2021.12.21

サラダバーの話

サラダ

今となっては当たり前になった挙句にコロナで一時はすっかり肩身の狭くなってしまった存在が「サラダバー」。

私はこう見えてベジタリアンの次ぐらいに野菜好きだし、かれこれ三十年ほど前に初めてサラダバーというのを体験したのが、西新橋交差点のビルの二階にあるステーキレストラン「VOLKS(フォルクス)」だった。

まだ二十歳そこそこの頃、その西新橋のビルで打合せをした後に腹が減ってしまい、同じビルの2階にファミレスのような店があったので、たまたま引き寄せられるように入った店が、そのフォルクスだった。

フォルクスは割とリーズナブルな価格でステーキやハンバーグが食べられるのが売りの店で、メニューを見るとセットメニューの中に「サラダバー」というのがあった。「サラダ」も「バー」もよく知った有名な単語ではあるものの、その二つがドッキングした「サラダバー」という、当時は聞いたこともないオシャレワードに目が釘付けになった。

フォルクスの看板

注文をとりにきた店員さんに「サラダバーちゅうのは何ですかね?」と聞くと、「あちらにあるサラダバーからお好きなものをどうぞ、何度でもおかわりして頂けます」と言われて驚愕した。なんと非常識なサービスなのだろうかと思って迷わずにサラダバーセットを注文し、勇み足でその夢のようなバーに行くと、野菜が大好物な私にはディズニーランドとまでは言わないものの「としまえん」ぐらいテンションが上がる楽園があった。まるで農場ではないか。

初めてだったので作法がよく分からないまま、渡されたお皿に好き放題盛りつけ、選び放題バリエーションのあるドレッシングをかけて自分のテーブルに運び、モリモリ食べた。

注文したメインのハンバーグが出来上がる頃には、おかわりしたサラダで私の胃袋はすっかり満腹になっていた。

それからというもの、そのビルに打合せに行くと必ずフォルクスでサラダバーを食べるようになった。

なぜそのビルによく行ったのかと言えば、当時そのビルの上階には徳間ジャパンというレコード会社のオフィスが入居しており、私はそのレコード会社でたまに音楽の仕事をもらっていて、プロデューサーの荒川さんという黒縁メガネで少しテキトーな性格のおじさんから(メッセンジャーのスタンプに10点札を持ったソックリなのが居た)「宮っちゃんさぁ、今から打合せできる?」と、電話で呼び出されると自転車でホイホイと行っていた。それで打合せが終わるとフォルクスに寄ってサラダバーを食べていたのだった。

その荒川さんから、ある打合せの後で「宮っちゃんさぁ、俺んちに来ちゃってさぁ、ミーティングの続きやろうよぉ」と、ご自宅に招かれた事があった。

東京無線に乗り、千駄ヶ谷の古いマンションに連れて行かれると、リビングらしき部屋にはオカッパ頭の奥さんが居て、開口一番「絶対に、うるさくしないでね」と釘を刺された。

失礼なババアだなと思ったが、荒川さんに「奥さん、なにをされてる方なんですか?」と聞くと「ギャルソンのパタンナー」と説明されたものの、当時の私には、なんのこっちゃ分からない職業だったのだが、それ以上突っ込んで聞いたところで理解出来ないことを悟り「へぇ、凄いんですね」と軽く受け流した。

今思えば、確かにそんな感じの人だった。

荒川さんはプロデューサーであると同時にミキシング・エンジニアでもあり、とくにブラックミュージック系の音楽が好きで、その日は彼の自慢のLINNのオーディオシステムでアイズレー・ブラザーズやカーティス・メイフィールドに始まり、ジャム&ルイスまで一晩中そのテのレコードを聴かされた。そして案の定、夜中に隣の部屋に居た奥さんから「うるさい!」と怒られた。

仕方がないし気分も悪いので、早々に退散してキラー通りのホープ軒に立ち寄ってタクシー運転手達に紛れて輪切りのネギをアホほど乗せたラーメンを食べて家に帰った。

そして翌日、再び荒川さんから電話があり、再び西新橋に呼び出されてミーティングをして「昨日はごめんなー」とお詫びをされ「メシ奢るよ」と言われてフォルクスに連れて行かれた。勝手にサーロインステーキのサラダバー付きのセットを注文され「ここさ、サラダ好きなだけ食って良いから」と言われたのだが、既にその時の私はベテランの域に達していたので「知ってますけどね」と思いながら「そうなんですね、ありがとうございます」と言ってありがたく頂いたのだった。

話はいつものように脱線してしまったのだが、それからすっかりサラダバーの虜になってしまった私は、その後に登場する「シズラー」や「ステーキのあさくま」に行ってはサラダバーを楽しんでいた。それぞれの店でサラダのラインナップに特徴があったので、結構楽しめたものだった。

私にとっての初体験がフォルクスだったので日本初のサラダバーは勝手にフォルクスだと思い込んでいたのだが、ちょっと検索してみると「我こそは日本初」という情報が多く、どれが本当なのか分からなくなってきた。だがしかし、ここはフォルクスこそが日本初であるということにしておきたい。

あれから何十年か経って、サラダバーも多種多様化し、今ではサラダどころかデザートやらフルーツやら色んなものが増え、さらには「ドリンクバー」という、「ドリンク」に「バー」は、さすがに当たり前だろうというのも登場した。

バーをなんだと思っているのだろうか。

と書いていて、そもそも「バー」の語源は何なのか気になって検索して再び脱線してしまった。

BARの語源

へえ、そうなんですか。

話を戻すと、私も少し大人になって社会経験を積み、国内外問わず仕事で出張も多くなり、楽しみと言えば宿泊するホテルの朝食にサラダバーがあるかどうかで予約を決め、それが美味しいかどうかでランク付けをしていた。

アメリカのサラダバーの場合、日本ではまず生では食べないだろうという野菜であるブロッコリーやカリフラワーが生の状態で堂々と陳列されていて、カルチャーショックを受けた。もちろん食べてはみたけれど、やはりあまり美味いとは思えなかった。東南アジア某国のサラダバーでは一発でお腹を下したり、ハワイのホテルではその種類の多さと美味しさにワクワクしたものだった。

シリコンバレーで活躍するベンチャーのオフィスの食堂では、ランチタイムに美味しそうなサラダバーが用意されていて、いつか自分もこんなオフィスを作りたいと思った。そういえばピクサーの社員食堂にもオーガニックなサラダバーが用意されていた。

サラダバー

こう書いていると、再びあの頃のように旅をして、美味しいサラダバーが食べたくなってくる。

その一方で、あのサラダバーの野菜は、バーに山盛りにあるほうが見栄えは良いものの、残ってしまったらどこに行ってんのかな?とも思うのだ。

マーティン・ルーサー・キング牧師風に言うと、私には夢がある。それは、いつの日か、グループ会社「KNOWCH」の自社農場で育てた野菜だけで、ゼロフードロスな完全無欠のサラダバーを実現させるという夢である。

その夢は、まだKNOWCHのメンバーには言ってない。

『耕作』『料理』『食す』という素朴でありながら洗練された大切な文化は、クリエイティブで多様性があり、未来へ紡ぐリレーのようなものだ。 風土に根付いた食文化から創造的な美食まで、そこには様々なストーリーがある。北大路魯山人は著書の味覚馬鹿で「これほど深い、これほどに知らねばならない味覚の世界のあることを銘記せよ」と説いた。『食の知』は、誰もが自由に手にして行動することが出来るべきだと私達は信じている。OPENSAUCEは、命の中心にある「食」を探求し、次世代へ正しく伝承することで、より豊かな未来を創造して行きたい。