
- 書名:津々浦々の味-作家が綴る食随筆」
- 編纂:木村衣有子
- 発行所:中央文庫
- 発行年:2026年
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本書は、作家・木村衣有子氏が編纂したアンソロジー随筆集だ。幅広い昭和の作家たちによる故郷や旅先の味覚をテーマにした食随筆が約40篇収録されている。この中のご当地の「味」は、今では失われたたもの、失われつつあるものもある。そして地域別に選ばれた随筆には、それぞれ日本の食文化の多様性や豊かさにあふれている。2026年にこのような本が出版される意味も考えてみたい。
木村衣有子氏は「その土地を離れずにまかなえる材料を主体とした季節の味を、身の内に取り入れるというよりもむしろ、自らの身を浸すようにして味わう」食随筆で日本地図をえがきたい、と本書の作品のセレクトと編纂を行なった。
随筆というのは作家の視点と筆の流れで読むものだと考える。だから小説の概要のようには書けないのだが、この本に登場する主な作家陣と、彼らが綴った代表的な収録作品(または関連する食のテーマ)の北海道・東北・北陸の味について書かれている一部を感想に関連情報を加えて以下に書き記した。
中谷宇吉郎「貝鍋の歌」(石川県出身)
物理学者・随筆家としての視点から、北海道の季節の味覚や、素材が持つ自然の理を独自の知性豊かでありながらややひょうきんな文章で綴っている。(※1943年に人工雪の研究を基に北大に低温科学研究所が設立され、中谷はその主任研究員となっているのでその頃の話だろう)
書かれているのは大きなホタテ貝を鍋にして長火鉢でやる一人鍋。それに合う中身が上等すぎてはいけないと言い、好みの具材と、ある愚魚(当時の安い魚)について一人語りで言及していく。
林芙美子「江差追分」
旅を愛した彼女が、旅先(倶知安)で出会った長年海みさらされてきた大きな肺をもつ漁師たちならではの、泥臭くも飄々と響く愛おしい歌「江差追分」に出会う。そして倶知安の鰯と岩内のアスパラ。一貫して庶民の生活を共感をこめて描きつづけた林芙美子は、郷愁と旅情をまっすぐに活写していて、ドキュメンタリー映像の観ているようにも感じる。
阿部なを「帆立貝」(青森県出身)
NHK・きょうの料理を35年担当した郷土料理研究家(娘・山口絵里、孫・河合真理ともに料理家)。青森の厳しい冬を抜けた後の農閑期とお盆のころの、今では失われつつある「素朴で豊かな伝統の味」を温かい筆致で紹介している。干貝柱と椎茸と昆布でつくるドロっとした「煮素麺」、「寄せどうふのとろろ昆布汁」など。上野駅そばに阿部なをが昭和34年に創業した『和食居酒屋 北畔(ほくはん)』は今でも営業を続けている。
牧羊子「羽州月山宝乃山(でわのさんさい)」
詩人・エッセイスト。開高健の妻である牧羊子が、羽州(出羽国・山形県周辺)月山の麓を訪ね、そこで出会った「山菜食」について綴っている。出会った場所は『出羽屋旅館』。当時は旅館業に手が回らなく山菜料理屋に徹していたらしい(現在は宿泊もできる山菜料理『出羽屋』として営業)。文章から本人が1960年前後、30代後半辺りで訪問していると思われる。関西人で関西にいた本人はそれまで山菜料理にほぼ出会ったことがなく、その驚きと魅力を綴っている。
堀口大學「山菜の旅」
堀口大學はヴェルレーヌ「秋の日のヴィオロンの…」の名訳で知られる詩人でフランス文学者。新潟・長岡で祖母に育てられ、終戦の年には妻の生家がある新潟県関川村(現在の妙高市)に疎開し、翌年から昭和25年まで新潟県高田市(現在の上越市)に住んでいる。堀口は5月と6月の2回にわたり越後(新潟)と羽前(山形)を訪ね、春の訪れを告げる「山菜」を求める旅をする。独自の審美眼と洗練された感性で、野生の苦味や香りを愛でる、知的で風流な大人の食道楽が描かれている。
坂口三千代「安吾と釣りと海」
無頼派の文豪・坂口安吾の妻による達文。放浪癖があり破天荒な夫・安吾が愛した海と釣り。そして釣って食べた魚のエピソード。日本海を見て育った安吾と銚子に育った三千代。二人とも海が好きだった。安吾は釣り好きとは言っても”殿様釣り”で餌などは妻三千代がつけていた。そのため一番近くにいた彼女ならではの視点でどこか愛おしく回想してく。
安吾の短篇小説『青鬼の褌を洗う女』は、三千代がモデルとされている(安吾自身は特別のモデルはいないと言っている)。
室生朝子「懐かしい鱈の味」
室生朝子は室生犀星の長女で随筆家。父・犀星の故郷を訪れたのは犀星の死後。金沢から送られてきた料理、お菓子、地酒は東京の食卓で味わっている。戦争前、12月には母親から雪をびっしり詰めた鱈の箱が送られてきた。犀星の没後数年、昭和41年、著者朝子が金沢で味わう鱈(タラ)」の素朴な美味しさと温もりを温かに綴っている。
RIFFのBOOK紹介では娘の室生洲々子による『をみなごのための室生家の料理集』を取り上げている。
泉鏡花「寸情風土記」
金沢が生んだ幻想文学の巨匠。極度の潔癖症としても有名な鏡花が、独自のこだわりを持って見つめた金沢市の風物詩が描かれている。この作品は大正9年に書かれていて、当時の金沢と食の貴重な資料でもある。お正月から始まる北陸の風土や、郷土料理に息づく伝統的な美意識や季節の店舗のようなものを独特の美麗でリズム感のある文体で表現している。旧字で読みにくいがこれは青空文庫にもあるので登場する 食べ物や年中行事、習慣などを知るにも良い随筆だ。(青空文庫)
その他の登場作家
久保田万太郎「真菰の中」池田弥三郎「おみおつけ」
西村京太郎「東京新開地の暮、正月」
す。大佛次郎「相模半次郎伝」
戸塚文子「豊橋の竹輪」
團伊玖磨「とんぶり」
山田風太郎「ナンバンがきた」
谷崎潤一郎「料理の古典趣味」
串田孫一 「菜飯もどき」
種村季弘「一品大盛りの味〜尾道のママカリ」
佐藤春夫「鰹のはなし」
池内紀「ズドンのおじさん」
大原富枝「新しい年たつ」
四方田犬彦「讃岐うどん」
五木寛之「博多のうどん」
福島慶子「御春寒」
中沢けい「くじらとすいか」
壺井栄「おさつ。そうめん・ごもくずし」(小豆島出身)
片岡義男「瀬戸の潮風、うどんの香り」
田中小実昌「呼子 旧遊郭・星屑の夜」
山之口獏「あんだんすう」(沖縄県出身)
text : Joji Itaya
出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。