- 書名:別冊太陽 日本の家庭料理とレシピの100年
- 発行所:平凡社
- 発行年:2022年
「料理研究家とその時代」100年ギュッとまとまっている。レシピの変遷を読み解きながら、日本の家庭にとってレシピとは何か(なんだったのか)を考えていく一冊。編集者たちの着眼と整理と編集能力に感謝したくなる。
1945年〜
小島信平 江上トミ 飯田深雪 王馬熙純 (おうまきじゅん) 土井勝 辰巳浜子 入江麻木 小林カツ代 平野レミ 有本葉子 栗原はるみ 山本麗子
2000年〜
松田美智子 山脇りこ ワタナベマキ 今井真実
これらの歴史年表的な解説以外で寄稿または取材対象となった料理家は、
土井善晴 ホルトハウス房子 松田美智子 大庭英子 枝元なほみ 有賀薫 白央篤司 今井ようこ きじまりゅうた
目を引いたのは『手軽実用 弦斎日人の料理談(アーカイブ)※』を読むという、石川出身の日本の食文化・料理学者、東四柳(ひがしよつやなぎ)祥子氏の対話式の料理書が生み出すレシピへの親しみについて書かれた短い見開き記事。(※弦斎夫人とは1903年頃の大ベストセラー料理小説『食道楽(アーカイブ)』の著者・村井弦斎の夫人、多嘉子の話を「婦人世界(実業之日本社)」の記者が聞き書きしたもの)
記者『鹽(塩)はお皿へつける時に振りますか
夫人『イイエ揚げたものを紙の上に取った時に直ぐ振ります。熱い處へ振りませんとよく吸い込みません。
夫人『ビフステーキ(ママ)は大層むづかしいものですよ。ビフステーキが本當に焼ければ西洋料理は卒業だといふくらゐで、
記者『オヤオヤ、そんなものですか、私は西洋料理の中でビフステーキくらゐやさしいものはないと思って居ました。
※なぜか<『>は頭だけについていて後ろにはない活字組み。
伊丹十三の口述筆記の最高峰(と思う)著書『小説より奇なり(1973年)』と、同じく伊丹による対話式料理本『フランス料理を私と』のアイデアはここかもしれない。
東四柳祥子氏は「親しみやすさこそが、妙味」と『手軽実用 弦斎日人の料理談』との出会いについて書いている。実はこのことが本誌『別冊 太陽 日本の家庭料理とレシピの100年』を通貫する主題のように思う。
また、本書で注目したいのは昨今の料理本事情である。RIFFのBOOKコーナーでも取り上げている阿古真理がまとめた記事。
「お菓子・パンと保存食の広がり」ではムラヨシマサユキ、佐藤雅子、中川たま、山脇りこ。「文化を伝える外国料理の本」では江上トミ、レヌ・アロラ、大原照子、ウー・ウェン。「見直される郷土料理」では農山村文化協会、西大八重子、青木悦子(金沢・青木クッキングスクール)、藤村久和。「想像力を掻き立てる物語本」ではケーティ・スチュアート、城戸崎愛、入江麻木、エーリッヒ・ケストナー、ファニー・クドラックス、川勝里見・吉本直子、CUEL。「家庭の変化で変わる料理本」ではケンタロウ、リュウジ、小竹貴子、山口裕加、上田淳子、丸田淳司・小原由紀・他。
これらの著者の本がそれぞれ紹介されているのだが、持っていない本はすべて手に入れたくなるから大変だ。日本には、阿古真理が書くように「日々のおかずだけが家庭料理ではない。食卓を豊かに彩り、料理のレパートリーを育んだ百花繚乱の料理本」があるのだが、この分類は図書館の料理書のコーナーもこうして欲しいと思うほど秀逸だ。
さらに料理家たちの本棚を覗き、愛蔵レシピを探る特集「私が料理をする理由』
ここで1960年代のアメリカに暮らしたホルトハウス房子は自著の前に、アメリカの家庭に初めてフランス料理を普及させた料理家・ジュリア・チャイルドの「Mastering the Art of French Cooking 」を紹介している(メリル・ストリープが主演して映画化『ジュリー&ジュリア(2009)』。
「レシピの本ではあるのだけれど『この季節にはベリーが畑に実っているんだろうな』って〜読書として楽しめるところもいいですね」と話す。
枝元なほみはジェシカ・クーパーがまとめた「人類学者のクッキングブック」を最初にあげている。取材に答えて枝元は「家庭料理は人類を養ってきたものですよね」そして「暮らしの中にある料理こそが、家庭料理なんだと思う」と言っている。
食を伝えることを仕事にする者にとっての重要な「視点とアイデアの元」がこの『別冊 太陽』には詰まっている。
出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。