2020.05.18

おばあちゃんサラダ

おばあちゃんのサラダ

私の父方の祖父は、父が中学生の頃に亡くなったので、祖母が女手一つで父と私の叔母である父の妹を小料理屋をしながら育てたらしい。

2人の子どもの結婚後はお店を手放し、病院の職員食堂で働いていたので、私の記憶にはそのお店はない。

職人さんが料理を作っていたそうなので、料理人という訳ではなかったようだが、祖母の作る料理はいつも品数が多く、私達が遊びに行くといつも机いっぱいに料理を並べてもてなしてくれた。

そんな祖母の料理で、私が愛してやまなかったのが「サラミハムを使ったサラダ」だ。大皿で取り分ける形で並ぶ大きなお皿の中のほとんどを私が食べてしまうので、祖母は毎回沢山の量を作ってくれていた。

そのサラダなのだが、なんの変哲もないサラダのように見えていた。サラミハムと玉ねぎのマリネのようなさっぱりサラダ。レモンも入っていて、レタスや人参も入っていたようにも思う。それを、白濁した市販のフレンチドレッシングで和えてあるだけのシンプルサラダ。

だと思っていた。私も母も。

毎回私が食べ貯めるかのように大量に食べていたのと、サラミハムを買う事がわが家ではなかったので、わが家の食卓に並ぶことはなく、私の中で「おばあちゃんサラダ」となっていた。

そんなお料理上手なおばあちゃんが料理をしなくなっていったのと、おばあちゃんの認知症が始まった時期はだいたい同じだったような気がする。

1人暮らしでしっかり者だったおばあちゃんが、同じ事を何回も話したりするのを父がぶっきらぼうに相手をする姿に、おばあちゃんがかわいそうだ!と私はいつも怒ったが、今思うと父も悲しかったのかもしれない。そうして、おばあちゃんの家に行ってもあのサラダが並ぶ事がだんだんなくなっていった。

おばあちゃんが亡くなった後、しばらくして私は母に「あのサラダ食べたいな」とリクエストした。フレンチドレッシングを買い、サラミハムを買い野菜を切り和えた。懐かしいビジュアル!そう、これこれ!と早速一口。

「ん? 違う。」

全然違うのではない。惜しい感じなのだ。何か深みのようなものが足りない。私は母と顔を見合わせ、なんか違うね。習っておけば良かったねと話した。ドレッシングが違うのか?と別のドレッシングを試したり、手作りしたりもしてみたが、毎回何かが違う。

時々、ふと思い出したようにあのサラダを食べたくなる。ホワイトペッパーを入れてみたり、甘酢を足してみたりと懐かしの味を再現しようと色々探ってもいるが未だ完成はしていない。OPENSAUCEにJOINした時に、宮田代表の宮田家に伝わる「謎煮」の話を聞き、世界のホンモノの味はもちろん「おかんの味」もオープンソース化して伝承していくという強い想いを知り、私は最初にこのおばあちゃんのサラダを思い出した。

もう出会えないのだろうか。いや、私が再現できればまだ間に合うのではないか?簡単そうなサラダとの戦いはまだまだ続きそうだ。

text:Ryoko Takakuwa
(本稿はOPENSAUCE元メンバー在籍中の投稿記事です)