この記事は2019年4月に掲載したものです。
旬の和食材について語るシリーズ。前回のマグロ編前篇、後編に続き、今回からテーマは山菜となります。話は意外な展開へ…。
和食の面白さを伝えに世界を飛びまわる料理人・髙木慎一朗と史実をジャンルを超えてつなぎ合わせる歴史学者・三石晃生の季節と食にまつわる<ゆらぎトーク>春編、山菜の話の前編です。
初物には「霊力」が宿る?旬のブランディング
三石:山菜もめちゃくちゃ古いですけどね。もうずっと、奈良時代ぐらいから菜採りって、貴族たちがすごい楽しみにしてた行事の一つなんですよ。
若菜摘みとか、春菜摘みっていうんですけど。
山部赤人という万葉歌人が、雪が解けて、菜を摘みに行く…まぁピクニックみたいなのをイメージしてください。やった、雪が解けてやった!行ける!と思ったら雪が降って俺ガッカリ、という「明日よりは春菜摘まむと標しめし野に昨日も今日も雪は降りつつ」という歌を残してますね。そしてこの菜は当然、今でいう山菜も含まれていただろうと。
髙木:山菜見てて面白いなと思うのは、山菜じたい食べて旨味って無いじゃないですか。なんでそこまでちやほやされるのか。食材の割には、日本料理にとって絶対外せないものなんですよ。
栄養的にはある?
三石:栄養価的には高いですよね。
「山菜」ってうちら言いますけど、古くは「野菜」の範疇ですね。
髙木:まぁ、いま出回ってる山菜のほとんどがハウス栽培じゃないですか。だから野菜ですよね。
三石:今もある七草も、古代の彼らにとってみれば野菜。雑草じゃない。
髙木:名前は違うけど大根とかですからね。
三石:春の七草なんかは江戸時代になってから、幕府が五節句というのを決めるんですよ。
一月七日、三月三日は上巳(じょうし)とか、九月九日の重陽の節句まで決めるんですけど、その時に、一月七日の七草はこれである、と制定して今知っている七草になったんですけど、その前はもっと地方差はあったでしょうね。
髙木:うーん、あれもセリはわかるんですけど、ナズナ…ゴギョウ、ハコベラって普通言わないですよね。スズナ、スズシロとかいって、まず日常会話で使わない言葉ですよね。
三石:一応、セリは競り勝つ、スズナは神鈴とか縁起よさそうなネーミングにタグづけてるんですが、春の七草をいうとき以外、一年に一回も口にしない言葉ですよね。
そういえば金沢って、春の七草は特別なことをやったりしますか?
髙木:大友楼さんっていう料理屋で、七草粥を作る歌を歌いながらトントントン…て。なぜか裃(かみしも)を着ながらやっているっていう。
三石:あ、「唐土(とんど)の鳥が来る前(さき)に~ステテンステテン」とかって歌うやつですか。
うちでも裃つけませんけど、そんな感じのを見たおぼえがあります。
髙木:歌いながら刻むんですか?
三石:刻みます。桶の上にまな板を置いて、前日の6日にやるんです。
例の私のばあちゃんやってましたね、亡くなってからはもうやってませんが。唐土の鳥というのは、姑獲鳥(うぶめ)ていう鳥です。京極夏彦の『姑獲鳥の夏』の姑獲鳥。
それが海の向こうから飛んできて病気をもたらすって考えられてたんですよね。姑獲鳥が、子供に血の跡みたいのをつけるんです。そうすると病気にかかっちゃうので、姑獲鳥が来ないように祓わなきゃいけない。
※「姑獲鳥の夏」1994年発表された京極夏彦の長編推理小説。作品のモチーフである妖怪が姑獲鳥として出てくる。
平安時代なんかだと、七草やっていたといっても全然バリエーションが違っているんです。平安時代中期の法令集『延喜式』によれば小正月に粟とか米とか小豆とか胡麻で7種類の穀物でお粥をたいて公務員に振舞われます。もっとも、下級官吏には米と小豆の簡略バージョンでしか支給されないんですけどね。そういうことで考えると、赤い小豆がその中心で、破邪の力を期待され、それで無病息災を願うっていうのが七草粥の原型だったんじゃないかと思われます。実際、東北では春の七草で粥の代わりにこの小豆の粥を食する地域もありますし。
髙木:春の七草って、一月に…もちろん、いろんな暦とか一月は新春って言うけど、実際のところその季節に七草なんて絶対ないじゃないですか。
無いものをその時期に食べるっておかしくないですか。
三石:それはハウス栽培…
髙木:だとすれば、最近やり始めたってことですかね。
三石:当時の旧暦の一月だとだいたい1月20日あたりから2月20日のどこかですね。やっと出てくるかな、みたいな頃ですね。
日本人は特に初物好きなので、初物には霊力が籠もると考えてるので、それを食べて取り込もうと。
髙木:それは何の霊力?
