- 書名:つぶれてしまった旨い店
- 編集:編集室マッチ 寄稿(土屋綾子 梶谷いこ 稲田俊輔 平松るい 山下武絋 佐藤梢 トノタイプ)
- 発行所:編集室マッチ
- 発行年:2021年
編集者でゲームデザイナーの伊藤ガビン氏がインディーズなこの小冊子の帯を書いている。
いちばん美味しかったものの話を尋ねると、誰もが「その時のこと」を語り出す。最高の料理は記憶の中にある。
っていうか食えないメシを美味しそうに語るな〜〜!
その通りである。が、自分はここに収められた7つの店のうち、2つをよく知る。一つは学生バイト時代から社員になった頃に世話になった店と、独立した頃の仲間がつくった伝説の店だ。よって伊藤ガビン氏よりはちょっと食ってるので、その美味しさを共有できるのである。
また、RIFFのメンバーにはこの「記憶の中にある最高の料理」を書いたら右に出る者がいない宮田人司という人物がいる。ククッと笑わせたかと思うと知らぬ間に涙腺を緩ませられる。また、彼が書くいくつかの思い出の店にも同時代同時期に行っている。吉田健一や池波正太郎の随筆で、行ったことのない店に憧れるのも良いのだが「つぶれてしまった旨い店」の味と時間を共有できるのは幸せである。
一つだけ言っておくと「つぶれてしまった」というわけではないのだと思う。店主が亡くなって「やめて」しまったり、市場の移転の際に続行を断念した店もある。無くなってしまうにはさまざまな理由があるが、こうやって文章で残すことで知っている人の中では思い出になり、知らない人には想像の中で生きる店になるのだろう。
この小冊子には挿絵はあるが写真はない。だからこそ脳の奥から何十年も前の記憶を映像として呼び起こしてくる時間が与えられる。店の人の顔を思い出すと、話し方も声も蘇るのが不思議だ。
荻窪「フェリスフー」のグリーンカレー、ポークジンジャー・ステーキカレー、鴨ネギカレー。米子「やよいデパート」のソフトクリーム。円頓寺「勝利亭」のチキンミヤビヤ。吉祥寺「おでん 太郎」武蔵小金井「カレーショップ・シーサー」東高円寺「bia bia」のロースト・トマトラーメン。築地「愛養」ミルクコーヒーとトースト。
年代も違うそれぞれの書き手のリアルな言葉で綴られる忘れられない味と店。
そして若い時にお世話になったのが渋谷公園通り「チャーリーハウス」だ。これを書いた海外在住の編集者、佐藤梢さんの文章がピートハミルのコラムのようで、かつ詳細であの時間に戻してくれる。
香港の味というチャーリーハウスのトンミン(湯麺という)ラーメンは麺の入ったスープと通常はトッピングしてある具材が別に来る。いつもあるのはチャーシューとか唐揚げとか青菜だったような気がする。季節によってはワカサギの唐揚げが絶品だ。透き通ったスープとのセットは和食のようで中国料理に見えない。そのテイストは佐藤梢氏の文章で存分に味わってほしい。夜は腸詰などを紹興酒でやりながら〆にトンミンだ。
チャーリーハウスが閉店したという話は、元NHK、食と酒の大先輩、矢成 徹夫氏から聞いた。同時代に別々に通っていたチャーリハウスに一緒に行ってみたいですねと言っていた矢先だった。
もう一つは渋谷から世田谷に入った淡島にあった「タケハーナ」だ。店主は竹花いち子という優秀な元コピーライターだった。作詞家でもあった。20代で仲間とつくった広告企画デザイン会社の社名をつけてくれた。
南青山事務所。南青山がトレンディードラマなどで全国区で有名になる本の少し手前の時期だった。
竹花さんは和風の出汁をベースに世界中の料理を再構築していて、スペインの食堂のような賑わいだった。「春菊のサラダ」や「サバの味醂干しのサラダ」はまだどこにもなかった時代だ。
閉店してだいぶ経ってから、彼女はオリジナル「東京チャーハン」を西加奈子『ごはん ぐるり』の対談の際にそのイメージからつくって提供している。「タケハーナ」の店名の前には『東京料理』とつく。「タケハーナ」という文字を見るとあの店でしか食べられないあの味と淡島通りの夜の道が浮かんでくる。
この話を書いたトノタイプ氏とはおそらく年代がかなり違うのだが、無くなってしまった店を通して近い思いが通じているのではないかと思ったりして、少し嬉しいのである。
これがこの小冊子からのギフトである。
※本書は通信販売のみの扱いになっています。
出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。