
- 書 名:「パテ屋の店先から〜かつおは皮がおいしい(新装増補版)」
- 著 者:林のり子
- 発行所:アノニマ・スタジオ
- 発行年:2010年
東京、田園調布にあるレバーパテやテリーヌなどの惣菜店『PÂTÉ屋』(以下パテ屋)に初めて行ったのは1979年か翌年だったと思う。店主・林のり子さんの原稿が、当時働いていたファッション誌に載ったからだ(その原稿の掲載日は79年の5月となっている)。

原稿を受け取りにお店に行った担当編集の先輩女子に聞いて<パテ>なるものを食べたくなった。当時はまだ、今と違ってパテがでてくるビストロも、ワインバーも少なく、在ってもペーペーの社員には店に入ること自体がハードルが高く、テイクアウトならなんとか買えると考えたのだ。
ちなみに当時はファックスもなくワープロもなく(東芝の日本語ワープロが誕生したのが1978年で、一般に普及するのは80年代後半)、もちろん携帯もeメールもない。執筆依頼は電話か直接交渉で、原稿の受け取りは直接会ってという時代だった。雑誌『POPEYE』が創刊されたのが1976年で、若者が海外のファッションやカルチャー情報(特にアメリカのストリートで生まれた)に触れるのは雑誌か同年にできた輸入セレクトショップ『BEAMS』くらいだった。その後から広がっていった独自の若者カルチャーの層を形成したのは確かだ。
本書は1987年に晶文社から刊行された林のり子さんのエッセイ『かつおは皮がおいしい』に新たな原稿(他社で書いていたもの)と当時働いていた著名人が集まっての鼎談が追加され、同書の新装増補版として復刊したものだ。
その追加された原稿が、自分の働いていた雑誌に掲載された寄稿文だった。『かつおは皮がおいしい』が出版された頃はすでに退社し、20代の友人たちとデザイン企画会社を立ち上げたばかりで、そのことを知らずにいたのだが、タレントの清水ミチコが学生時代『パテ屋』でアルバイトをしていて・・云々とラジオで話していて、20年以上経って復刊を知り入手したのだった。
そして追加された鼎談は、当時『パテ屋』で一緒に働いていたOGが一品ずつ持ち寄って、飲みながら23年前を振り返って昔話をするというものだった。メンバーは清水ミチコ、詩人の ぱくきょんみ (造形作家・大学教授の岡崎健二郎の妻。自分と同世代の二人)、編集者、アートディレクターで馬喰町ART+EAT(2007〜2019)を運営していた武眞理子、こちらも同世代。店主の林のり子さん以外は当時20代前半。新しいカルチャーに一歩先に触れる若者たちだったのだろう。
あー、もっと店に通っていれば仲良くなれたかもしれない。
清水ミチコが働いていたのは1981年とあったので、残念ながら学生時代の彼女と遭遇はしていない。たぶん。

