もうじき、親父の命日という事もあり、忘れてしまう前に、親父が好きだった食べ物をご紹介させて頂きたい。
私は決してFoodieとかグルメインフルエンサーとかでは無いのだが、思えば私が食べる事に異常な執着心があるのは、家族の影響が大きい。
料理好きだった母、出張帰りには必ずご当地の美味いものを買って帰ってくる父、何故だか変わった料理を作るのが好きな次男の兄、とんでもない大食いで長男の兄。
とくに親父は、今思えば相当な食通というか食いしん坊だったのではないかと思う。
とにかく寿司が好きな親父だった。
親父に何度か連れて行ってもらった寿司屋さんは、今はもう無い。
最後に私が親父を連れて行った寿司屋さんは、キラー通りの「おけいすし」さんだった。
日本橋生まれで江戸弁だった親父は、雲丹の握りを見て「しゃらくせぇ」玉子を食べて「カステラみてぇだな・・・」と言い放っていた。
私が子どもの頃は単身赴任で別々に暮らしていたし、私が高校を卒業して割とすぐに家を出てしまったので、親父と一緒に過ごした時間は短かったのだが、たまに会って食事に連れて行ってもらう機会も何度かあった。今でもたまに訪れ、親父を懐かしんでいる。
そして、親父が好きだったご当地の美味しいものは、殆どがインターネットで取り寄せることが出来るようになった。ただ、山形の老舗に一軒だけ「ハガキでご注文ください」というお店があって驚愕したのだが、なにか事情があるのだろうし、この現代に於いてそれはそれで良いもんだなと思った。
それではひとつずつご紹介
山形の「ふうき豆」
小学生の頃、山形に行った親父がお土産に買ってきた豆の和菓子。
親父が出張から帰ると、必ず何かしらのお土産を買って帰ってくるので、子どもの頃いつも楽しみにしていた。お土産の包みを開けると、そこにはグズグズの緑色の物体がミッチリと入っていた。仙台のずんだ餅もそうだが、東北には緑色でグズグズの銘菓が多いように思う。
初見でこれを見てテンションが上がる子どもは居ないのではないだろうか。
「美味いから食べてみな」と言われて、恐る恐る口に運ぶと、しっとりとした何とも言えない甘さと後からくる豆の香りがクセになり、パクパクと食べてしまった。
この豆菓子はグリーンピースを蒸して皮を剥いたものを砂糖で炊くというシンプルなもの。
甘納豆とも少し違うのだ。
https://www.kineya.co.jp/corporate/sweets/fukimame/
※実際にはこの菓子店のものではない(ハガキの店)
舟和の芋羊羹、久寿もち、あんこ玉
親父が東京に行くと、毎度必ず買ってきていたのが、これ、
これはお土産というよりも、自分の為に買ってきていた気がする。
芋羊羹はともかく、あんこ玉と久寿もちは家族からの評判も良くなかった。
でも私は好きだったので、親父は「人司(シトシとしか発音できない)あんこ玉、あるぞ」と言っていた。久寿もちもすこぶる評判が悪く、母も「こんなのどこが美味しいの?」と文句を言っていた。だが、私はこれも好きだった。葛餅ではなく「久寿もち」には葛なんて1グラムも使われていない。
原材料は小麦粉である。要するにうどんと同じだ。うどんにきな粉と黒蜜をかけて食べているようなものだ。Googleで検索すると「久寿もち・まずい」とサジェストされる。私も大人になってから、たまに東京駅の売店で買って帰るのだが、私の家族からも評判が悪い。でもどこか懐かしく、私にとっての「くずもち」は、葛餅ではなく久寿もちなのであった。
浅草梅園の豆かん
勘違いしない為に念のため書いておくが、焼そばで有名なのは梅蘭であり、甘味処は梅園(うめぞの)である。
みつ豆とかあんみつではなく、豆かん。豆と寒天だけのシンプルなもの。
これもググると「豆かんは避けたほうがいい」という食べログの記事が二番目にヒットするいわくつきの商品だ。これを書いた人は分かっていない。
「クリーム白玉あんみつ」のようにテンコ盛りのやつは子ども向けには良いが、どこにでも売っているし、わざわざここで食べなくても良い。大人が食べる「おやつ」に、豆かんはもってこいだ。赤えんどう豆を炊いて、寒天の上に乗せ、黒蜜をかける。甘いと塩っぱいを同時に楽しませながら「人生の酸いも甘いも」を表現しているようなのが、この豆かんなのであった。
https://www.asakusa-umezono.co.jp/products/
稚加榮の明太子
中学生の頃だったと思うが、初めてこの明太子を食べたときには箸が止まってしまった。
あまりに美味くて。
親父が福岡に出張した際に連れて行ってもらった料亭で買ってきたのだと言っていた。
なんと読むのか分からなかったが、とにかく美味い明太子で、あっという間に無くなってしまった。私が住んでいたのは東京だったし、当時は明太子なんてそんなに頻繁に食べるものでもなかった。だがこの稚加榮の明太子を食べて以来、明太子が気になってしまい、たまに近所のスーパーで買ってみるものの全く違うので、あれは何だったのか?と思っていた。
