマッキー牧本氏はレコード会社勤務でサザン・オールスターズのアルバム制作や宣伝にも関わったことがある。桑田佳祐と同い年(筆者もである)の現在71か2歳。学生時代からライターをやっていたが、会社員時代に『山本益博の東京食べる地図』の取材と執筆に参加。その後雑誌などに寄稿を始め、テレビ、ラジオでも活動をしてきた。

70年代から80年代、東京にはこういう人たちが周りにたくさんいたなあ。副業とか言うんじゃなくて、興味や好奇心でなんでもやっちゃう人。

退社後はフードジャーナリストとして活動、現在は株式会社味の手帖取締役編集顧問。日本食文化会議理事、日本ガストロミー協会副会長などを務めている。

マッキー牧本氏が取材チームに参加した『山本益博の東京食べる地図』は、料理評論家の山本益博氏が執筆を手がけ、〜地図とは言えば昭文社〜のマップルマガジンから1990年代に発行されていた伝説的なグルメガイドブックだ。

このガイドブック(地図)の非常に画期的だったのは、3つ星クラスの高級店と、町中華・とんかつ・居酒屋が同じ基準(=本当に美味しいか)で並んでいたことだった。私見であるが、マッキー牧本氏は長年、高級店から町場のジャンクな料理までを”おいしいか”と”誠実か”というシンプルでありながら、「これ以外、じゃあ何がある?」という正道をもって<いい店>というものを探し紹介してきたように思っている。その基礎ができたのは、この『山本益博の東京食べる地図』に参加した時なのではないかと勝手な推察(思い込み)をしている。

さて、マッキー牧本氏は日頃からポテトサラダについてこう言って来た。
「私は何を隠そう『ポテトサラダ研究会会長』である。そのため、どんな飲食店に行こうが、満腹であろうが、メニューに「ポテトサラダ」があれば、必ず頼む」。そしてコミュニティーとして十数年前に『ポテトサラダ学会』も立ち上げている(「日本ポテトサラダ協会」とは別)。

タイトルが「ポテサラ酒場」で、サブタイトルは<ポテサラ好きが通う名店案内>となっている。自分は過去にここに載っているいくつかの店は行ったことがある。さらりと「名物ポテトサラダ」と謳っていたりする店もある。かと言ってポテサラ目当てに行ったことはなかったと思う。しかし、あたりまえのようにポテサラを頼んでカウンターやテーブルの端にそっと取り置き、料理と料理の間についばんでいたのである。

本書のテーマ『ポテサラ』というのは、寿司屋は卵焼きでわかるみたいな位置付けの料理らしい。いい店かどうか、つまり店が丁寧に仕事をしているかどうかがわかるというのである。

これはマッキー牧本氏が、世に言われる「ポテトサラダがおいしい呑み屋は、いい店だ」は本当か?を確認すべく毎夜ポテサラ行脚していくうちにわかったことだ。

つまり「ポテサラ酒場」として認定されるというのは、ポテサラに手抜きすることなく時間と気持ちをかけて、おいしく作ろうとしている丁寧な仕事ぶりが、料理と店そのものに反映されている「よい酒場」であるということだ。

本書のいちばん最初に、東京青山の骨董通りにある『青山 ぼこい』が取り上げられていたので、懐かしさと思い入れもあり、すっかり本書の取材内容を丸ごと信用してしまうことになった。ここから始まるのならこの本は間違いはないはず。

1968開業の『青山 ぼこい』には、ビルに建て替えられて2階に移った80年代中頃にお邪魔したことがある。まだ創業者のお母さんがご健在で、息子さん二人とキッチンに立っていた。聞くところによると息子さんの一人は日本料理の店で修業していたにもかかわらず、そのまま母の味の家庭料理を続けている。そしていまでも、クリエーターの街、ファッションの街、一等地に在りながらも下町の居酒屋のような営業を続けている。

その『青山 ぼこい』の、健在の頃のお母さんのレシピがそのまま引き継がれたポテサラは『dancyu』誌で「世界一」と賞賛されたこともある。世界一と言っても、ポテサラを酒のあてにしたり、ご飯のオカズにする国は日本だけかもしれない。

全部が平均的にマッシュされているわけではなく、大小のごろっとしたジャガイモも感じるざっくりとした合わせ方が”人”っぽさを感じて好きだったのを覚えている。

(ちなみに、『日本の定番料理10の謎 ポテトサラダはなぜ「おかず」になったのか』という樋口直哉氏の本を紹介しているので読んでみて欲しい)

この本の巻末には掲載店のポテサラの材料やマッキー氏や担当ライター、著名人によるコメントが書かれた<ポテサラ便利帖>というものがある。そこには”いも感” ”つぶれ感” ”マヨ感” ”具感”でのレーダーチャートまで作成されているのである。ポテサラの内容から店を選びたい人はコッチから、という塩梅である。

