国道246(青山通り)と都道412号霞が関渋谷線(六本木通り)の高樹町交差点を結ぶ道路のことを、通称「骨董通り」と呼んでいる。
この骨董通りは、個人的にとても思い出深い。
ジャズのライブレストラン、ブルーノート東京は1988年に、この通り沿いの地下で開業した。
ブルーノート東京には何度行ったことだろう。
あんなに近くで海外の一流ジャズプレイヤーの演奏を楽しむことが出来るライブハウスは、それまでは無かった。
そしてブルーノートのフライドポテトはクルクルしていた。
聞いたことも無いカクテルメニューがたくさんあって、いちいちウェイターに聞くのもカッコ悪いし、カッコ良いかと思って、そんなに好きでもないジャック・ダニエルかギネスをいつも頼んでいた。小僧が大人ぶって行くブルーノート東京は、新宿や六本木のディスコしか行ったことが無かった私にとっては、ホットドッグ・プレスとかで噂には聞いた事があった「非日常」とか「大人の隠れ家」みたいなのをリアルに体感した初めての場所だったのかもしれない。
客席でジャケットを着て綺麗な女性を連れている男が、なんとなく田中康夫か、ナウな泉麻人に見えたものだった。
オシャレをした大人達が大した用事も無いのに闊歩し、コムデギャルソンを着た変な髪型の男女が「渋谷とか表参道は人が多いから骨董通りあたりだね」なんて会話をしながらカフェでお茶していた骨董通り。
おしゃれなブティックや、何をやってんだか分からない業種のかっこ良さげなオフィスとか、そうかと思えばちゃんと骨董品やアンティークのお店もある。かの有名な中島誠之助氏のお店も、この骨董通りにあった。
で、その骨董通りの真ん中ぐらいの地下にひっそりとあるのが鉄板焼ステーキの店「リトル リマ」これが表題の件である。
目立たないわけでもないのに、油断すると通り過ぎてしまう。
ここには何度も通っているのだが、実はディナータイムには行った事が無い。ランチタイムに急に食べたくなる事が多いのだ。
リトル リマでは神戸牛100%ハンバーグを食べる人が多いようだが、もちろんそのハンバーグは美味しいものの、私のオススメは間違いなく、「特選和牛生姜焼き」なのである。
目の前で巨大な肉塊から薄いと厚いの中間ほどの絶妙な厚さでスライスしたステーキ肉を、鉄板ではなくフライパンで焼いて行く。
そこに醤油ベースの特製生姜ダレで焼いて行く。その卑怯な匂いだけでメシが食えそうな気配が漂い、唾液がこみ上げてくる。
ザク切りのキャベツが添えられた皿に、たっぷりのボリュームで和牛生姜焼きが盛り付けられる。
もう見た目だけで美味い。
豚肉の生姜焼の美味しさが日本人のDNAに組み込まれているのは全国民の知るところではあるが、牛肉の生姜焼きというのは、このリトル リマで初めて食べた。
しかも恐ろしいほどの完成度である。
前述した通り、豚の生姜焼きはコマ切れ肉に限るが、牛の場合は話が別のようだ。
牛の場合はステーキカットにして生姜焼きにした方が確実に良い。
冷静に考えたら当たり前で、良い肉はレアで食べるのが一番美味い。そして食べている途中で、豚の生姜焼きを食べている時とは異質の多幸感がやってくる。
これこそが牛肉の魔力なのだろう。
通い始めて数年してから、マスターに「知らなかったっけ?」的なノリで教えてもらったのだが、サーロインのニンニク焼きという裏メニューの存在を知った。
しかも、その事実を告げられたのは食後で満腹のときだった。
そろそろ午後2時になろうかという週末の午後、家族でリトル リマに入店し、私はいつもの和牛生姜焼き、妻と娘はハンバーグを注文した。
私達以外には二人組の男性が食事をしており、やはりハンバーグを食べていた。そろそろランチタイムの終了時刻。いつも寡黙なマスターは私達がオーダーした料理を丁寧に作ってくれていた。
二人組が食べ終わり、レジで会計を済ませると、店内に居る客は私達だけになった。料理が完成し、私は元気よく「いただきまーす」と言って、妻と娘にも和牛生姜焼きをあ~んしてあげて「美味しいでしょ?」という会話をしながら食べていた。
マスターは後ろを向いてフライパンを洗っている。
私が先に食べ終えたので、マスターに「美味しかったです」と話し掛けると、寡黙だと思っていたマスターが笑顔で急に饒舌になって
「ご主人、◯◯って食べましたっけ?」
と尋ねてきた。よく聞こえなかったのとハンバーグと生姜焼きしか食べたことが無かったので「いえ、ありません。なんですかそれ?」と聞くと、
「あれー?食べて欲しかったなー!サーロインをニンニクで味付けしてあるから、これとは全然違うんですけど美味しいんですよ、肉の厚みも違うし、ごはんも特製のガーリックライスなんですよ」