三石:神様の霊力であり、若々しい生命力ですね。
若々しい、最初のものを頂くということが日本の食文化の中核にある気がします。
髙木:でも確かに、ワラビとかでもフキノトウでも、出てくるところが一番、エネルギー使ってるじゃないですか生物として。
筍でも地面から出てくるところを。
それを食べてるっていうのは結局、エネルギーを取り入れてるのと一緒なんですね。
三石:人間はその生命力を頂くことによって、生きながらえているので、どうせなら霊的にというか縁起的に裏打ちされた力のあるものを食べたいと考えました。初物は七十五日寿命が延びる、といわれたほどです。日本人は初物信仰がすごい強い。
初物大好き。
髙木:じゃ、カツオもそうだ。
でも、カツオの場合、その時期に回遊してくるというだけで、決して生まれたてではない。ちょっと違いますよね。
そういう意味での、野菜の初物とは。
このくらいのカツオだってざっと数年経ってるわけじゃないですか。
三石:…言われてみればそうですね。確かに初じゃない(笑)
髙木:だから、例えば鮎の稚魚を食べるとかなら、それは初物だと思いますよ。四月、五月くらいに食べたら、秋には死んでる魚じゃないですか。
カツオっておかしくないですかって…。たまたまこう、やってきて、またどっか行って。
三石:確かに「初」もへったくれもないですね。
髙木:今年「初」。
三石:「初」がないものは、初を認定しちゃって初にしてしまうんですね。
髙木:今でいうブランディングしてるってことですね。
三石:一応、繁殖期前だから脂がのってる、っていう意味での初ですよね。旬の更に上の最上級的な位置付けで「初」と。
話がまた戻るんですが、東京で山菜ってあんまり食べた覚えないんです。
髙木:山菜って古くなると一瞬にして味が変わっちゃうじゃないですか。乾燥したり、苦味が増したりとかって。
ゼンマイとか干したものであれば話は別だけど、生で食べる時は鮮度悪くなると…今みたいな最初はビニールハウスで流れるように、流通するように作られてるのとはやっぱり違うので。
縄文人は山菜のアクを取っていた?
三石:アクといえば、縄文時代の日本人もちゃんとアク抜きして食べてたみたいです。
髙木:
どうやってアク抜きしたんですか。
三石:1週間ぐらい水に晒したりだとか、あとは煮てみたりだとか、あとは灰も使ってアク抜きしてたようです。
髙木:じゃあ縄文人の味覚も、アクに関してはあまり得手ではなかったんですかね。
三石:アクとか苦味は得意じゃなかったでしょうね。
アクは一応、毒なのでお腹壊しちゃうっていうのが大きかったでしょうけど。
髙木:でも、その成分はどうやったら取り除けるかっていうのは明らかに技術じゃないですか。
三石:いろいろ実験したんでしょうね。
髙木:お腹壊したりしながら。
三石:面白いのは山形県の押出遺跡という縄文遺跡で、クリと鹿肉とを叩いて、あと卵を入れてこねて、「これハンバーグ作るの?」みたいなものが出土してるんですよ。他にも長野県の大崎遺跡というところでも見つかってます。
髙木:鹿ハンバーグ。
三石:卵も入れて。
髙木:ちゃんとつなぎも入れてるんだ(笑)
A_RESTAURANTで再現してもらわないと。
三石:何を食べていたのかは、歯に表れます。21才で亡くなった幕末の徳川家茂という将軍は、31本のうち虫歯じゃない歯は1本しかなかったようです。全部虫歯。しかも顎が細いから柔らかいものしか食べてないことが骨からわかります。
じゃあ昔の日本人はなにを食べていたのか。当時の縄文人の歯とか見ると、海外の旧石器時代の歯に比べて虫歯が多いんですよね。
虫歯多いってことは炭水化物多めに摂ってるってことなんで。
弥生になると余計に虫歯率が上昇します。
結構、縄文人は炭水化物をいろいろ食べていた。狩猟生活だけじゃなかったのは明らかになっています。
髙木:その当時の炭水化物っていうのは米?麦?