ちなみに、『青山 ぼこい』のコメントには「さりげない。うますぎない。しかしほっこりとおいしい。いもの香り、卵のうまみ、両者を引き立てるマヨの味、ベーコンの隠し味。何を食べさせたいのか明確であり、料理としての均整美がここにある」と書かれている。レーダーチャートでは”いも感”が4、”つぶれ感” ”マヨ感” ”具感”がそれぞれ3という地味で控えめなのに、うるさ型の『dancyu』審査員を世界一と言わしめるのである。

酒場のポテサラとはそういうものなのであって欲しい。その店では一番に食べたいけれど、すべての料理の二番手にさりげなく控えていて欲しいと個人的には思うのだ。「よーし、今日はキンメの煮付けだ。でもその前にポテサラだ」というように。

そんなポテサラがある店を教えてくれるのがこの本だ。

そして、どうもポテサラの写真撮影というものはカメラマン殺しかもしれない。どうやって美しく見せることはできないようだ。トッピングでインパクトを与えてもトッピングが主になって肝心のポテサラは地味なままである。どうやっても潰したイモなのである。それもフレンチのようにミルクなどでなめらかにしてスプーンでクルクルとやって添える世界ではない。さらにこれは会うぞと中に入れたきゅうりやにんじんやハムなんかが不細工に顔を出したりする。

しかし、その美しく飾れないポテサラこそが愛おしいのである。レーダーチャートの”いも感” “つぶれ感” “マヨ感” “具感”といった評価軸は対面でしかわからない。写真には写ってこない。行くしかない。

半熟燻製卵がでんとのって存在が薄れたようなポテサラ
具材が秩序なく、美しくもなく存在するのにおいしそうなポテサラ
引き立て役にまわったポテサラには食べてわかる存在感がある

本書は、酒場とタイトルにあるが、居酒屋からレストランまでいくつかの呑み場のカテゴリーに分かれている。
・居酒屋&小料理屋
・バー&バル
・世界の食堂(※多国籍な料理を出す国内の店)
・あの人の行きつけ
・地方の名店
というものだ。

特に「あの人の行きつけ」では、作家・角田光代、料理家・栗原心平、漫画家・久住昌之らが愛するポテサラの旨い店を紹介している。残念なことに角田光代が奨める東京・西荻窪『ささら亭』、栗原心平の奨める五反田『望月』は閉店している。行ったことがなくても文章を読んでいると、無理なのにどうにかそのポテサラを食べたいと気持ちが湧いてくるから不思議だ。

お店というものは失くなるものかもしれない。今ある店、これからできる店が、昔の店のように100年以上存在するというようなことはないだろう。直感で言うと、最近生まれた店ならば、今の時代、最大でも25年くらいではないだろうか。その間でしか味わえない料理も同時に消えるかもしれない。

気になる店や料理は思い立ったら行って食べておきたい。レシピが残すことは大事だ。それでもこのポテサラというのはさほど内容が変わらないものでも、その店によって味が違うことがある。お酒造りのように、その店に常在している酵母菌のようなものがあるのだろうか?



もうひとつ個人的な思い出を書いておこうと思う。本書で取り上げている東京の十条にある『斎藤酒場』にも懐かしい記憶がある。JR赤羽線・十条駅にそばに住む漫画原作者をやっている友人がいて、企画の打ち合わせで訪ねるたびに、送ってもらいがてら夕方4時半の開店と同時にすべり込み、この『斎藤酒場』で一献を傾けていた。埼京線が通る前の話だ。開店と同時に入店するのはあっという間に満席になるからだ。

いつもポテサラから頼み、大根煮→カレーコロッケ→串かつ→といった定番をつまみにしていた。記憶にあるのは、マヨ感は強めだけれどやさしい味のポテサラに手慣れた感じでソースをかけていたこと。これは戦争になって昭和3年開業の酒屋を、女手でもやっていけるようにと居酒屋にした『斎藤酒場』における常連客の風習のようなものだったのか、友人はそのレトロな空間でのしきたりにすっかり溶け込んでいた。

そしてもう一つの記憶は、『斎藤酒場』には当時伝票がなく、自分が座っている席のカウンターの板の内側寄りにチョークで正の字を書いて、最後にそれを見て会計していたこと。たぶん、あれは百円と十円それぞれに正の字を足していったのではなかったろうか。

まあ、昭和の初期から戦前、戦後を超えて続いている時間が止まっているような店内でまずはポテサラからというのは、東京・山手線の反対側からやってきた者へのご褒美であったのは確かだ。

『斎藤酒場』は現在も『大衆酒場 斎藤』となり営業を続けている。

WRITER Joji Itaya

出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。