と畳み掛けてきたので、俄然興味が湧いてきた私は「へー、それは是非食べてみたいですねぇ」と、もちろん次回のつもりで返事をした。
するとマスターは、
「ちょっと食べてみます?」
耳を疑ったが、確かにそういった。
私はこの流れで断るのもアレだと思い、
「そうですね、それはちょっと食べてみたいですね」と返すと、
マスターはさっそく冷蔵庫から肉塊を取り出してカットし始めた。
その様子を見ると、さっきの肉より明らかにデカい。
ぜんぜんちょっとじゃなかった。
おまけにガーリックライスも作ってる。
マスターが肉に夢中になっている頃、入口付近には老夫婦が立っていた。
マスターがそれに気付かずに居たので、
「マスター、お客さんですよ」と言うと、保温ジャーを開けて中のライスを確かめて「どうぞ」とカウンター席に案内をした。
老夫婦はやはりハンバーグを注文した。
ハンバーグの空気抜きをパンパンやりながら、私の裏メニューとガーリックライスを作っている。
私は小声で妻に「食えるかな?」と聞くと、半笑いで「普通に一人前以上ありそうだね」と答えた。
老夫婦のハンバーグより私のやつが先に出来上がり、マスターは嬉しそうな顔をしながら、「お待たせしました、どーうぞっ」と運んできてくれた。
確かにさっきの和牛生姜焼きと違って肉もすこぶる厚く、匂いも全然違う。マスターは恐らくもう客は来ないだろうと判断して、ガーリックライスも相当な量をこしらえたようだ。
デジャヴのような二度目のランチだし、見ただけでゲップが出た。
さっきよりも大きめの元気な声で「いただきまーす」と言って食べ始めた。
間違いなく、とても美味しい。
これが最初だったら、もっと美味かったのだろう。
妻に「ちょっと食べるよね?」と聞くと、可愛らしい笑顔で「ひとくちで良いよ❤️」と言われた。
いちおう娘にも聞くと、スマホでマインクラフトをやりながら首を横に振った。
なんとなく腰を浮かせながら食べ進めると、老夫婦のハンバーグが出来たようだ。
マスターがまた後ろを向いてフライパンを洗い始めると、入口にVサインをしながら二人の若者が立っていた。
マスターを見ると、一度後ろを振り返り、客を確認するも無視をして洗い場の方に向き直した。
私は目を疑ったが、確かにそうした。
私はすぐに理解したのだが、恐らくライスがもう無いのだ。
そんな事情も知らない若者は大きな声で「すみませーん、二人なんすけど」と叫ぶと、マスターは振り返りながら
「もうライスが無いから、おかわり出来ないけど」
そう伝えると、若者は一瞬考えて「あ、良いっすよ」と言って迷うことなくハンバーグを注文した。
私は自分の前に置かれた山盛りのガーリックライスをあげようかと考えた。
まだ手をつけてないし、食える気もしなかったし。
そしてこの状況でライスを残したとしたら、目の前のライス以上にとてつもない罪悪感だけが残る。ただ、ここまでの経緯を何も知らない若者にとっては、得体のしれない強面のおっさんから急に「良かったら、ガーリックライス、食えよ」と持ってこられたところで、彼らは恐怖しか感じないだろう。
なのでそれはやめることにした。
私は残る力を振り絞り、肉をなんとかやっつけ、どういうわけだか空いた皿を自らカウンターに運び
「とても…美味かったです」
と伝えた。
隣で一部始終をを見ていた妻は、私に惚れ直したことだろう。
マスターは優しい顔で「ガーリックライス、包むね」と言ってアルミホイルに入れてくれた。
会計をすると、当然ながら裏メニューの料金も含まれていた。
私はマスターに一礼をして、そのニンニク臭い袋を持って、重い身体をひきずりながら根津美術館の方向へ歩いた。
リトル リマ、おすすめです。
裏メニューは何度か通って開拓して下さい。
- リトル リマ
- 東京都港区南青山5-12-2 倉沢ビル B1F
- 03-3400-9760
- 定休日 日・祝のディナータイム(ランチタイムは営業)
『耕作』『料理』『食す』という素朴でありながら洗練された大切な文化は、クリエイティブで多様性があり、未来へ紡ぐリレーのようなものだ。 風土に根付いた食文化から創造的な美食まで、そこには様々なストーリーがある。北大路魯山人は著書の味覚馬鹿で「これほど深い、これほどに知らねばならない味覚の世界のあることを銘記せよ」と説いた。『食の知』は、誰もが自由に手にして行動することが出来るべきだと私達は信じている。OPENSAUCEは、命の中心にある「食」を探求し、次世代へ正しく伝承することで、より豊かな未来を創造して行きたい。