さて本書の著者、林のり子さんは大学の建築学科卒業後、オランダとフランスの建築事務所に留学生枠で1年ずつ勤務していた。1964年の東京オリンピックの1年前に帰国、夫のアトリエに勤めた後、結婚。その後、建築家をやめて子供を連れ実家に戻り、1973年に『パテ屋』を開店したわけだが、その経緯の断片があちこちの章で見受けられる。
ただ、本書は食に関する短いエッセイ集なので、経緯の詳細が年表のように書かれているわけではない。よってここでは、自分個人の時代感と他の記事などから得た情報をまずは書いておきたいと思い、冒頭の文を書き始めた。本書を読むためには知っておいて無駄にはならないはずだ。
その林のり子さんは1938年( 昭和13年)1月14日生まれ、現在88歳である。
彼女が食の道へ入った経緯と理由が面白い。インタビューで「(建築事務所で働いていて)料理の話だと雑誌や本なんかの知識と一緒にどんどん興味が広がっていくのに、建築の話となるとどうにも広がっていかない。もしかしたら、自分は料理の感度のほうがいいのではないか、と思うようになりました(料理通信2025.8)」と言っている。
林さんが自分のアンテナが料理に向いていることをはっきりと自覚したのが30歳を過ぎてからのことだった(Wantedly 2018/8)。
たぶん、彼女はヨーロッパで建築にたずさわることで得られたものより、食で得られたものの方が格段に大きかったのだろう。
帰国して結婚後、林のり子さんの夫が短期でUCLAで教えることになり同行した。ある日、ニューヨークの知人の家に遊びに行った際、その知人はお手製のレバーパテを出してくれ、彼女は家でもパテが作れるのかと驚く。そしてその知人は、後にアメリカのポップアートの巨匠となったジャスパー・ジョーンズだった。
だから、『パテ屋』のパテの原型は若き日のジャスパー・ジョーンズの手作りの味なのだ。林のり子さんはあの日の味の記憶を頼りに改良をしていったらしい。
そして彼女は、『パテ屋』を開業すると同時に、『〈食〉研究工房』も設立した。
これは、彼女が「ヨーロッパの保存食品であるパテを日本でつくるのはフランス人がフランスでたくあんを漬けることと同じくらい不自然ではないか?」と感じるようになり、この疑問を解くべく、日本、ヨーロッパそして世界の気候や自然の環境をしらべ、メモをつくり、地図をおこす作業を、パテ屋の作業とはすべてが異質なので、研究工房を別につくって作業しようとしたところに始まる。
それは<世界の味のしくみを探る:水牛通信> <マップ・世界のブナ帯食ごよみ:宮城、山梨> <ブナ帯食ごよみ12か月:全国農業新聞>といった形でまとめられてきた。
林のり子さんは、「この作業には、或る地域の1品について、その背景や物語りを、そして、映画や音楽とのかかわりを発見するたのしい瞬間がある」と書いていて、その空気はパテ屋の品々に反映されているという。(ホームページより一部引用)
特にブナ帯の調査では、動植物や微生物など多様な自然生態系を有し、独自の暮らしや文化を育むブナ科植物の多い樹林帯、ブナ帯地方(落葉広葉樹林帯)をフィールドワークする活動は、2015年、「ブナ帯ワンダーランド」として発表されるまでになった。
そのときの書籍をいま作っていて、それが忙しくて、厨房は若い人に任せることが多いけれど、味のチェックだけは欠かさない、と2025年、85歳の時のインタビューで話している。
すばらしい!! とかだけ言ってはいられない。これは、われわれ(OPENSAUCE)が取り組んでも良いはずの課題でもあったはずなのだから。
さて、本書は『かつおは皮がおいしい』の新装増補版なのだが、そのタイトルとなったエッセイ、第五章〜かつおは皮がおいしい〜は金沢の冬を代表する食のイベント、「フードピア金沢1986」のために書かれた一編だ。
現在でも続く長寿イベントの第2回の時である。若い時に林のり子さんの原稿に触れ、店に行き、人生の最終章となってから金沢に住み、食に関わることを仕事としている身としては、半世紀に近い時間の流れも加わり、「いろんな軸が食で繋がっているんだなあ」としみじみとしてしまう。
ちなみに「かつおは皮がおいしい」では、著者の<かつおの皮のたたき>愛が語られている。かつおのたたきが好物なのだが、特に炙られた皮が格別だと言う。魚屋で他の客がみんな、かつおの刺身を買って行くのを見て、皮の行方を探したらアラの中に放り込まれていたのを発見、魚屋から買い取るようになったと言う。
林のり子さんは、この身がいくらかついて分厚めの皮を、強火で炙って、ニンニク、生姜、長ネギ、木の芽を山盛りにして頬張るということをやっていたらしい。(なぜか一時期このご馳走を忘れていたらしい)
話の続きで、音楽評論家の故・田川律さんが林のり子さんの客人として登場する。田川律さんは日本のフォークソング時代の立役者であり、中村とうよう氏らとともに「ニュー・ミュージック・マガジン(現ミュージック・マガジン)」を創刊した人だ。彼とは、お酒の場で共通の古い知人や音楽関係の話を何度かしたことがある。
その田川律さんが、林のり子さんの作業場ででるアラやクズのおいしいところを「僕もクズがいい」と長幼の序で持って行き、彼女には骨と皮(たぶん身のついていない)がまわってきたという話なのだが、この様子から、『パテ屋』のOGたちといい、新しい時代の文化、オルタナティブな文化を作り出す様々な人たちが「食」を通して集っていた空気が感じられる。
本書の帯には「お笑いも映画も、音楽もパテ屋でわかちあえました(清水ミチコ)」「パテ屋の奥は、いつも”日常”というパズルに自然の法則や歴史のかけらを嵌め込む遊び場だっだ(武眞理子)」という言葉が並ぶ。その言葉で、林のりこさんが現場でいかに「食」と「食をとり巻く文化」というもの研究・実践してきたかが伺える。
RIFFのこのコーナーは、食に関するおすすめ本を紹介する場所だ。とは言っても、個人的には書評的な感想や概要やあらすじをまとめて紹介すると決めているわけではない。自分がその本を読んでみようと思った時のきっかけのようなものをばらばらと書き出していると言ったところだ。どこの誰だかわからない人間に、いいぞいいぞと勧められてもね。
今回も本の内容にほぼ触れていないが、書いてきた背景や本に書かれていない著者像や背景を伝えることで、興味を持ってもらえないかなと考えている。
とは言っても、文章の語り口も少し書いておくべきだろう。
林のり子さんは、アメリカ映画で風呂場の泡の中から立ち上がった美女がそのままバスローブを羽織るシーンを見て、きっと後で水をかぶって泡を落とすにちがいないと、落ち着かない。しかし(キッチン)で泡がついた皿を拭くのを見ておせっかいな気遣いはやめる。
<私たちは洗うことをキレイにすることと同義語感じているが、キレイにすること即ふきとること、とする地方は地球上に案外多いのかもしれない。水に恵まれない地方はもちろんだが、肉食との関連も大きいはずである。鍋・皿についた獣脂は水をかけたぐらいではびくともしない。パンや練り粉でキレイに拭きとり、そのパンや練り粉は人間や犬の胃袋におさまる。〜 水あり、油脂なしの生活から生まれた私たちの習慣・・・チチンプイプイのおまじないのように、洗わなくても水さえかければきよめられたように感じる・・・そんな習慣・習性をとりあげて映画にしたら、それを見た外国人はどんな気遣いをするのだろう(食としぐさ/「洗う」より)>
ここを読んで自分は、インドの屋台ご飯の店の<魔法の布>が頭に浮かんだ。ナイフを拭き、火の周りを拭き、手を拭き、皿を拭いてきれいにできる一枚の魔法の布である。
そうか、魔法の布の話から書けば興味をもってもらえたか!

出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。