三石:米はまだ水稲耕作はしてないんですけど、米は作ってました。米食べるから弥生時代、というわけではないことがわかってきています。縄文人も米食べてるヤツはいたと。
髙木:あとは炭水化物というのは?
三石:あとは、どんぐり。どんぐりのパンとか。
髙木:はー。どんぐりでパン作れるんですか。
三石:作れるんです。私は作ったことないですけど。どんぐりパンっていうのがあるんです。
髙木:それも作ってもらおう。
三石:ひたすら水にさらして、ちゃんとアク抜いて作るんですけど。どんぐりクッキーみたいな感じですね。
髙木:それだけ、主食というか、にできるくらいどんぐりが豊富だったのは不思議ですけどね。
三石:広葉樹がたくさんあったので。どんぐりがいっぱいあるところにはイノシシとか熊がいるので、それ狙いっていうのも勿論あったのかもしれません。
ジビエ、山菜…日本人はどう「美味しく」食べていた?
髙木:なるほど。当時から熊は食べてたんですか?
三石:食べてたという研究があります。冬眠明けのフラフラな状態を狙えば容易みたいです。
髙木:熊肉こそ大変でしょ、醤油無かったら。
焼いて食ってたんですかね。
三石:熊の場合には、その熊の強靭な生命力というか神霊を食べることで分霊してもらう、という宗教的な意義があったように思われますが、いづれにせよ縄文人って味覚は捨ててる気がしますね。
やりよう無いですもんね。
髙木:熊肉なんて、我々の感覚で言うと絶対に、一回冷凍しないと寄生虫がいて食べられない。
もしくは完全に火を通すか。
あの手の肉、完全に火を通したら、全く歯が立たない肉になるんじゃないかな。
それがすごい不思議だなと思うんですけどね。
三石:どうやって食べたんですかね。
鹿もイノシシも捕ってたことはわかってます。まぁ、ジビエ全般ですね。
髙木:仮に捕まえたとしても、解体する時って今ほど鋭利な刃物は無かったじゃないですか。
三石:黒曜石でつくった石匙(いしさじ)っていう万能ナイフがあって、皮をビッと切って、肉と皮の間をこれをシューってやると皮はがれるようなんです。今のジビエ解体でナイフ使うのと同じようなかんじで。これがまた切れるらしい。ステンレスナイフよりも鋭利だ、という実証実験もあります。
髙木:でもあの時代の食べ方であんまり食べたくないですね。
三石:食べたくないですね。
髙木:実際、食べて「美味いな」って思い始めたのはじゃあ、いつぐらいなんですかね。
三石:中国の文物が入ってきたり、発酵食品も発達したりで平安時代からじゃないでしょうか。そりゃ奈良時代でも果物なり「美味いと思うもの」はあったでしょうけれど、料理としての意味でいうなら平安以降ですよね。鎌倉・室町いったらかなり美味しくなります。江戸時代なら文句なしです。
縄文時代は絶望的でしょうねえ。
髙木:そんな味覚の縄文人が、熊や鹿を捕って食べた。
山菜を、現代の日本人のように、「これうまいね!」って食べたとは到底思えない。
三石:食べないと死んじゃうからでしょうね。死活問題ですよね。
髙木:生きながらえるために栄養摂取したってことじゃないですか。
にしたって、美味しくないものを食べ続けるってけっこう苦痛ですよね。そこに喜びはないじゃないですか。
三石:江戸時代の話なんですけど、米沢に上杉鷹山って藩主がいて、「みんなお家にウコギという山菜を植えなさい」と奨励するんです。米沢に行くといまだにウコギの生垣を目にすることがあります。
