以前、銭屋の髙木さんとの対談で江戸時代の肉食について話したことがあったのだけれど、この当時の琉球王朝は肉食文化だったのである。
沖縄に行くとステーキ屋がたくさんある。
そしてそのステーキ屋は、胡椒とかやたらとアクロバティックに振って目の前で焼いてくれるという本州で見ない独特のスタイルの店が多いのだが、このステーキ文化はアメリカ軍がもたらしたもの。
けれども江戸時代まで琉球は牛食文化だったのだ。
というか、牛に限らず動物性タンパク質はなんでも食べたらしい。ジュゴン、猪、羊、豚などの色々な肉を食べる琉球人であったが、その中で一番格が高かったものが牛肉なのである。
しかし、牛肉食は本州でいう江戸時代初期に禁止になる。
琉球王・尚質王の摂政(これを琉球では「しっしー」と訓む)で琉球の一大改革を行った羽地朝秀(はねぢ ちょうしゅう)が
「牛は労働力になるでしょうが!」
と、琉球王朝の開墾政策で役に立つ牛を食べることを禁止したのだ。
重機がない時代において、パワフルな牛は開墾するときに最も頼りになる労働力でもあった。
それでも度々、琉球王府が「牛は労働力!食べるな!」という禁令を出していることをみるからに、なかなか一度覚えたビーフの美味しさには抗えなかったとみえる。
人間の食い意地は、禁令より強いのである。
しかし今の沖縄料理というと、ミミガー、ソーキ、ラフテー、テビチがメジャーどころ。
もう少しマニアックになると、顔はチラガー。うるまの上に位置する金武では本州語でいうところの「血炒り煮」のチーイリチーという郷土料理もある。
これらの料理は全て、豚料理。牛料理ではない。
沖縄は、豚食大国なのだ。現に豚の消費量で全国一位を保持しつづけている。
いつから豚食になっていったのだろうか??
OMOTENASHI問題勃発
豚食にシフトしたのは、中国からの冊封使という外交使節がやってきたことが原因とされている。
この冊封使は何の用で来たのかというと、琉球王の承認のために来たのである。
そんな使節団は約400人から500人。
この中国からの使節団(しかも長期滞在)のVIPを、琉球側はOMOTENASHIしなくてはいけなかった。
琉球と中国との食文化交流研究の第一人者、金城須美子先生によると、この使節団は長い時には250日も滞在して、1日20頭の豚を消費。計5000頭の豚を食べ尽くしていったのである。
当時の琉球では完全にキャパオーバー。
他の島嶼から豚をかき集めてなんとかOMOTENASHI地獄を乗り切ったのである。
そこで琉球王朝では俄かに「豚飼育」が王朝挙げての重大マターになったのである。
1713年、尚敬王が琉球王に即位する(ちなみに名宰相・蔡温をしっかりと用いて近世琉球の治世を確立した名君)。
即位したのだから当然、使節団がお越しになられる。そこで琉球王府は琉球のあらゆる村で豚の飼育を命令するのである。
奨励ではない。作れという命令である。
ちょうど運良く1605年には福建省からカライモがやってきていたので、これが豚の餌に使われた(のちにサツマイモが使われる)。
豚の餌となるイモが普及していたことで、沖縄では爆発的に豚の増産に成功し、豚食が定着していったのである。
豚は高級、庶民はアレを食べる
とはいえ、豚肉が常食されたわけではなかった。
豚は、年に数度の口にできるかどうかという高級な儀礼食。
じゃあ何を庶民は食べていたのかというと、カタツムリ。
カタツムリは、その後は戦後以降も食べられていたのである。
ちなみに沖縄に生息する足の大きさぐらいの「アフリカマイマイ」をご覧になったことはあるだろうか。正直、見た瞬間、初めて生物を「気持ち悪い」と思ったトラウマ級のインパクトを与えてくれた逸材である。
なぜあの宇宙生命体が沖縄にいるのか。
「大きいし、すぐ繁殖するし、沖縄人食べるだろう。ヒャッハー」
という理由で戦後アメリカによって持ち込まれた食用外来種なのである。
実際、大きい上に、20度以上の温度であれば一年中産卵できるから、ある意味この目算は当たっている。
しかしアメリカが間違えていたことは、琉球王朝時代からカタツムリは「代用食」であったということだ。豚が食べられないから代わりに食べているに過ぎないのだ。
実際、1970年代に沖縄が食糧難を乗り越えると急速にカタツムリ食は廃れていき、要らなくなったアフリカマイマイが飼育所から遺棄されたり逃げ出したりして、野生化してあのようなことになっているのである。
カタツムリの調理法については、またご要望があれば。
主要参考文献: 金城須美子「沖縄の食文化-料理文化の特徴と系譜」
(比嘉政夫編『海洋文化論 環中国海の民俗と文化1』 1993.1江原書店)
私は、だいたい数日に一食しか食べない。一ヶ月に一食のときもある。宗教上の理由でも、ストイックなポリシーでもなく、ただなんとなく食べたい時に食べるとこのサイクルになってしまう。だから私は食に対して真剣である。久々の一食を「適当」に食べてなるものか。久々の食事が卵かけ御飯だとしよう。先に白身と醤油とを御飯にしっかりまぜて、御飯をふかふかにしてから器によそって、上に黄身を落とす。このときに醤油がちょっと強いかなというぐらいの加減がちょうどいい。醤油の味わい、黄身のコク、御飯の甘さ。複雑にして鮮烈な味わいの粒子群は、腹を空かせた者の頭上に降りそそがれる神からの贈物である。自然と口から出るのは、「ありがたい」の一言。