2026.09.01

ホットドッグとレモンスカッシュの想ひ出

※ 現在の大丸跡地。画像左側に大丸百貨店が存在していた

昔むかし。僕がまだ学童に通う前、物心がついた頃の話である。

今から、もう45年ほど前だろうか。

僕には、今でも鮮明に覚えている人生最初の「食の想ひ出」がある。

それが、ホットドッグとレモンスカッシュだ。

当時、月に一度くらいの頻度で、両親は僕たち姉弟を地元の皮膚科へ連れて行ってくれていた。

僕も姉も、重度ではないもののアトピー性皮膚炎があり、母が気遣って通院させてくれていたのである。特に姉は女の子ということもあり、母は僕以上に気を配っていたのだと思う。

診察に時間のかかる姉には母が付き添う。

そして僕は、父と先に病院を抜け出す。

向かった先は、病院の近くにあった大丸百貨店のパーラーだった。

※ 画像はAIイメージです。

これが、僕にとって月に一度のお楽しみだった。

当時のパーラーは、今でいうカフェとも喫茶店とも少し違う。

子どもだった僕には、とにかく「ハイカラな場所」に見えた。

小窓に掛かった赤と白のストライプの日除け。

店内に並んだ、真っ白に塗られたテーブルとチェア。

そして、各テーブルには大きなパラソルまで掛かっていた。

まるで、どこかのリゾート地のようである。

ガラス張りのショーケースにはケーキが並び、そこを眺めるだけでも子ども心にワクワクした。

父はホットコーヒー。

そして僕は、決まって、ホットドッグとレモンスカッシュ。

※ 画像はAIイメージです。

これが、僕たち親子の定番だった。

今思えば、何てことはないホットドッグである。

ソーセージと蒸したキャベツをパンに挟み、上からたっぷりとケチャップを掛けただけ。

けれど、当時の僕にとっては、それがご馳走だった。

大きな口を開けて齧り付く。

ケチャップの酸味とソーセージの旨味、柔らかなキャベツ。

そして、口いっぱいになったところで、レモンスカッシュをぐびぐびと飲む。

シュワッとした炭酸と、キュッとしたレモンの酸味。

あれが、たまらなく美味しかった。

普段、母は小さな子どもにあまり炭酸飲料を飲ませたがらなかった。

けれど父は、お構いなし。

「今日はいいだろう」

そんな感じだったのだと思う。

今となっては、味そのものよりも、その光景のほうが鮮明に残っている。

父と二人で座ったテーブル。

目の前のホットドッグ。

冷たいレモンスカッシュ。

そして、テーブルの上には大きなパラソル。

姉の診察が終わるまでの、ほんのひと時。

けれど僕にとっては、月に一度の小さな贅沢だった。

たぶん僕は、あの時に人生で初めて「外で食べる楽しさ」や「ちょっと特別な場所で食事をする喜び」を知ったのだと思う。

やがて時代は流れる。

百貨店を中心とした街の文化も、少しずつ姿を変えていった。

そして僕が中学生になる頃には、あの大丸も田舎の街から姿を消していた。

※1987年、地元の米子大丸は天満屋へ営業譲渡され、その後1990年には現在の米子しんまち天満屋へと移転することになる。

僕の記憶の中にあった、あのパーラーもなくなった。

当然、ホットドッグもレモンスカッシュも、二度と逢うことはなかった。

純喫茶でもない。

ましてや、母の手料理でもない。

「喫茶店」と呼ぶよりも、僕の中ではやっぱりパーラーという言葉が一番しっくりくる。

昭和という時代の百貨店には、そんな場所があった。

買い物をするだけではなく、そこでお茶を飲み、ケーキを食べ、家族と時間を過ごす。

子どもにとっては、少し背伸びをしたような気分になれる。

今思えば、あのパーラーは単なる飲食店ではなかったのだ。

昭和の百貨店が持っていた「ちょっとしたハレの日」の装置だったのだと思う。

そして僕にとっては、父との大切な記憶が残る場所でもある。

45年も経った今、味を正確に思い出せるわけではない。

もう、ほとんど覚えていない。

それでも――。

あのホットドッグを、もう一度食べてみたい。

あのレモンスカッシュを、もう一度飲んでみたい。

たぶん今食べたら、

「こんな味だったっけ?」

と思うのだろう。

それでもいい。味を確かめたいのではない。

あの日の自分に、もう一度逢いたいのだ。

※ まさに荒井由実の「あの日にかえりたい」の気分である

父と二人で過ごした、月に一度の午後。

ホットドッグを頬張り、レモンスカッシュをぐびぐび飲んでいた、あの小さな僕に。

――あの頃の僕は、あれを確かに特別だと感じていた。

そして45年経った今でも、僕の中では、あれが人生で最初の「贅沢」の味なのである。

ホットドッグとレモンスカッシュ。

たったそれだけの食べ物なのに、僕の記憶の中では、今もちゃんと、あの日のまま残っている。

WRITER Taishi Joh

沖縄にルーツを持つ父親と、韓国人の母との間に産まれ、幼い頃から日本食とは一風変わった食卓で育ちました。
転勤族の父親に付いて、全国津々浦々に移り住み、グルメな母親の影響で週に一度は外食をしていました。
それでもやはり、一番好きな食事は母親の手作りです。母も小まめに料理を作り、夕飯の家族一緒の団欒はかけがえのない想い出です。
今でも月に一度の頻度で、田舎の特産品や母親手作りの常備菜が届きます。
そんな私が、もう永住するしかないと決めた大好きな街、金沢。
其処から全国、ひいては全世界に向けて食のあり方を発信することが出来る私たちの会社を誇りに思い、末端ながらお仕事出来る喜び…と、美味しい賄いを噛み締めている毎日です。