この生垣の葉を茹でて干して蓄えておく。そうすると冬や飢饉があった時にウコギが食べれる。結果、飢饉が起こった時に米沢藩では死亡者を一人も出さなかったっていう話があるんですけど。
とはいえやはり非常食…味を捨ててるとこはありますよね。
髙木:うーん。いわゆる食べ物とだけしか見てない。
だとすると、現代人だからといって山菜にうまみを感じて、美味しいと感じたりするのは、実はロジックから入ってるだけなんですよ。
動物の機能としての味覚の中で、ヒットするものが無いような気がするんですよ。
三石:うんうん。文化の中における、約束ごとというか。
髙木:そうそう、さっきの初物みたいなもので、なにか思い込んで、これもしかして美味いかもね、いいに違いないとかって。
三石:そもそも山菜って、体に良さそうって言いながら食べますからね。
髙木:ということはあれですね。美味しくないけれども体にいい。体にいいから美味しくない。
…青汁しか出てこない(笑)
三石:文化的に普通に食べられてて、これを食べ物だと認識されてるから食べられるっていう話ですよね。
髙木:決して美味い美味いと思って食べるもんではないとすれば、現代人はいろいろ栄養の摂取の仕方があるじゃないですか。
(山菜は)あえて実は選ぶ必要が無いものだと。
三石:現代人はなぜ、山菜を食べつづけるのか。
髙木:でもやっぱり食べたくなりますよね。
三石:なんか、胃が落ち着く感じがするんですよね。
髙木:ここがなんか、ちょっとミソかなと思いますけどね。
三石:なんとなく…実感として「体にいい感じ」というか。大地のエネルギーを取り込んでいるような。
髙木:誰かが言ったんじゃないですか、「苦いものは体にいい」とか。それで刷り込まれてるのはあると思うんですよね。
山菜、僕らは料理しますけど、たとえばワラビにせよ、フキノトウにせよ、苦味を感じたりとか、そのものの風味を感じること、それを引き立たせるために酢を入れたりとかはわかるんですけど、あれをそのまま食べて「うーん、うまい」って…。
三石:私はならない(笑)
もっと食べたいとか、箸が進む感は無いですね。
髙木:ご飯だけ食べてても、おかわり感っていうのはあったり、何と食べるかによりますけど。
山菜だけ山盛りに出てきて「いや~、これ最高!」って食べるやついたらちょっと心配になる(笑)
毎年、自分の中で不思議感満載な気持ちなんですよ。
山菜を仕込みする中で、これを天ぷらにしたら食べれますとか。
天ぷら自体が、美味しくするというよりも僕の中では加熱する仕事だと思ってるんで、なんでそこまでして食べなきゃならないんだろうか、っていうのはやっぱりあるんですけどね。
三石:うーん、たしかに山菜はいなくてもいいものではありますよね。
髙木:ある意味、突然なくなっても言うほど困らない。
三石:現代においてはよほどのことがない限り、山菜がなくなっても困らないです。
当時ではやっぱり、飢饉の恐れがあるからすごくありがたかったんでしょうけれど。
髙木:うーん。でも、あれをお腹ふくれるまで食べるとか、あれで生きながらえるってけっこう切ない食生活ですよね。
三石:死ぬよりは、なんでしょうね。味わうために食べるという行為をする私たちには、縄文人とかは到底理解できそうにない。今の山菜って、飽食で贅をこらした料理のアンチテーゼ的な意味合いで食べてますよね。アレだけの人生、私はいやだ(笑)
縄文時代と現代をつなぐ和食の本質。
さらに、対談は「美味いものとは何か」という方向へと向かいます。