
今回は、この春に福井へ越してきた実姉と一緒に『金沢おでん』を作って食べた、ある日の物語。
いたずらに一人暮らしが長くなってしまったワタクシだが、金沢には通算18年も住んでいる。社会人として働き始めてからというもの、人生の大半を金沢で過ごしてきた。
その間には、東京と金沢を結ぶ北陸新幹線が開通したり、ご当地グルメとして『金沢おでん』の名が全国に知られるようになったりと、街の変化をいろいろと目の当たりにしてきた。
そもそも『金沢おでん』とは、何をもってそう呼ぶのだろうか。出汁は関西風なのか、はたまた関東風なのか。考え始めると、なかなか興味深い。
金沢おでんには、全国共通の決まったレシピがあるわけではない。金沢おでんの老舗店などが示す特徴として(※1)は、各店が大切にしてきた出汁に、車麩や赤巻、ふかし、バイ貝、カニ面といった金沢ならではの具材を組み合わせることが挙げられる。つまり、出汁も具材も、それぞれのお店の個性があってよいのだ。 ※1 金沢市観光組合HP参照
さて、今回のおでん作りである。
先ずは、やはり具材の違いだろう。
車麩や赤巻、バイ貝といった北陸ならではの具材が、金沢おでんらしさを演出する。
冬になれば、香箱ガニを使った「カニ面」も登場する。今回はまだ香箱ガニ漁が解禁前の為、カニ面は次回へ持ち越しだ。
もちろん、大根や卵、板こんにゃく、厚揚げといった定番の具材も忘れてはならない。
自分一人で食べるためにおでんを作るなら、具材は冷蔵庫にあるもので間に合わせることも多い。しかし、今回は姉と一緒に作るのだから、そういうわけにもいかない。
牛すじも買いそろえ、出汁だって手羽先からじっくり時間をかけて取ることにした。
ところが、である。。。
おでんを作りながら気付いたのは、たとえ姉弟であっても、歩んできた道が違えば、たかがおでんの具材一つとっても、考え方がずいぶん異なるということだった。
18歳で地元を離れたワタクシと、19歳で嫁いだ姉。
今回、一緒におでんを作るまでは、お互いにそれほど具材へのこだわりなどないだろうと思っていた。ところが、いざ鍋を囲んでみると、それぞれに譲れないものがある。
考えてみれば、当たり前の話なのかもしれない。
姉には姉が嫁いだ先で受け継いできた家庭の味があり、ワタクシにはワタクシなりの食の好みがある。同じ家で育った姉弟でも、別々の場所で暮らし、それぞれの食卓を囲んできた年月は、知らず知らずのうちに味覚や好みを変えていくのだろう。
ちなみに、辛いものが好きなワタクシは、最近では大蒜と唐辛子を効かせたスパイシーな韓国おでんがお気に入りだったりする。具材はトッポギと三角に切った練り物くらい。
そんなワタクシの好みと、姉が受け継いできた家庭の味。
それぞれの主張が鍋の中で折り合い、互いの味を引き立て合った結果、とても美味しいおでんが出来上がった。
金沢出身ではない姉弟が作る『金沢おでん』。
これもまた、なかなか乙なものではないかと自負しておこう。

翌日、ワタクシは二日目のおでんの出汁を使い、かけ蕎麦にして昼食にいただいた。

具材の旨みが溶け込んだ出汁を蕎麦で味わう。これがまた、実に美味しい。
おでんは一日で食べ切るものではない。二日目には二日目の楽しみ方がある。
姉と作った金沢おでんは、鍋の中だけでなく、翌日の昼食まで楽しませてくれたのであった。
そして、今回も【一蕎麦一温泉】のマイブームは忘れない。
蕎麦は自分で用意したが、しっかりと温泉も楽しんできた。
2026年。まだ終わらない、終わらせないマイブームを、此処にご報告申し上げます。


沖縄にルーツを持つ父親と、韓国人の母との間に産まれ、幼い頃から日本食とは一風変わった食卓で育ちました。
転勤族の父親に付いて、全国津々浦々に移り住み、グルメな母親の影響で週に一度は外食をしていました。
それでもやはり、一番好きな食事は母親の手作りです。母も小まめに料理を作り、夕飯の家族一緒の団欒はかけがえのない想い出です。
今でも月に一度の頻度で、田舎の特産品や母親手作りの常備菜が届きます。
そんな私が、もう永住するしかないと決めた大好きな街、金沢。
其処から全国、ひいては全世界に向けて食のあり方を発信することが出来る私たちの会社を誇りに思い、末端ながらお仕事出来る喜び…と、美味しい賄いを噛み締めている毎日です。