家族からも大好評で、半年に一度ぐらい、親父が福岡に行くたびに買ってくるようになった。
今でもたまにお取り寄せで買っているのだが、ついにこれを超えた明太子を知ってしまった。
それが金沢が誇る日本料理銭屋の明太子である。
明太子というのは料亭のが美味いのであった。
原宿 鉄板焼き あずま
このお店は思い出の店であり、以前RIFFの記事にも書いた通り。
原宿 鉄板焼き 無留奴津倶(閉店)
恐らく十年以上前に閉店してしまった原宿の鉄板料理店。お好み焼きや焼きそばをメインに、マスターの創作鉄板料理が美味しかった。ホンダに勤めていた親父は、原宿近辺の美味しいお店をよく知っていた。今でこそホンダの本社といえば青山一丁目で有名だが、私が中学生の頃は明治通りのヤシカビル(今は京セラビル)がホンダの本社だったのだ。
親父は年に何回か、金曜日になるとたまに私に「うまいもの食べよう」と言って、出勤前に電車賃をくれて明治通りと表参道の交差点に来るようにと指定された。家では食べたことの無い本当に美味いものが食えるので、私は喜んで待ち合わせた。この「無留奴津倶」もその店のひとつである。
明治通り沿いのBEAMSの隣あたりのビルの2階だったと記憶している。
店に入ると陽気な感じのマスターが「ああ、宮田さん、いつもどうも、このまえ言ってた息子さん?」と声をかけてきた。親父は店の箸袋を見せて「読めるか?」と聞いてきた。
この頃は暴走族全盛期であり横文字を漢字にするのが流行っていた時代。夜露死苦を筆頭にCRS連合の「寿辺苦絶悪(スペクター) 」や「黒唯皇帝(ブラックエンペラー)」が国道20号線を爆走していた。話はそれるが私が最も目を引いた暴走族の名前は「愛死美絵無(ICBM)」である。
ご存知の通りICBMとは大陸間弾道ミサイルであり、そもそも略語であるICBMを更に漢字に置き換え【愛することも/死ぬことも/美しすぎて/絵に/なら無い】という意味を込めたのだそうだ。もはや哲学である。
で、私にはそんな雑学もあって、あっさりと「ぶるどっぐ?」と読んでしまった。
親父はつまんなそうな顔をしていた。もしかしたら今日のハイライトはここだったのかもしれないと思うと、悪いことをした。
麹町 うなぎ秋本
東京に鰻の名店は数あれど、親父が好きだったのは、この店。
「天然うなぎの釣り針にきをつけて」と謳う店は好きではなかったようだ。
親父は寿司が大好物ではあったが、鰻も好きで、土用の丑の日には鰻を食べていた。
一緒に鰻屋に行った事はそれほど無いのだが、この秋本に行った時には上機嫌で落語の「始末の極意(鰻の匂いでメシを食う話)」を聞かされた。下手くそだった。でも鰻は美味かった。
大人になってから仕事先の方から「美味しい鰻の名店があるから行きましょう」と言って連れてこられたのが秋本で、ああ親父は良い店に連れてきてくれたんだなと思った。
ホテルニューオータニ リブルームのグランドビーフステーキ
ホテルで食事をすることなど殆ど無かったのだが、ホテルの料理の味は大好きだった。
町のレストランとは次元が違うというか、スペシャルな味がするのがホテルなのではないかと思う。もちろんサービスやインテリアも含めて特別感があるので、その雰囲気込みでいつもと違うのは当然と言えば当然であろう。
1964年、東京オリンピック開催に合わせて開業した麹町のホテルニューオータニ、私はこのホテルの華やかさの中にある安心感が大好きだ。このホテルにはグランメゾンを含む素晴らしいレストランが幾つかある。このリブルームは地下にあるこぢんまりとした高級ステーキハウスだ。
ここでは数量限定の「グランドビーフステーキ」を食べさせてもらった。メニュー名こそ大袈裟なのだが、ステーキ肉の切れ端を叩いて固めてレアに焼いた、ハンバーグとステーキの中間のようなものが、グランドビーフステーキだ。
親父曰く「もちろん普通のステーキも美味いんだけど、これはここでしか食えないから」という理由で食べさせてくれたらしい。確かに未だにこのスタイルは他ではあまり見かけないし、とても美味しい。
https://www.newotani.co.jp/fileadmin/res/tokyo/restaurant/ribroom/pdf_lunch/ladieslunch.pdf
まだまだ他にもあるのだが、それはまた来年の命日あたりにでも。
私は親父の食いしん坊を正統に受け継いでいるのだろう。
親父よ、ありがとう。
『耕作』『料理』『食す』という素朴でありながら洗練された大切な文化は、クリエイティブで多様性があり、未来へ紡ぐリレーのようなものだ。 風土に根付いた食文化から創造的な美食まで、そこには様々なストーリーがある。北大路魯山人は著書の味覚馬鹿で「これほど深い、これほどに知らねばならない味覚の世界のあることを銘記せよ」と説いた。『食の知』は、誰もが自由に手にして行動することが出来るべきだと私達は信じている。OPENSAUCEは、命の中心にある「食」を探求し、次世代へ正しく伝承することで、より豊かな未来を創造して行きたい。